医学生 × 文系研究者
同世代のリアリティー

文系研究者 編(前編)

医学部にいると、なかなか同世代の他分野の人たちとの交流が持てないと言われます。そこでこのコーナーでは、医学生が別の世界で生きる同世代のリアリティーを探ります。今回は「文系研究者」をテーマに若手文系研究者3名と医学生3名の6名で座談会を行いました。
同世代

今回のテーマは「文系研究者」

医学生とは一見関わりがなさそうな文系の研究。その知られざる世界や、文系研究者とのコラボレーションの可能性など、同世代が語り合いました。

文学部の研究内容あれこれ

郷津(以下、郷):僕は近世の日本文学が専攻です。江戸時代に本居宣長や賀茂真淵らが発展させた、国学という学問を研究しています。思想の研究に近いので、日本文学の分野だとちょっと特殊な例ですね。文学研究では、個別の作家や作品を対象にする研究のほか、古典文学のたくさんの写本の中から作者による原本に一番近いものを確定する、文献学のようなアプローチもあります。

鈴木(以下、鈴)僕は美学芸術学専攻ですが、やっていることは郷津さんと少し似ていて、ジャック・ランシエールというフランスの哲学者の思想について研究しています。
美学芸術学の分野ではほかに、音楽の作品はどの段階で作品になるのか、といったことも研究の題材になりますね。

吉田智哉(以下、智)どういう意味ですか…?

:例えば、クラシック音楽には楽譜があって、演奏して、それを聴くという過程がある。そのなかで指揮者によって曲の解釈が違っていたりしますよね。それでは、僕たちがその曲を指したときに、どの程度の広さのことが言われているのか、などと考えたりするんです。

:そんなこと、考えたこともありませんでした。

久松(以下、久)僕は宗教学を専攻しています。日本仏教によるケアや社会貢献といったことに関心があります。宗教学の研究対象は、結構幅広いんです。僕の同期だと、フランスの政教分離について扱う人もいれば、ゾロアスター教の研究をしている人もいます。やっていることは本当に人それぞれですね。

何を動機に研究するのか?

:僕たちのやっていることって、医学部生と違って実用性がないですよね(笑)。僕は正直、自分の研究内容を社会に還元できるみたいな手応えは感じていないんです。お二人は、そういうことを考えていますか?

:できたらいいなとは思うけど、別にそれを第一の目的としてやっているわけではないかな。研究内容に興味があるから解明したいし、ずっと調べていたい。あとは本を読むのが楽しいので、ずっと本を読んでいたいですね。

:医学部の皆さんは勉強していて何が面白いと感じますか?

吉田百合香(以下、百):低学年の頃は、人体の組織や構造について勉強しているだけでも、人間の体ってすごいなと思って、面白かったですね。5年生になって実習が始まってからは、自分が将来診療している姿が想像できて楽しいなと感じます。

中安(以下、中):私は実技はまだあまりやっていないのですが、授業を受けていると、自分が勉強していることが患者さんの生死や健康に関わるのだと思えてきて、一つひとつ大切なことだという実感が湧きます。技術を学ぶことも面白いけれど、人の役に立つことを学びたい。やはり、患者さんや社会といった、大きなものの存在があるからこそ頑張れているのかな、と思います。

 

医学生 × 文系研究者
同世代のリアリティー

文系研究者 編(後編)

これからとこれまで キャリアはどうする?

:皆さんは、この先どんな進路に進むことを考えているんですか?

:僕は実家がお寺で、いずれ継ぐことになっているんです。学部を卒業したあと修行に行って、しばらくは大学院で研究を続けますが、将来は住職になることが決まっています。

:久松さんの場合はレアケースですよね(笑)。一般的には、文系研究者が社会に出る方法の王道は、大学教員になることです。大学が出している公募に応募して、ご縁があれば就職できる。または、教員免許を取得していれば、中学校や高校の先生にはなれるので、食べていくことはできます。学芸員資格を持っていれば、博物館や文学館の学芸員として働く人もいます。

:適当なポストが得られるまでの間は、皆さんずっと大学で研究を続けているんですか?

