在宅医療に携わる様々な医師(前編)

ひとえに在宅医療に携わる医師といっても、そこに行き着くまでには様々なキャリアがあります。今回ご協力いただいた先生方のあり方から、その多様性を見ていきます。

救急の最前線から開業し、在宅医療を始める

松口 武行先生(松口循環器科・内科医院 院長)

1978年 熊本大学医学部卒業
循環器専門医・日本在宅医学会認定専門医

飯塚病院の循環器診療部長、総合診療科部長、救急部部長、集中治療室部長を歴任し、その後、1999年に松口循環器科・内科医院を開院。救急の最前線で活躍してきたという自負はあったが、開業してみるとさらにその先があることに気づかされた。「特に循環器にいた頃は、『命さえ救えばいい』という思い上がりがあったなと思い知らされました。開業は、巨大な基地から、末端で白兵戦をやるところに出てきたような感じ。患者さんの家の茶の間まで入っていくようになって、病院にいた頃よりも、より患者さんの意に沿う医療を提供しようと思うようになりました。」

そう語る松口先生だが、開業当初は在宅医療にあまり積極的ではなかった。夜間まで責任を持ちきれるだろうかという不安がまずあったためだ。けれど、患者さんからどうしてもと頼まれることもあり、往診は行っていた。そんな中で、徐々に連携できる訪問看護ステーションを見つけていった。「ステーションは、いろいろなことをしてくれます。医師は判断すべき要所で行けばいい。けれど、使う薬を説明したり、死期が近づいていることを伝えたりなど、肝心なところのコミュニケーションは医師がしっかり行っていく必要がある。こうして患者さんやその家族と、医師との信頼関係をつないでいくわけです。」

開業から4年後、松口先生は在宅医療に本腰を入れて取り組み始めた。訪問診療を続けるうち、「在宅はこれからの医療のキーポイントなのではないか」と思ったという。現在では研修医や看護学生の教育にも力を入れており、今年は自院附属の訪問看護ステーションも開設した。「鞄ひとつだけを持って行くような昔の訪問診療とは違って、在宅医療につかわれる機器やデバイスも高度化されています。これは『古くて新しい医療だ』と感じました。在宅医療は、今後明らかに必要になってくる分野ですし、医師が責任を持って担うべきところだと考えています。」


患者やその家族にも、緩和医療の考え方を

渡邉 睦弥先生(竹田綜合病院 緩和ケア科・精神科)

1991年 東京医科大学医学部卒業
日本緩和ケア学会 暫定指導医

外科医から緩和ケア医に転向。ホスピスでのケアの経験を経て、鍼灸や漢方療法についても学んできた。現在は竹田綜合病院の緩和ケア科・精神科に在籍しており、外来・在宅での緩和ケアに加え、精神科で漢方外来も務める。がん拠点病院に所属する緩和ケア医が、病院内でのケアだけでなく在宅まで行っている事例は珍しい。「手の施しようがなくなった後に、外科や腫瘍内科から緩和ケア科に引き継がれることが多いので、緩和ケア医が患者さんとかかわれる時間はどうしても短くなります。たった2週間ほどの中で、患者さんとの信頼関係をどのように築いていくかが大きな課題。だから僕らはある意味乱暴で、会ったその日から患者さんのパーソナリティーにずかずかと踏み込んでいかざるを得ないところがあります。」

だからこそ渡邉先生は、普段から患者さんと接している地域の先生たちと連携しながら治療を行っていきたいと考えているという。継続的に信頼関係を築いてきた先生方がイニシアチブをとり、緩和ケア医は専門的な観点から提案をするような関係が望ましい、と。今がその連携体制を築き上げる過渡期であり、患者やその家族、ひいては国民全体に緩和医療に対する考え方を広めるところにもかかわっていかなければならないと感じているそうだ。

「終末期では、患者さん自身だけでなく家族が病気を受け止めきれない場合も多いです。そういう場合も、できる限り患者さんと家族の不安を引き出すような会話を心がけています。そういうコミュニケーションには、やはり在宅医療という場がふさわしい。周りの風景やそこにあるもの一つひとつに、患者さんを語るものがたくさんある場で、患者さんの思いに寄り添った治療をしていくこと。これこそ、今後のプライマリ・ケアを担う医師に求められるものだと感じています。」


