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平成31年(2019年)1月5日(土) / 日医ニュース

日本の医療が世界トップレベルであり続けるために

日本の医療が世界トップレベルであり続けるために

日本の医療が世界トップレベルであり続けるために

 今号では、ノーベル医学・生理学賞受賞記念新春対談として、本庶佑京都大学高等研究院副院長/特別教授が昨年11月1日、「日本医師会設立71周年記念式典並びに医学大会」で日本医師会最高優功賞を受賞された際に、横倉義武会長と基礎医学を取り巻く現状や日医に期待する役割等について語り合った模様を掲載する。

 横倉 本庶先生にはご多忙のところ、対談を快くお引き受け頂き、ありがとうございます。また、この度のノーベル医学・生理学賞の受賞、誠におめでとうございます。日本の医療に携わる者として大変喜ばしく、誇りに思っています。
 日医の会員でもある先生がノーベル賞を受賞されたということで、ぜひ、先生と対談をさせて頂きたいと考えておりました。
 本庶 どうもありがとうございます。
 横倉 さて、今回の受賞までにさまざまなご苦労がおありになったかと思いますが、その辺りのことも含めて、ノーベル賞受賞に至るまでの経緯をお聞かせ頂けますでしょうか。
 本庶 ご承知のように、がんが前世紀の後半から人類にとって最大の脅威ということは、どなたも考えておられることだと思います。もちろん、医学者もがんに対しては大変な努力をしてきましたが、まだ根治には至っていません。
 早期発見により死亡率がずいぶん下がったがんもありますが、治療としてがんを治せるという状況には、なかなかならなかったわけです。
 もちろん、化学療法や放射線治療もどんどん改良されてきましたが、これという新しい薬は意外と出てこなかったのです。私が研究してきた免疫療法は、何十年も多くの人が努力をしてきましたが、これももう効かないのではないかと多くの臨床家は思っていました。
 私どもが論文を発表したのが2002年です。これは1992年に発見した分子が、免疫のブレーキ役だということが分かって、このブレーキを外したら免疫は強くなって、ひょっとしたらがんが治せるのではないかという考えをもったのです。
 実はこれは私がオリジナルというわけではなくて、多くの人がそういうことを考えていたのですが、ブレーキ役の分子が何かということがずっと分からなかったのです。
 私と今回共同受賞をしたジェームズ・アリソン先生は、CTLA―4という分子がそのブレーキ役であるということに気が付いて、それを使ってみたのが1996年です。私達がPD―1がブレーキ役だということに気が付き始めたのも同じ頃です。
 ただ、アリソン先生のCTLA―4という分子は、実は副作用が非常に強く、遺伝子破壊したネズミは、生まれてから4、5週間で全て死んでしまったのです。それで、これは薬にはならないのではないかなと私達は考えました。
 一方、私達の分子、PD―1は遺伝子を破壊してもなかなか症状が出ず、14カ月ぐらいかかってようやく症状が出てきました。研究室の学生がもう諦めて放っておいたネズミが、ある時行ってみたらおかしかったというぐらいなのです。ですから、これを使ったら多分、非常に副作用が少なくて効くだろうと考え、研究を続けました。そうしたところ、ネズミでは非常に効果があったのです。
 それからは、何とか企業の協力を得ようと思って頑張りましたけれども、これも最初は非常に大変でした。小野製薬との特許が公開された後、米国のメダレックス社から連絡がきて、その後、開発がとんとん拍子に進みました。
 分子が発見されたのが1992年。ネズミのモデルでがんが治るということが出たのが2002年、その後、企業が参入して認可が下りたのが2014年ですから、22年掛かってようやく患者さんの治療に使える薬になったということです。非常に長かったですが、今は大変うれしい気持ちです。
 横倉 この薬の開発によって、今まで治療方法もなく、諦めておられた方々が助かったわけですし、多くの皆さんが本当にありがたいと考えていると思います。
 本庶 患者さんが直接来られたり、今日も実は、ある先生が私のところに来られて、そういう声を直接聞かせてくださったり、我々がやってきたことに意味があったんだなと実感できて、本当にうれしいです。
 横倉 さて、いよいよノーベル賞の授賞式で、ストックホルムにお出かけになられますが、授賞式では何を楽しみにしていらっしゃいますか。
 本庶 実はまだそこまで考えられなくて......。受賞が決まった直後から、電話は鳴り続けるわ、電報は来るわ、それからいろいろな方がお見えになるわで、大忙しでした。
 メールは世界中から頂きまして、私のメールボックスがパンクしそうになるぐらいでした。秘書にそれをプリントアウトしてもらったのですが、厚さが20センチを超えるぐらいあり、全てにお返事するまでには至っていないのが現状です。また、講演をお引き受けしつつ自叙伝も書かなくてはならず、まだしばらくは大変な状況です。
 横倉 ゆっくりできるのは、年が明けて、少し暖かくなる頃からですかね。
 本庶 そうですね。1月が過ぎたら、少し余裕ができるかなと思っています。

