医師のみなさまへ

医の倫理の基礎知識 2018年版
【医師と患者】B-8.医師の守秘義務

手塚 一男(日本医師会参与・弁護士)


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 医師の守秘義務とは、医師・患者関係において知り得た患者に関する秘密を他に漏洩してはならないという医師の義務のことである。このような義務が医師に課される理由は、心身に不具合をもつ患者はそのことを他に開示したくないのが通例であるし、また特に医師にとっては、よき医療を施すためには患者からの率直な事実の開示が不可欠であり、そのためには開示した事実が他に漏洩されることがないという医師に対する信頼がなくてはならないと考えられるからである。

 医師の守秘義務は、後述するとおり法的義務ともなっているが、本来は専門職業(プロフェッショナル)に従事する医師の倫理上の義務であった。古くは、「ヒポクラテスの誓い」において、「治療の機会に見聞きしたことや、治療と関係なくても他人の私生活について洩らすべきでないことは、他言してはならないとの信念をもって、沈黙を守ります。」と述べられている。1948年に世界医師会(World Medical Association;WMA)によって採択されたジュネーブ宣言においても守秘義務について、「私は、私への信頼のゆえに知り得た患者の秘密を、たとえその死後においても尊重する。」と述べられている。

 医師の守秘義務は、倫理上の義務としてのみでなく、法的義務としても問題になる。わが国において医師の守秘義務違反については、プライバシー侵害等の不法行為に該当するか否かをめぐり、民事上の責任が問われることもあるが、明文でこの問題を取り上げているのは刑法の次の規定である。

 刑法134条(秘密漏示)第1項
「医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、・・・の職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、6月以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。」

 この規定の適用が実際上問題になるのは、主に「正当な理由」の有無に関してである。より具体的に述べると、正当な理由があり、したがって違法性はないとされるのは、①法令に基づく場合、例えば、母体保護法に基づき人工妊娠中絶につき都道府県知事に届け出る場合や結核予防法に基づき保健所長に届け出る場合等、②第三者の利益を保護するために秘密を開示する場合(ただし、この場合には、開示の必要性と開示によって損なわれる利益の性質および程度等を相関的に考慮した利益考量に基づいて、その当否を決定すべきものとされる)、③本人の承諾がある場合、などである(大コンメンタール刑法第2版第7巻346頁以下)。実際の裁判例として、最高裁平成17年7月19日判決は、「医師が、必要な治療又は検査の過程で採取した患者の尿から違法な薬物の成分を検出した場合に、これを捜査機関に通報することは、正当行為として許容されるものであって、医師の守秘義務に違反しない」と判示している。

 日本医師会の「医師の職業倫理指針」では守秘義務を免れるのは、患者本人が同意・承諾して守秘義務を免除した場合、あるいは患者の利益を守るよりもさらに高次の社会的・公共的な利益がある場合としている。

 以上が倫理上および法律上の医師の守秘義務の基本的な内容であるが、守秘義務遵守の要請は、近年になっていくつかの例外を認める方向に変化してきている。たとえば、WMAの「医の国際倫理綱領」(International Code of Medical Ethics)は、2006年の修正において、「医師は守秘義務に関する患者の権利を尊重しなければならない」としつつ、「①患者が同意した場合、または②患者や他の者に対して現実に差し迫って危害が及ぶおそれがあり、守秘義務に違反しなければその危険を回避することができない場合は、機密情報を開示することは倫理にかなっている」としている。

 また、この点につき、2005年に発行されたWMAの「医の倫理マニュアル」(Medical Ethics Manual)は、次のような場合には医師の守秘義務違反が正当化されると述べている。

 その1は、ほとんどの医療機関で頻繁に生じていることであるが、患者に適切なケアを提供するために、医師、看護師、検査技師などに治療に必要な情報を与えることである。通常このような守秘義務違反は正当化される(筆者はこのような場合には、通常患者の同意を擬制してもよいと考える)が、それは患者の利益にとって必要な範囲を超えるものであってはならないとされる。

 その2は、法的な要請に従う場合であり、たとえば、自動車の運転に適さない指定疾患の患者や、児童虐待の疑いがある患者について公的機関への報告を義務付ける法律に従う場合である。

 その3は、患者から危害を受ける危険性のある人に対して、医師が、患者の秘密情報を伝えるという倫理的義務を負う場合である。具体的には、患者が精神科医に他者を傷つける計画を明かしたときや、HIV患者が配偶者やパートナーと感染防止策をとらずに性交渉を続けようとしていることが判明した場合などである。

 以上のとおり、医師が倫理上も法律上も基本的に守秘義務を負っていることは現在も変わりがないが、患者や関係者の利益保護や危険防止等のために、一定の情報開示を行うことが正当と考えられる場合がないとはいえない。場合によっては、専門家の見解を聴取する等の慎重な判断を行うことも考慮すべきであろう。

(平成30年8月31日掲載)

目次

【医師の基本的責務】

【医師と患者】

【終末期医療】

【生殖医療】

【遺伝子をめぐる課題】

【医師とその他の医療関係者】

【医師と社会】

【人を対象とする研究】

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