:毎年、やめてしまう人も何人もいますよ。狭き門ですね。

:大学院を出たからって、その先どうなるかほとんどわからないんですね。

:将来のために僕たちができることは、たくさん論文を書くことだけですよね。

:とにかく出さないより出したほうがいい。東大の日本文学の研究室なら、東大以外の学術誌に論文を最低5本掲載しないといけません。それで全体の内容が認められれば大学院を出ることはできるけれど、出たあとにどうなるかは、さっき話した通りで保証はありません。

:僕の所属する研究室もだいたい同じ感じですね。本数の規定は特にありませんが、年に1、2本論文を出して、それをまとめて博士論文にして博士号を取得すれば、院を出ることはできます。

:将来が不安になることはありませんか?

:僕は、自分の興味関心に忠実に生きているんです。好きなことをやっていられたら幸せで、それでお金がもらえたらなお良い。それが世間の役に立つんだったら、それはありがたいことだな、くらいの考えなので、明確なキャリアプランのようなものは特にありません。

:医学生の皆さんは、きっともっと具体的な目標があるんですよね。

:でも、私もまだ明確に決まってはいないです。今は自分の選択肢を増やす時期だと思っているので、興味がある分野も、そうでないものも、しっかり勉強しておこうと思っています。

進路を選んだのはいつだった?

:高校生の頃は自分の将来をどう考えていましたか?

:高校時代は、大学院の存在も知りませんでしたよ(笑)。

:僕は高校の時から大学院で哲学を研究することを考えていました。映画にもなった『ソフィーの世界』という本を読んだのがきっかけで、哲学に興味を持ったんです。

僕は、東大に入ればやることは後から決められると考えていて、とにかく受験しました。最初は教育学部に進学したのですが、その頃から仏教関係の本を読み始めて、文献だけに縛られない宗教学のアプローチに興味を持ちました。

:医学部の皆さんは、高校生の段階で「私は医師になる」って決めていたわけですよね。僕らからしたら、それってすごいことだと思いますよ。

:私の高校はボランティア活動が盛んで、病院のお掃除に行く機会などがあったんです。そういうときに経験した、「人に感謝されるのっていいな」という感情が原点になったのかなと思います。あとは純粋に、人間の体ってどうなっているんだろうという興味もありましたし。

:僕は、高校のころから脳科学に興味があったんです。それで先生に進路を相談したら、医学部に行くのが手っ取り早いって言われて。臨床研究って、医師免許がないとできないですよね。今はもちろん臨床にも興味がありますが、医学部に入ったきっかけは研究ヘの関心でしたね。

文系研究者と医師は協働できるか?

:僕は、宗教というのは、死をデザインする役割を持っているのかもしれないと感じることがあります。身近な人を亡くしたとき、その意味付けって必ず必要だと思うんです。例えば僕は祖父を亡くしたとき、最初はつらかったけれど、両親がかけてくれた言葉によって祖父の死が腑に落ちたというか、納得できた部分があったんです。だけど、家族ができることには限りがあるし、医師や医療者も、故人の死に対する意味付けがなかなかできていないのが現実なのかな、と思います。医師はどうしても、死に慣れてしまうところがあると思うので。

:お坊さんの世界では、「この仕事は慣れたら終わり」ということはよく言われます。

:医療に関する倫理的な問題については、医療から離れた立場の人が関わって議論していくことも重要ではないかと感じます。例えば、家族や本人が延命治療を望んでいないのに、訴訟を起こされたくない医師が治療を続けてしまう、といったケースも考えられますよね。とても難しいところですが、そんなとき、医療職はどうしても「立場」に縛られてしまうことがあると思うんですよね。だからこそ、少し離れたところから純粋に現象を観察して論理を組み立てることができる文系研究者の皆さんに議論に加わっていただくことが必要なんじゃないかと思います。

:確かに、現場から離れているからこそできることがあるかもしれませんね。

:私も、医療倫理の授業を受けた時には、その場では結論らしいものは出なくて、「議論してそれについて考えることが大事」というようなことを言われましたね。わかるような、わからないような…という気持ちになりました。

:きっと、正解は医師が出すものではなく、患者さんが出すものなんですよね。医師は患者さんが自分の答えを見つけるための手助けをすることしかできない。でも、可能な限り患者さんの考えを尊重するために、医師側が考えを深めていくことは必要だと思います。そして、そのために文系の方たちのお力をぜひお借りしたいですね。

 

No.19