医師への軌跡

世界のデータを比較することで、
普遍的な「健康な社会」のルールが見えてくる
近藤 尚己

近藤先生

臨床から疫学研究の道へ

近藤先生は学生の頃、国際保健に興味があった。途上国では特に社会背景や生活環境が健康に大きく影響していると感じ、公衆衛生にも興味をもった。卒業後は臨床研修に進んだが、そこでショックな出来事があった。

「心臓弁膜症の50代の男性患者さんが、手術後に通院をやめてしまいました。その人はもともと独居で、栄養状態も悪かったので、大丈夫かなと思っていたら、新聞のお悔やみ欄で名前を見つけたんです。手術が成功しても、暮らし方を変えないと病気は治らない人もいるんだと感じました。」

2年の臨床研修の後、山梨大学大学院で研究をはじめた。山梨県は健康寿命が長く、山梨大学はその秘訣を探るべく、疫学的な追跡研究を盛んに行っている。近藤先生もその研究に参加する形で、本格的に疫学の道に足を踏み入れた。

社会の健康への影響を研究

「疫学」は、人間集団を対象として様々なデータを集め、病気のリスクを統計的に解明する医学の一分野であり、例えば喫煙者と非喫煙者における肺がんの発症リスクの差を見出すのが疫学研究である。近藤先生が大学院で専門としたのは、「社会疫学」という分野だ。

「僕が経験したように、臨床での指導だけで人の生活習慣は変わるものではありません。ならば、生活背景や地域における人のつながり、あるいはもっと大きな、社会制度や景気動向といった、その人を取り巻く社会的な環境全体が、健康へどう影響するのかを考える必要があるのではないかと。そうしたデータを集め、統計的に把握・検証して、それを基に予防対策をする。これが疫学という手法を用いた公衆衛生のやり方です。」

卒後6年目には奨学金を得て、ハーバード大学公衆衛生大学院に武見国際保健プログラムの研究フェローとして留学。

「留学に行って、日本を外から見ることで、日本を相対化できたことはとても大きかったです。ハーバードの僕のメンターは『人のつながりの中で生活を守るという日本の文化が、長寿につながったのではないか』という仮説を立てていましたが、もしその仮説が正しければ、都市型のニュータウンなど人のつながりが希薄になっている地域では、寿命は短くなっているはずです。実際そうした地域で孤独死は増えており、新しい人のつながり方を考えていかなければならないと考えています。」

日本での知見を世界の健康へ

現在は地域での介護予防に力を入れており、実際に地域保健の担い手となる行政機関や保健師、NPO法人などと信頼関係を築きながら、ともに予防対策を考えるという立場に立っている。さらに今後は、病院でのプライマリ・ケア分野でも知見を活用し、ケアの質を高めていけたらと思っているそうだ。

「日本での知見を他の国の知見と比べることで、人間や社会とはどういうもので、健康とはどのように決定されていくのかというルールが見えてくると思うんですよね。僕らの研究が、最終的には世界の健康を守ることに活きてくるといいなと考えています。」


ハーバード大学公衆衛生大学院 武見国際保健プログラムについて

ハーバード大学が武見太郎元日本医師会長の国際保健における功績を称え、1983年、同大学公衆衛生大学院に設立。健康改善のために、特に発展途上国における限られた医療資源をいかに開発・配分するかといった問題を主なテーマとして扱う学際的研究プログラム。設立以来、51か国240人以上の中堅の専門家がプログラムに参加。国際保健に関する知識を高め、国の医療政策の制度的発展や改革に資することを目的として研究を行っている。

武見プログラムは、研究を通じて新たな知識を探求することが、医療の発展に不可欠であるという「研究重視」の理念を掲げており、フェローは教授陣、授業、膨大な資料といったハーバード大学のレベルの高い資源を利用できる環境の中で研究に取り組める。

近藤 尚己
東京大学大学院医学系研究科 公共健康医学専攻
保健社会行動学分野/健康教育・社会学分野 准教授
2000年、山梨医科大学医学部医学科(当時)卒業。卒後臨床研修を経て同大(山梨大学)大学院の助教を務め、2006年、武見国際保健プログラムに参加。研究フェローとしてハーバード大学公衆衛生大学院健康社会研究センターに在籍。専門は社会疫学。健康に影響を与える社会的な要因に関する研究を進めている。