在宅医療に携わる様々な医師(後編)

地元ではない新しい土地で、信頼関係を築く

髙栁 宏史先生(福島県立医科大学医学部 地域・家庭医療学講座)

2005年 北里大学医学部卒業
日本プライマリ・ケア連合学会 家庭医療専門医・指導医

この分野で先進的な教育を行っている福島県立医科大学の葛西龍樹先生から初期研修医の時に地域医療・家庭医療について紹介され興味を持ち、熊本出身ではあるが福島で専門研修を開始する。県内のいくつかの町で地域医療に携わって実践を積み、2011年に喜多方市地域・家庭医療センターが開院する際には、その院長を任された。現在も喜多方で暮らし、大学で助手のポストを持ちつつ、センターでも非常勤で勤務を行っている。「喜多方市で暮らして3年。僕が市内に住んでいると言うと、患者さんたちはやっぱりとても喜んでくれますね。他県から来た医師でも、地域の中で一住民として暮らしていけば、十分に信頼関係を構築することは可能だという実感があります。」

一回の外来だけではわからない、その人の人生や歴史、背景、価値観を知った上で患者さんを診ること。患者さんがいかに人生を終えるかという部分にもかかわることが多い在宅医療においては、医師患者間の信頼関係が大事だと髙栁先生は言う。「長く継続的に患者さんを診ていくことで、より深く背景を共有することができ、患者さんのより深いニーズに応えられる関係性が築けるのだと思います。僕も今の患者さんたちとの関係は、3年かけたから築いてこられたと思っています。けれど逆に、あくまでも3年でありそれ以上ではないということは、常に感じていなければならない。僕自身がここの出身者ではないわけですが、地域の患者さんにはそのことを温かく受け入れてもらっているという感覚があります。そういう意味では、やっぱり喜多方出身、もしくは会津地域の出身で、この土地にこのままずっといてくれる先生がいたら、もっと強い信頼関係が築けるかもしれません。地域に根づき、継続的にかかわっていくことから絆が生まれてくるのではないかと思います。」


「命を救う」だけではない医療のかたち

吉田 伸先生(頴田病院 臨床教育部長)

2006年 名古屋市立大学医学部卒業
日本プライマリ・ケア連合学会 家庭医療専門医

初期研修では救急科を選び、CPA対応のリーダーとして日々患者さんの対応に精を出していた。そんな中ふと、吉田先生は思ったという。「ずっと寝たきりで、ご家族の顔もわからない患者さんに集中治療をして、誰かを幸せにできることがあるのだろうかと考えてしまったのです。ERの横の霊安室を見ながら、人の亡くなり方ってこれでいいのかな…と。」

そこで、松口先生に相談し、松口循環器科・内科医院で在宅治療をしている、膵がん末期の患者さんのところに通ってみることにした。緩和ケアの知識もないし、何もできないけれど、顔だけ出して帰ってくる。それを毎日続けたところ、患者さんが亡くなった後、同居されていた妹さんが感謝していたと看護師から聞いた。「僕は何もできなかったし、患者さんは亡くなってしまったのに、どうしてありがとうって言ってもらえるんだろうと、なんだか感激してしまって。当時の僕は、救急では『亡くなる=病気に負けた』だと考えていたので、それでも感謝されるのはなぜだろうと不思議に思いました。それが、在宅医療に興味を持ち始めたきっかけです。」

初期研修2年目に、北海道家庭医療学センターに見学に行った。そこで、100歳の尿路感染症の患者さんに在宅で治療しているのを知った。「もし救急外来でこの患者さんが来たら、絶対に入院させていたと思います。けれど、この診療所では家で治そうとしている。頭をぶん殴られたような気分で、世界観がガラッと変わりました。」

この分野に入るのが遅かったことを、今でもコンプレックスに思うことがあるという吉田先生。けれど現場に行くと、自然と「相手のために時間を使おう」という気持ちになるそうだ。「誰に教えられなくても、何となくそんな気持ちになるんです。在宅という場自体が、そういう雰囲気を持っているのでしょうね。」