専門家に聞いてみよう―
組織のあり方を変える(前編)
ワーク・エンゲイジメントという考え方
――先生は、組織のメンタルヘルス対策について主に研究されているそうですね。
島津(以下、島):はい。これまで組織のメンタルヘルス対策において注目されてきたのは、「バーンアウト(燃え尽き)」でした。例えば医師ならば、患者さんがなかなか良くならない状況が続くと、「自分はなんて無力なんだ」という気持ちになりますよね。これは心理学で言われる「学習性無力状態」というものですが、頑張っても報われないことが繰り返し体験されると、人は頑張ること自体をやめてしまうのです。そうして疲れきってしまう状態がバーンアウトです。
――バーンアウトをできるだけ減らすことが、働く人たちの幸せにつながると考えられてきたのですね。
島:はい。ただ近年では、それだけでは充分でないのではないか、せっかく働くならばいきいきと働ける方が幸せにつながるのではないかという考え方が出てきたのです。これが「ワーク・エンゲイジメント」という考え方です。仕事に多くのエネルギーを費やしながらも、仕事をポジティブに捉えることができている状態をワーク・エンゲイジメントが高い状態と呼び、この状態を作り出すことを考えようということです。
――ただ、実際には仕事に多くのエネルギーを費やしていても、ポジティブに働いているとは言いがたい医師も多いような気がします。
島:ここで気をつけなければならないのは、ワーク・エンゲイジメントとワーカホリズムとの違いです(図)。多くのエネルギーを費やしているという点は両者に共通していますが、なぜ費やしているかの理由が全く違っているんです。ワーク・エンゲイジメントの高い人は、仕事が楽しく、好奇心を持って仕事に取り組んでいるのに対し、ワーカホリックの人は、仕事から離れることへの不安や罪悪感が強いんです。前者が“I want to work.”なのに対し、後者は“I have to work.”なんですね。この違いは、仕事の成果やストレスの増減に大きく影響してきます。オランダの研究*1では、ワーク・エンゲイジメントが高いほど医療ミスの報告が少なく、逆にワーカホリックの場合は医療ミスの報告が多いという結果が紹介されています。また、日本人の労働者を2年間追跡した調査*2では、ワーク・エンゲイジメントが高いほど、仕事への満足度・仕事へのパフォーマンス・家庭生活への満足度などの各項目の点数が高いという結果が出ているんです。
専門家に聞いてみよう―
組織のあり方を変える(後編)
ワーク・エンゲイジメントが高い状態を保つには?
――ではどうすればワーク・エンゲイジメントが高い状態を保てるのでしょうか?
島:それには2つの要因があります。ひとつは環境的な要因です。ワーカホリックの人をヒーロー・ヒロインと見なすような風潮があり、そういう人が良いモデルとされる環境では、ワーカホリックの連鎖が続いてしまいます。ですから、管理職や指導医が、ワーカホリックを賞賛していないか、自らがワーカホリックになっていないかに常に気をつける必要があるでしょう。もうひとつは個人の意識です。自分で全て完璧にやらなければと思ってしまうと、ワーカホリックになりやすくなります。最近では医療クラークなど、医師の仕事をサポートする役職を設ける病院も増えています。こうした人たちにサポートを求めやすい環境づくりも必要とされるでしょう。
――具体的には、どのような組織的アプローチが考えられるのでしょうか?
島:先進的な事例では、職場環境の改善のための参加型アプローチが挙げられます。ボトムアップ型の改善策を打ち出すことで、より現場に即した改善ができるのです。具体的には、病棟単位でメンバーを募り、起こっている問題とその解決策を話し合って、それに対するアクションプランを作るのです。そして現場全体で改善に取り組み、その効果を3か月ごとに振り返り、改善できたチームは表彰します。そうしたアプローチには、やはり管理職の理解が不可欠だと思います。
良いパフォーマンスを提供するための施策を組織全体で考える
――「組織全体で働きやすい職場を目指そう」という意識が必要になりますね。
島:そうですね。結局のところ医療機関や医師個人が、対人援助職として良いサービスを提供するためにはどうすればいいかを考えることが重要になると思います。いかに良いパフォーマンスを発揮して、質の高い医療を提供するかを、組織として考えていく必要があるでしょう。その際、私はスポーツチームのやり方も参考になると思っています。近年はスポーツの分野にも科学的要素がずいぶん取り入れられてきており、良い休みをとることが良いパフォーマンスにつながるという考え方のもと、試合が終わったらアイシングしたり、氷風呂に入ったりと、積極的に休息をとっているんです。「アクティブ・レスト」という考え方なのですが、こういう考え方をもっと医療業界にも取り入れていくことが有効なのではないかと思っています。
東京大学大学院医学系研究科 精神保健学分野 准教授
1993年早稲田大学第一文学部心理学専修卒業。2000年同大学院博士後期課程修了。広島大学大学院教育学研究科専任講師、助教授、オランダ・ユトレヒト大学客員研究員を経て、2006年より現職。「ワーク・エンゲイジメント」「ストレス対策」「ワークライフバランス」をテーマに、企業組織における人々の活性化・メンタルヘルスを研究している。
編集部からのコメント!
部活や学生活動に置き換えて考えてみよう!
この話は遠い世界のことだと感じるかもしれませんが、部活や学生の活動でもよく起こることなんです。部活やサークルの中心メンバーがいろんな役割や仕事を引き受けて忙しそうにしていたり、とにかく練習時間や頻度を増やしたりするという話をよく聞きます。目標を達成するための有意義な取り組みになっていればいいのですが、「頑張ることが目的」になってしまうことも少なくありません。そうなると「多くのエネルギーは費やしているけれど不快な状態」、すなわちワーカホリックに近づいてくるでしょう。共通の目標があって、意味のある練習ができていて、それが成果につながっている…という実感があれば“I want to work.”の状態になりますが、今日も練習に行かなきゃいけない、疲れているのに仲間もいるから休めない…となると“I have to work.”になってしまう。仕事と同じ状況が部活でも起こりうるのです。
そして、医学部の勉強にも似た側面があります。勉強する内容に興味や好奇心を持って取り組み、日々「わかる/できる喜び」を味わえていれば勉強に前向きに取り組めますが、残念ながら多くの医学生がテストに追われ、「やらなければならない」という気持ちで勉強しているように感じます。勉強に疲れて燃え尽きそうになっている方は、この「ワーク・エンゲイジメント」を高めるような考え方をしてみてはいかがでしょうか。
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