interview 研究×USA 藤本 陽子(前編)

常に「どう生きたいか」を考え、今、一番楽しいと思える選択を

――留学をすることになったきっかけは何でしたか?

皮膚科の医師である夫がアメリカに留学することになったので、私も一緒に行くことにしたんです。私は当時、東京医科歯科大学の神経内科の医局に所属していたのですが、教授が、夫と同じデューク大学内のアルツハイマー研究所に留学できるよう紹介してくださいました。

しかし、留学してみたら予期せぬトラブルが起こりました。当時、研究実績もなく、英語もろくにしゃべれない私は、研究者として受け入れてもらえず、どんなにやっても論文は書かせないと言うんです。私、本当に一生懸命やろうとしていたのに、それはないと思いました。そこで、いったん日本に帰ってきて教授に説明して、合意を得て他に移ることにしました。

しかし、いざ移ろうとなったら、今度はボスが「せっかく自分が受け入れて面倒を見ていたのに!」とすごく感情的になり、最終的には、私は産業スパイ扱いまでされてしまったんです。ある日突然FBIが家に捜査に来て、家中の物をひっくり返して行ったんですよ。かなりショックを受けました。事実無根なのに、ビザも取り消され、コンピューターも没収されました。このままでは危ないと弁護士に言われ、一時的にアメリカを出て、プエルトリコからロンドン経由でなんとか日本に帰ってきました。それが留学して1年弱の頃でした。

――かなり壮絶なご体験ですね。その後はすぐに日本に戻られたんですか?

いいえ。こんなことで帰ってくるのは絶対に嫌だと感じました。せっかく留学したのだから向こうでしっかりと研究成果を出したいと強く思いましたね。

教授にはこのまま日本でやればいいじゃないかと言われましたが、夫はまだアメリカにいる予定だったし、なんとかならないかとお願いしてみました。すると、夫が所属するラボのボスが「うちに来ていいよ」と言ってくださって、新しいビザも手配してくださったんです。とてもありがたくて、無給でいいのでと言ってお願いしました。

そこは免疫学のラボだったので、私の専門領域ではなかったのですが、受け入れてもらったのだから、絶対にいい論文を出そうと思って真剣に研究しました。最終的にはCellとNature Immunologyに論文を出すことができて、あの時逃げて帰ってこないで本当によかったと思っています。予定より1年長くそのラボにいて、その間に妊娠し、出産の1か月前ぐらいに帰国しました。

――留学によって、それまでと大きく変わったことはありましたか?

人生観がすごく変わりましたね。前のラボではとんでもない目に遭ったけれど、次のラボではいろいろな人がサポートしてくれた。いいことも悪いことも、いつ起こるかわからないものだなと実感しました。

留学に行く前までは、とにかく「今後のために」と考えながら行動していました。いつか役に立つだろうという思いで、週に半分くらい病院に泊まり込んで、症例報告もたくさんしてきました。それも貴重な経験だったと思っていますが、これからは「今」という瞬間に、自分がどれだけ貢献できるかを大事にしたいなと思うようになりました。

――帰国後は出産を経て、また医局に戻られたんですね。

はい。大学の医局の人事で都立病院のリハビリテーション科に赴任することになったんです。ただ、もともと私は神経内科をやりたいという思いが強かったので、リハビリテーション科での仕事がどうしても自分の性格に合わなかった。アメリカでは自分で考え、新しい発想で仕事をすることが評価されましたが、それが必ずしも受け入れられない日本の慣習にも大きな壁を感じました。悩みましたが、留学したときのことを思い出したら、「今」自分を無駄にしちゃいけない、もっと自分のやりたい分野で活躍して世の中に貢献したいと強く思い、製薬会社に転職することを選択しました。

 

interview 研究×USA 藤本 陽子(後編)

――なぜそこで製薬会社を選ばれたのでしょうか?

根底は、「神経疾患には治らない病気が多いから、なんとかしたい」という、医師になった当初の思いと変わっていないんです。そもそも私が神経内科に入ったのは、まだ治療法もない、病態もよくわかっていない疾患の患者さんを救うことに携わりたいと思ったことがきっかけでした。なので、製薬会社で新薬の開発に携わることができるならば、より多くの患者さんを救うことに貢献できると思ったんです。それがすごくモチベーションになりました。転職してから11年間はずっと新薬の開発に携わっていて、昨年からはメディカル・アフェアーズをやっています。

――メディカル・アフェアーズとは、具体的にはどんな仕事ですか?

