interview 臨床×カナダ 藤本 礼尚(前編)

一流のてんかん医になるためカナダで臨床の世界に飛び込んだ

――なぜ留学しようと思ったのですか?

「何が一番正しい治療なのかを知りたい!」という強い気持ちをもったからです。というのも、医師として働き始めた2~3年目頃、現場でトップダウンで習うことと、テキストに書いてあることの間にギャップがあると気づき、「他ではどうなの?」という疑問をもったんです。気になって、インターネットなどで調べてみても、「国際的にはこうだ」と書かれていることが現場では実践されていなかった。モヤモヤした気持ちが残って、このまま続けるのは絶対に嫌だ、何が正しい治療なのかを知りたい、と強烈に燃えてきて。その分野で一番優れているところに行って、そこで見たら納得できるんじゃないかと思いました。もともと僕は大学では英語の成績が悪かったし、海外に行く学生の公募に興味もなかったし、自分はそういうタイプではないだろうなと思っていたけれど、そういう理由から海外で学びたいと思うようになりました。

――海外で学んでみたいと思っても、実際に留学するには大きな原動力が要ると思うのですが、それは何でしたか?

僕の場合は、せっかく苦労して脳外科医になったのだから一流になりたいという気持ちが一番の原動力でした。とにかくハングリーで、勉強したくて仕方がなかった。ビビる気持ちよりも欲のほうが強かったので、英語ができるかどうかなんて関係ありませんでした。たぶんあの頃の自分だったら、フランスでもロシアでもどこにでも行ったと思う。
5~6年目から留学先を探し始め、実際に留学したのは、日本で専門医資格を取った後の9年目です。留学先は、とにかく世界中を自力で調べました。あの頃はインターネットがそこまで普及していなかったけれど、とりあえずWEBサイトに募集要項がないかを探して、メールで連絡しました。また、学会に来るゲストの先生を片っ端から調べて、自分に合いそうな先生にはお手製の名刺を渡しに行ったりもしました。どこの誰とも知らない日本人をすぐに受け入れてくれるようなところはほとんどないけれど、その中でも「OK」と言ってくださるような方がいて、まずは研究フェローとしてトロント小児病院に行くことにしました。そこでは脳波のトレーニングを積んだのですが、最終的には向こうで臨床をやって、てんかんの外科医として一流になりたかったので、とにかく真剣に勉強しましたよ。毎週行われる有志のプレゼンテーションにも、自分から「やります」と言って積極的に挑戦しました。ここでの経験が、後に現地で専門医資格を取るのに役立ちました。

――その後、カルガリー大学で臨床フェローになられたそうですが、海外で臨床医として働くには、どのような過程を経るのでしょうか。

僕は、自分で大学病院のフェロー募集を探して、メールで応募しました。メールの返事がきた3大学に紹介状とCV(履歴書)を送って、それが通れば面接に進むのですが、CVを出した3大学には全て声をかけてもらえました。これは、トロントで頑張った成果が大きかったと思います。返事が来た中でも、僕は手術件数の多いカルガリー大学に面接に行くことにしました。
面接は朝7時半から夕方5時まで丸一日でした。朝行くとまずカンファレンスがあり、「この症例に対してどう思うか」とどんどん質問されます。それが終わったらホスピタルツアー。オペ室の見学では衝撃を受けましたね。5部屋ぐらい同時進行で手術していて、「ここで経験したら自分の腕を磨けるぞ」って、あの瞬間にピーンと来ました。喉から手が出るような気持ちで、意地でもここに入るぞと思いました。ランチタイムでもコミュニケーションを見られて、午後は6~7人の面接。そして最後の最後に、「実はもう一人候補がいるんだ。その人は給料要らないって言ってるけど、君はどうする?」と言われました。「ここで給料の交渉に来たか!」と思いましたが、「最低限でも給料は欲しい」と強気に言い、結果的に採用になりました。

 

interview 臨床×カナダ 藤本 礼尚(後編)

――給料なしで働くというのは、向こうでは一般的なことなのでしょうか?

