患者に学ぶ

香川 由美さん(1型糖尿病)

協力団体:患医ねっと NPO法人患者スピーカーバンク
インタビュアー:宝田 千夏(昭和大学医学部3年)、中澤 圭史(昭和大学医学部3年)

人は“病”をどう受け止め、どう感じ、“病”とどう付き合っていくのでしょうか?この企画では、様々な疾患を抱えながら生活する方々のインタビューを通して考えます。

―― 発症した頃のことを教えていただけますか?

香川(以下、香):私が1型糖尿病を発症したのは9歳の頃でした。ひどいだるさが長く続いて、病院を受診しても原因がわからないままだったのですが、ある日家でバタンと倒れ、血液検査と尿検査の結果、糖尿病だとわかりました。親は悲しんだそうですが、その時私自身はあまり落ち込みませんでした。小学生だったし、親の管理のもとにインスリン治療をしながら暮らすぶんにはそれほど周囲との違いを感じませんでした。

しかし中学・高校になると、放課後に部活動や塾通いをするようになり、食事のタイミングによって体調が変動することが多くなりました。行く前に食べると高血糖に、食べずに行くと低血糖になるという感じです。高血糖では体がだるくなり、低血糖になると手足の震えや動悸が出て意識を失うこともあるので、インスリン投与量を調整し、血糖値をコントロールする必要があるのですが、先生に教えられた方法が必ずうまくいくわけでもありません。運動で血糖値が下がるので、水泳部の私はプールサイドに砂糖水を置いて、練習の途中に飲んでいました。「みんな普通なのに、どうして自分だけこんなに苦労しなきゃいけないの…」と、周囲との違いをすごく意識した時期でした。

―― 毎日血糖管理をしなければならないというのは、ストレスになりませんでしたか?

香:私は元々何にでも積極的で前向きな性格なのですが、健康面だけはずっと自信が持てませんでしたね。勉強や友達付き合いは頑張ればなんとかなるのに、糖尿病はどうしてこんなに私の足を引っ張るんだろう…と。大学時代には低血糖が怖くて過食気味になり、食べては吐いてを繰り返したこともありました。

―― 病気へのマイナスの感情を克服したきっかけは?

香:大学卒業後1年間は教員として働いていたのですが、仕事が忙しくて血糖コントロールがうまくできず、だるさで仕事ができない状態になって退職しました。主治医に膵島移植手術をしたいと訴え、大学病院を受診したりもしましたが、合併症のなかった私は手術の優先度が高くなく、またドナーになる父が糖尿病になる可能性があると聞きました。「手術を選択する前にまだまだ自分でできることがあるのでは…」と自問自答を繰り返していたとき、主治医が患者会を紹介してくださったんです。

そして出会ったのが、慢性疾患セルフマネジメントプログラムでした。スタンフォード大学で行われており日本にも導入されたプログラムで、患者同士が6週間かけてワークショップを行います。そこにボランティアスタッフとして参加し、様々な慢性疾患の人たちと触れ合う中で、はじめて「病気の自分も人の役に立てるかもしれない」と思えました。

また、交流の中で何度かインスリンポンプ療法の良さを耳にしました。以前は体に機械をつけることに抵抗感がありましたが、前向きに挑戦してみようと思い6年前に導入しました。食事や運動といった日常生活の変化に応じてインスリンの投与量を柔軟に調節できて、とても使い勝手がいいです。機械の進歩もあって、「病気を自分で管理できている」という実感が持てるようになりました。今では自己管理は我慢ではなく、自分を自由にする手段だと思っています。

―― 今後の夢や目標を教えて下さい。

香:今後は、患者会やプログラムのボランティアを続けながら、昔の私のように苦しんでいる人が、その人らしく心地よく生活できる手助けをしていきたいと思っています。

インスリンポンプの使い方を説明する香川さん(中央)

香川 由美さん
兵庫県出身。9歳で1型糖尿病を発症。大学卒業後は中学校教員として勤務するも1年で退職。その後、慢性疾患セルフマネジメントプログラムのワークショップにスタッフとして参加。感銘を受け、その結果をエビデンスとして残したいと感じ、東京大学大学院に進学。修士課程修了後、日本看護協会に就職。認定看護師の認定業務に携わっている。