医療保険が直面する問題(前編)
「収入」と「支出」のバランスが崩れ、皆保険の持続性が揺らいでいる!
※数値は、2011年第46回社会保障審議会医療保険部会資料より
収入と支出のバランスが崩れている
現在の日本では、すべての国民が医療保険のお陰で必要な医療を受けることができます。しかし、この国民皆保険は今危機に直面しています。医療保険における収支のバランスがとれなくなり、多くの保険者の財政状況が悪化しているのです。
医療の「支出」とは医療にかかる費用、また医療の「収入」とは国民が納めている保険料と患者の窓口負担です。現在はまだ、今までの貯蓄を切り崩すことで成り立っていますが、今後も収入が減って支出が増えれば、いずれ制度が維持できなくなってしまいます。
では、収支のバランスが取れなくなっている原因を詳しく見てみましょう。
医療費の増大の原因
「支出」が増えている、つまり医療費が増えている主な原因は2つあります。
ひとつは高齢者人口の増加です。図1のように、医療費のうちの半分が65歳以上にかかっているというデータもあります。
もうひとつは医療技術の高度化です。技術が進歩し高度な医療が受けられるようになったことは、国民の健康を大きく支えていますが、その分お金もかかります。例えば昔からあるX線撮影は1回1千円程度ですが、最近はよく使われるMRIの撮影は1回で1万4千円といったように、医療行為の単価も上がっているのです。
保険料収入の減少の原因
一方、「収入」が減っている、つまり保険料の確保が難しくなっている主な原因も2つあります。経済低成長と労働人口の減少です。これを考えるにあたり、少し医療保険の歴史を振り返ってみましょう。
国民皆保険が成立した1961年当時、日本は経済的にも成長し、雇用も安定していました。労働者人口も多く、保険料が充分に確保できていたため、その後は高齢者の分も若い世代が補っていくという形で制度が整えられました。象徴的な出来事として、1973年の老人医療費無料化があります。この制度により、高齢者の自己負担が無料となりました。
しかし、1990年代のバブル経済崩壊後、日本は経済的に不安定な時代に突入しました。加えて近年は、労働者人口が減ったことで保険料収入も減少しています。こうして、若い世代が高齢者を支えていく形の制度にほころびが見え始めています。
医療費を抑制する?
こういった現状を踏まえ、国は医療における「支出」を減らそうと、医療費の抑制策を取っています。実際に、1990年代以降、医療費の伸びは少なくなっています。しかし、医療費を無理に抑制することには大きな危険があります。
医療費は、主に設備や薬剤の費用と、医師や看護師などの人件費に分けられますが、医療が高度化する現在、設備や薬剤の費用を圧縮することはなかなかできません。こういった状況では、医師や看護師の人件費を減らさなければ、医療機関の経営が立ち行かなくなってしまいます。その結果、医師や看護師が減った医療機関が倒産したり、勤務医の過剰労働を誘発するなどの問題が起こっています。つまり医療費の抑制は、医療提供体制の根幹を揺るがす事態につながってしまうのです。
一部の医療の保険適用を抑える?
それならば、一部の医療に対して保険の適用範囲を狭くすれば医療費の増大を防げるのではないか、という意見があります。しかし、これは「混合診療」の全面解禁という議論につながり、大きな問題があります。
日本の公的医療保険では、保険で受けることができる診療の範囲が厚生労働大臣によって定められています。もし高度な医療に対して保険を適用しないということになったら、経済力のある人とない人の間で、受けられる医療に格差が生まれてしまう危険性があるのです。実際に、公的な医療保険のないアメリカでは貧富による医療格差が生じており、経済力がないゆえに、必要な医療を受けられない人も多いのです。
こういった背景から、現在の制度では、保険の範囲内で受けられる診療(保険診療)と保険の範囲外の診療(自由診療)を併用する「混合診療」は原則的に禁止されています。
医療保険が直面する問題(後編)
「支出」を減らす?「収入」を増やす?どちらも無理があるのではないか
高齢者の負担を増やす?
それでは逆に、医療保険における「収入」を増やす方法としてはどのようなものがあるのでしょうか。そのひとつが、高齢者の負担を増やすことです。
高齢者は自己負担が無料だった時代もありましたが、現在は70歳以上の高齢者は1割を支払うことになっています。また、もともと高齢者は国民健康保険に加入していたのですが、2008年度から75歳以上の高齢者は国民健康保険から分離されました(後期高齢者医療制度)。増え続ける高齢者の医療費を、国民健康保険の保険料収入と他の保険からの補填でまかなうことが難しくなったためです。
高齢者の保険料が年金から天引きされることになった、とニュースで話題になったこともあり、後期高齢者医療制度は高齢者に対して負担を強いるものとして捉えられがちです。確かに高齢者の負担が増えたのは事実ですが、それでもこの制度の給付財源は5割が税金、4割が他の保険からの支援金で賄われており、高齢者自身が負担する保険料は1割に過ぎません。つまり、若い世代が納める保険料や税金によって高齢者を支えるという構造は依然として残っているのです。
経済低成長と労働者人口の減少によって、保険料だけでなく安定的な税収入が得にくくなっていることもあり、制度自体の見直しも検討されています。
世代間に格差が生まれる?
さらに、このように現役世代から補填する形で「収入」を増やそうとすると、世代間に格差が生まれる恐れもあります。2006年の厚生労働省の調査(図2)によると、今後の負担増について、70歳以上では現役世代が負担すべきだと考えている人が多く(「高齢者の負担増はやむを得ない」が18.3%、「現役世代が負担すべき」が35.5%)、対して30~39歳では高齢者の負担を増やすべきと考えている人が多い(「高齢者の負担増はやむを得ない」が26.5%、「現役世代が負担すべき」が23.8%)のです。つまり現役世代が、「負担が不公平なのではないか」と感じていると言えます。
しかしそうは言っても、今後も誰もが医療を受けられる世の中を維持するためには、何らかの形で国民が負担を分かち合い、この制度を支えていかなければなりません。いっそすべて税金にしてしまおうという考え方もありますが、その場合はもちろん増税が必要になります。
保険料にせよ税金にせよ、今後私たち若い世代が支払っていくことに変わりはありません。財源の問題は、今後の医療保険制度において大きな課題のひとつなのです。
プロフェッショナルとしての責任
今までの話は制度の話でした。確かに課題は山積していますが、ではこれから医師になるみなさんは具体的に何をすればいいのか、イメージしにくいと思います。そこで最後に、医療者に求められることについてお伝えします。
医師は、医療の知識を豊富に持つ、診療を行うプロフェッショナルであり、国から医療を提供することを許された立場です。最近ではインフォームド・コンセントも浸透してきていますが、実質的に医療サービスの提供は医師の裁量にかかっています。ですから医師は責任をもって、患者のためになる医療を行わなければなりません。
医療財源が苦しい中、過剰な医療を行うことは、結果として医療保険のしくみ全体の持続性を揺るがしかねません。また、一部の医師の不適切な振る舞いは、医療業界全体の信頼を低下させることにもつながります。
例えば、時間の無い外来の中で、本当に処方薬のすべてが必要かどうかを見直すことは、患者のためだけでなく、適切な医療供給という意味でも重要です。皆が安心して医療を受けられる制度を維持していくためには、医師自身がプロフェッショナルとしての自覚を持って、国民が「負担を分かち合いながらでも支えていきたい」と思うような、信頼できる医療を提供していかなければならないのです。
図2出典:「平成18年 高齢期における社会保障に関する意識等調査(厚生労働省)」
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