そうですね。大学側は安価な労働力が欲しいですからね。逆に、学びたい人はお金を払ってでも行く場合もあります。CVを通過した時点でも、給料ありと提示してくるところと、なしと言ってくるところに分かれます。ただ、僕は無給だと周りと同じレベルで戦えないと思ったので、少しでもいいから給料をもらいたかった。だから「給料なしだと俺は嫌だよ」と強気に粘りました。カルガリーでの年収は200万円ほどと格安でしたけど、得られる経験は全く違ったと思います。

――臨床でやるには、やはり相当な英語力が必要ですか?

そうですね。一番大変だったのは緊急搬送の受け入れです。よく欧米の医療ドラマなどで救急のシーンがありますが、まさにあの中に飛び込んでいくようなイメージなので、多くの日本人は全然聞き取れないスピードだと思いますよ。緊急搬送の時はフェローが責任をもって指示を出さなければならないので、何を言ってるのか全然わからなくてもおじけづいてはダメで、「わからないからもう1回言って」と全力で聞いて、対応していく。それができるレベルでないと臨床はできないし、そのために相当の努力が必要だと思います。
僕は英語を勉強するために睡眠時間を相当削ったし、寝る時もBBCをつけっぱなしで寝たりしていましたね。トロント小児病院にいたときも、僕は日本人のボスのラボにいたのですが、できるだけ英語を使うようにしました。

――ちなみに、留学先にはご家族と一緒に行かれたのでしょうか。

はい。妻と2歳の娘を連れて行きました。妻は英語が話せなかったし、娘は最初の頃「あいうえおの国に帰りたい」と言っていたそうです。ただ僕は、そこまですることにどんな意味があるのかを家族にしっかり伝えました。家族がついてきてくれたのは、僕の目標が揺らいでいなかったからだと思います。結果的に妻も娘も、いろんなものを吸収できたんじゃないかなと。日本社会の小さいコミュニティでは経験できないものがたくさん得られたと思う。せっかく行くなら家族みんなでいいものを得てきちゃおう、みたいな発想も必要でしょうね。

――ここまでお話を聞いていると、「自分には難しそうだな」と思ってしまう学生も多いような気がするのですが、医学生にぜひエールをお願いします。

能力があるのに躊躇しているのは本当にもったいないと思いますよ。まずは自分を鏡に映してみて、自分の能力はどのくらいのものなのか、身の丈を考えてみることから始めてほしいなと思います。日本は世界の中では相当な教育レベルを持った国です。海外の大学には様々な国の人が集まっているわけだし、これだけの教育を受けた人たちがやれないわけはないと思うんです。
失うものなんて何もないですよ。お金だってなんとかなりますから。ちょっとカッコつけたいって気持ちだけで中途半端なことをするとうまくいかないかもしれませんが、「留学してこれを得るんだ」という決意を持って行った人にとっては、相当意味のある経験が得られると思います。

藤本 礼尚
聖隷浜松病院てんかんセンター
脳神経外科主任医長
1998年筑波大学医学専門学群卒業。筑波大学附属病院等に勤務。2006年カナダに渡り、トロント小児病院にて研究フェロー、カルガリー大学にて臨床フェローを経験する。

留学に必要な資格はないの?

臨床医として留学先で医行為を行うためには、多くの国・地域で現地の医師免許が必要になります。藤本礼尚先生が留学したカナダの西部では日本の医師免許と専門医資格で臨床の仕事に就くことができたということですが、それはどちらかといえば例外的なケースです。
例えばアメリカで臨床を行いたいなら、アメリカの医師国家試験USMLEのステップ2まで合格している必要があります。USMLEにはステップ3まであり、ステップ1では基礎医学分野の知識、ステップ2では臨床医学分野の知識・技能が問われます。
対策方法についてなど詳しくは、島田悠一他『米国医学留学のすべて』(日本医事新報社、2013年)、佐藤隆美他『アメリカ臨床留学への道』(南山堂、2014年)などを参照してください。