簡単に言えば、薬にどんな価値があり、どういう患者さんに届けるのが適切なのかについて考え、エビデンスを提供し、薬を適切に使ってもらうようにする仕事です。本来的に製薬会社は、薬を売ってお金を儲けることではなく、人々に薬を届けることでより健康な社会を作ることを目的にしています。私たちメディカル・アフェアーズはそれを効果的に行うために、適切な摘要書やエビデンスを提供します。薬を売るのにマイナスになるような情報であっても、患者さんに知ってもらわなければならないならば届けていく。この仕事は、製薬会社の中でも「人々に薬を届ける」というところの真髄ではないかと思っています。ここでは、自分の医師としての経験を最大限に活かして社会に貢献することができると思いました。

――お話を伺っていると、とにかく目の前に現れたチャンスに、一つひとつ真剣に向き合ってこられたという印象を受けます。

人によっては、10年後、20年後を見据えて、その目的を達成するためにはどうするかを考える方もいらっしゃると思います。それはあり方として素晴らしいと思います。ただ、私はそうではありませんでした。「この機会、この場、すべてを活かしたい」というのがむしろ目的だったとも言えるかもしれません。「今」私自身は何が一番いいと思うかという発想なんですよね。私はそういう風にやってきたし、これからもそういう風にやっていくと思います。いつどんな死に方をしても、満足して死ねる自分でありたいと感じています。

――自分で意思決定していこうという意識がすごく強いにもかかわらず、しなやかな感じがしますね。

女性は特に、結婚や出産がキャリアに与える影響が大きいので、こういう考え方も悪くないと思います。

私自身の信念は、「変化の中でどう生きていくか」ではなく、「自分が変化の先頭を行く」ということ。周囲に流されるのではなく、その場その場で大切にしたいものを考えた上で「こうしたい!」と感じることを大事にしたいと考えています。そして自分の選択を信じて決断し、責任を持って頑張る。何事も自分で選択すれば、その選択を絶対に成功させようという気概が湧くと思うのです。

常にどう生きたいかを考え、「今」一番楽しいと思えることをして生きていきたい。それが私の目標ですね。

藤本 陽子
ファイザー株式会社
メディカル・アフェアーズ統括部長
東京医科歯科大学卒業。都立神経病院等に6年間勤務したのち、米国デューク大学にて基礎免疫学の研究に従事。帰国後の2002年、ファイザー株式会社に入社。開発部門に11年間所属し、新薬の開発に従事した。

留学資金はどうするの?

留学資金を手に入れる方法として、病院や大学の奨学金、財団の助成プログラムがあります。以下に挙げたものは医学系の奨学金の一例です。これ以外にも、勤務先の職員として、給与を受けながら留学できるケースもあります。周囲に相談するなどして、よい方法を探してみましょう。

医学教育振興財団川崎学園・グリーンテンプルトンカレッジフェローシップ

【助成内容】旅費1000ポンドまで、滞在費2000ポンド×滞在月数。
【応募資格、条件】原則として満40歳以下であること、2年以上の卒後研修を修了していること、帰国後、学んだ内容を日本の医学教育に役立てられる立場の勤務先が確保されていることなど。

上原記念生命科学財団 リサーチフェローシップ

【助成内容】渡航費および滞在費1年分として400万円以内を助成。
【応募資格、条件】博士号を有するか、またはそれと同等以上の研究業績を有すること、留学中の年間名目収入が600万円以下の者、など。他の機関の大型助成との重複受領は認めない。

上原記念生命科学財団 ポストドクトラルフェローシップ

【助成内容】渡航費および滞在費1年分として400万円以内を助成。
【応募資格、条件】助成期間中は留学先および現在の所属研究機関等から給与、渡航費、滞在費等の給付を受けないことなど。

聖ルカ・ライフサイエンス研究所 臨床疫学などの若手研究者の海外派遣助成

【助成内容】300万円
【応募資格、条件】条件を満たす推薦者からの推薦があること、TOEFL iBT 80点以上またはTOEIC700点以上であること、他の財団または基金などから同じ時期に援助を受けていないことなど。

持田記念医学薬学振興財団

【助成内容】50万円
【応募資格、条件】45歳未満であること、過去3年間本財団からの助成を受けていないこと、所属する研究機関の推薦を受けられること、留学開始が募集年度内で期間が1年以上であることなど。