ケース・スタディ 在宅医療の現場から(1)
学生参加のスタディ・ツアー初日。午前の外来が終わり、午後2時ごろから訪問診療を開始する。本日の1件目の患者さんは80代の女性Aさん。肝臓をはじめ、高血圧や不整脈などの基礎疾患を持っている。日常生活はある程度自立しているが、若干の認知機能の低下がみられる。また、膝に痛みがあり、整形外科への通院歴は長い。
Aさんの家は、診療所から車で10分ほど、市内では比較的利便性の高いところにある。小雨のぱらつく中、車を近くの路地に停め、足早に玄関へと向かう。木造2階建ての家の玄関を入ると、すぐ左にある居間からふわりと線香の匂いがする。普段は一人暮らしのAさんだが、この日は息子さんが一緒に出迎えてくれた。晩夏のじっとりとした空気の中、蝉の鳴き声が窓の外から響いてくる。
私たちが訪れる少し前、ずっと病院で療養していた旦那さんが亡くなったそうだ。お盆休みで息子さん家族がたまたま帰ってきていたときの急変だった。居間の仏壇には、真新しい白木の位牌と骨壷が置かれている。通夜や葬儀がバタバタと行われ、親戚や知人が挨拶に訪れたりと、慌ただしい日が続いたのだろうということは容易に想像がついた。今は多少落ち着いたのだろう、息子さんだけが家に残って、Aさんの生活の様子をみているようだ。
先生が話を聞くと、Aさんは前回に比べて、手の震えが気になるようになったという。茶碗や箸を持とうとするとき、上手くいかずにイライラするのだ、と。実際に麦茶の入ったコップを持って、その症状をみせてくれる。先生はそれをみて、パーキンソン病の初期症状かもしれないと話す。歳を取るとどうしても筋力が低下し、物を持つのが難しくなること、まだ薬を飲むほどの状態ではないことを伝えると、本人も息子さんも納得の様子だった。
息子さんの話によれば、「自分が帰ってきてから数日の間に、母がどんどん弱ってきているように見える」とのこと。葬儀が終わってから、ずっと寝たり起きたりの生活を繰り返しており、この日の朝も「起き上がれない」と漏らしていたそうだ。また、トイレに行くとなかなか出てこないので様子をうかがってみると、便がゆるいのか、間に合わずに失禁してしまっているという場面を何度か見たということだった。そんな状況をほとんど見たことのなかった息子さんは、ひどく心配になったという。葬儀の前後は常に家族が家にいたため、心配はなかったが、これからまた一人暮らしに戻っても大丈夫なものだろうかと考えると不安な様子だ。
先生は、別々に暮らしている息子さんにもわかるよう、これまでの経緯を説明する。Aさんは以前からひどい便秘に悩まされており、2種類の下剤を処方していること。ただ、食事や水分の摂取量によって便の出方も大きく変わるので、様子を見ながら本人に薬の量を調整してもらっていること。夏はどうしても脱水の症状が起こりやすいので、便が硬くなる傾向があること。本人もそれをわかって薬の調整を行っており、これまでにも失敗して何度か失禁してしまったことがあること…。その話を聞いて、息子さんはいくらか安心したようだったが、葬儀の後でAさんに疲れがたまっていることは間違いないので、仕事を休める間は少しでもAさんの面倒をみようと考えているそうだ。
(写真中)まずは外来を見学。診察の際は、患者さんのことだけでなく、その家族の様子などについても話を聞いているとのこと。
(写真右)注射や、皮膚にできたイボを取る手術なども髙栁先生に見学させてもらった。
ケース・スタディ 在宅医療の現場から(2)
介護する家族も含めてケアする
田園地帯から、緑あふれる丘を上がったところにある、エレベーターのない公営住宅の2階を訪れる。綺麗に片付いた2DKの部屋で診療を待っていたのは、高血圧・高血糖など5つの病気が合併した80代の女性Bさんだ。1年ほど前までは、自分で車椅子に移動したり会話をしたりもできたそうだが、尿路感染症を繰り返し患い、転倒して骨折するなどといった怪我も重なって、現在は完全に寝たきりの状態になっている。
娘さんが同居しており、以前は娘さんがBさんのトイレや入浴などの介助をしていたこともあった。しかしBさんの自立度が低下していくにつれ、独力での介助は娘さんの大きな負担になるようになった。
そんな中、動脈硬化の悪化によって足の指が壊疽し、感染はないものの、指を切断しなければならない状態になった。しばらく入院して治療を行っていたが、このとき娘さんは心身が不安定になったという。「最後まで自宅でみたい」という気持ちと、「24時間365日、自分ひとりで介護できるのか」という不安が、葛藤を生んだのだろう。お見舞いには毎日訪れていたらしい。
Bさんの主治医で、かつ娘さんの主治医でもある先生によれば、娘さんはストレスからか血尿が出たりもしていたそうだ。先生は、Bさんだけでなく娘さんのケアも行わなければと考え、何度も話し合いの場を設けた。そして、医療・介護サービスを利用して、できる限り介護のサポートをすると約束し、自宅療養に切り替えた。
退院後は、Bさんも娘さんも安定した状態で、幸せそうに過ごしている。本日の診察でも特に異常はなく、足の壊疽も落ち着いていた。娘さんの話によれば、Bさんは最近食欲もあり、便の状態もよいそうだ。病院に入院していたときよりも受け応えがハッキリとしてきて、テレビを見ながら声を出したり、人の話を聞いて喜怒哀楽を示したりという反応がよくみられるようになったという。ヘルパーさんにも「よく人の話を聞いているんですね」と驚かれるほど、とのこと。
今後の課題は、娘さんの休息をどう確保するかだ。退院した直後は、Bさんを1泊2日のショートステイに預けるのもためらわれるほど、介護への依存度が高くなってしまっていた。少しの間でも顔が見られないことが不安で仕方がなく、Bさんの傍を離れられなかったのだそうだ。今ではショートステイにも慣れてきたが、その間も掃除や洗濯、一週間分の食事の前準備などに追われて、自身の休息やリフレッシュの時間をとるほどの余裕はないという。友人と連絡をとったりすることもなく、人間関係も狭まっている様子だ。周りの人からは「それならショートステイの時間を増やせばいい」と言われたりもするが、それも忍びないし…と娘さんは言う。
「本当は好きな映画でも見に行けたらいいねえ」と娘さんに一言かけて、私たちは家を後にした。
(写真中)茂木先生から指導を受ける医学生の小池さんと大島さん。
(写真右)部屋にはBさんと娘さんの思い出の品が飾られる。
ケース・スタディ 在宅医療の現場から(3)
入居型介護施設への訪問診療
訪問診療先は患者さんの自宅ばかりではない。今回のスタディ・ツアーでも、入居型施設への訪問診療を見学させていただいた。
まず、施設への移動中、医師は訪問診療に同行する診療所の看護師から、この日に診察予定の患者さんの情報をヒアリングする。施設につくと、カルテの情報をチェックしながら各部屋を回り、それぞれの患者さんを診察する。この診察自体は、自宅への訪問診療の場合とそう変わらない。患者さんからいろいろな話を聞き出し、治療や投薬の判断や、その説明をしていく。
しかし、自宅へ訪問する場合と大きく違うところが2点あった。
1点は、医師の診察の場面には、現場のスタッフよりも、事務責任者が同行している場合が多いことだ。医師の診断内容を入居者の家族へ説明する必要が生じた場合のために、メモを取っているのだそうだ。もう1点は、同行した看護師のフットワークの軽さだ。前述のように、診療中の居室に現場スタッフがいない場合も多いため、廊下や共有スペースにも積極的に足を運んで、普段の患者さんの様子やスタッフとのかかわりなどを聴き取っている。施設での訪問診療の場合、限られた時間の中で患者さんとコミュニケーションを取り、家族やスタッフとも情報共有をして、さらに普段のケアについての指導も行うといった一連の流れを、医師1人で全てこなすのは難しい。そこで、看護師が情報共有における重要な役割を果たしているのだそうだ。
ひとつ印象的な出来事があった。ある80代の女性患者Cさんの診療を終えた後のことだ。
医師が居室を後にし、その後を同行の看護師と施設勤務の看護師が話しながらついて行く。雑談を交えながら、Cさんの最近の様子を話していると、「最近Cさん、よく目がゴロゴロすると言っているのよね」と、施設の看護師。眼科勤務の経験があった同行の看護師は、気になったのかCさんの居室に戻る。Cさんに「目がゴロゴロするの? 見せてくれる?」と話しかけ、実際に見ると、結膜結石ができているということがわかった。
さらに話を聞けば、Cさんは息子さんが住む隣県の施設へ入居したため、かかりつけの眼科を変えたという。先生が変わったばかりで、自分の感じたことをうまく伝えられず、結膜結石を取ってもらえずにいたようだ。今日の訪問診療は内科のもので、眼科の診療はまた別の日なのだが、同行看護師は「もし可能であれば、先生に処置をお願いできないでしょうか?」と医師に働きかけ、医師はその場で結膜結石を取り除いた。Cさんはずっと感じていた違和感がなくなり、安心した様子だった。
医師が本人から聞き取る以上の情報を、普段の様子をみている周囲のスタッフから収集し、適切なフォローをする同行看護師。施設における訪問診療では、特にその細やかな気配りが活きてくる。
(写真右)結膜結石を取り除いているところ。
(写真右)大杉先生に働きかける同行看護師。
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- 医師への軌跡:曽田 学先生
- Information:October, 2013
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- NEED TO KNOW:患者に学ぶ(周期性ACTH-ADH放出症候群)
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