たくさんの人の病気を治したいとの思いで医師に

 横倉 ところで、私は叔父に虫垂炎の手術をしてもらったことがきっかけで医学の道を志そうと思ったのですが、いろいろ報道などを見聞きすると、先生は医師になるか、弁護士になるか二つの選択肢がおありだったそうですね。最終的に医師を目指されたのは何が理由だったのでしょうか。
 本庶 一つには、やはり父親も含めて親族に医師が多かったので、何となく医師になれという無言のプレッシャーがあったということは否めません。
 もう一つ、自分が医師になることを意識したのは、野口英世の伝記を読んだ時です。
 確か中高生ぐらいの時だったと思うのですが、その迫力に非常に圧倒されたというか、本当に感動しました。この二つが大きいのかなと思います。
 横倉 そうなのですね。そして医師になられて、基礎医学の方にお進みになったわけですが、基礎を目指されたのは何か要因があったのでしょうか。
 本庶 先生もご承知のように、初期の医学教育では覚えることが山のように多くて、楽しくはないけれども、ここを通り過ぎないと次に行けないわけです。
 当時は、生命科学の変革期で、DNAの構造や遺伝子のコードが分かり始めた時代でした。ちょうどその頃、山口大学で私の父と同僚だった柴谷篤弘先生が書かれた『生物学の革命』という本を読んだのですが、奇想天外と言いますかね。その中で、柴谷先生は、がんは遺伝子の異常で間違いないと。そして、その異常を何らかの方法で遺伝子の塩基を入れ換えるような、そういう治療が可能になる日がくると書いておられるのですよ。これは大変なことだなと思いましたね。
 横倉 50年以上も前にですか。
 本庶 すぐに信じるわけにはいかないとは思いましたが、その10分の1でも本当だったら面白いと。「病気のほとんどは自然に治る。医者が治すのではなくて、患者が治すのだ」という話も、臨床家である父から聞かされていましたし、ひょっとして自分が基礎医学で何か新しい治療法を見つけられたら、本当にたくさんの人の病気が治せるようになるのかも知れないと思いました。好奇心半分と、そういうかなり純粋な気持ちとで、基礎医学をやろうと決意したんです。
 それで、学生の時に早石修先生の研究室に出入りさせて頂いたのですが、だんだん面白くなってきて、やめられなくなってしまい、今日に至った次第です。

基礎医学を志す人を増やすには経済的支援と医学教育改革が必要

 横倉 日本では基礎医学を志す人がだんだん少なくなっています。これも臨床研修制度を含めて問題があると思うのですが、やはり基礎医学というのは臨床を支える重要な学問ですし、今の状況でいいのかと、日医でも憂慮しているところです。
 先生も記者会見等で基礎医学者が少なくなっていることに危惧を覚えるということを述べておられましたけれども、改めてお考えをお聞かせ頂けますか。
 本庶 医学を志す人は好奇心旺盛ですから、研究をやってみたいという人は基本的には減っていないと思うのです。
 ただ、やはり基礎医学を選ばないのは、世の中が豊かになり過ぎて、もっと良い生活ができる選択肢があるから、相対的に基礎医学をやらないというケースが多いと思うのです。
 私達の頃はみんな貧乏でしたから、どうせなら好きなことをやった方が良いということで、基礎を選ぶ人も多かったのではないでしょうか。やはり、基礎医学を選んでもらうには、モチベーションとして経済的な面は大きいと思います。
 ただ、それと同様に、今の医学教育は臨床に偏り過ぎていると思います。それには意味があるのでしょうが、臨床の初期研修については、私は1年でいいのではないかと思います。
 それから、アメリカのように、しっかりと経済的なサポートをして、年を取るまでに、トレーニングだけでなく、ある程度自分の好きなことができるような機会を早く与えるという制度にもっていけたらいいなと思います。
 横倉 今の日本では、順当にいけば24歳で医学部を卒業して、医師としてきちんと生活ができるようになるのは30歳を過ぎてからですものね。
 本庶 家族もいるでしょうし、大変だと思うのです。ですから、基礎をやる人は27歳ぐらいには少なくとも学位を取れるようにしてあげたいなと思います。
 横倉 そういう形に医学教育のあり方を、少し変えていかないといけませんね。
 本庶 そうですね。臨床研修制度、専門医制度とできたわけですし、学部教育と初期研修、専門医、セットで抜本的な見直しをして頂けると良いと思いますけれども。
 横倉 私達もそのように思っておりますので、ぜひ、先生の強力なバックアップをお願いします。
 本庶 はい。横倉会長がそう言って頂けるのであれば、私も積極的に援護射撃をしたいと思います。
 横倉 日本の医学のレベルをできるだけ上げていくためには、やはり基礎研究が大事ですからね。
 本庶 はい。これからの時代はヒトの生命科学の時代なので、ネズミだけではなくて、ヒトをきちんと念頭に置いた基礎研究でないと、日本の医学研究は大きく発展しないと思います。

日医に期待する、かかりつけ医と病院を結び付ける役割

 横倉 先生に委員長を務めて頂いた「医師の団体の在り方検討委員会」からは、医師の専門団体としての日医のあり方について、さまざまなご提言を頂き、今、その実現に向けて私達も少しずつ努力をしているところですけれども、現在も医師の地域偏在や診療科偏在など、数多くの問題があります。そういう中で、日医というものが、どういう役割を果たしていくべきか、先生のお考えをお聞かせ下さい。
 本庶 委員会の議論の中でも申し上げましたが、医療に関する地域あるいは専門性の問題は、自主的に解決していくことが一番望ましいと私は思っています。外部から言われたからやるのではなくて、自分達でコントロールできる、全国をきちんと見られる組織の機能を、医療の専門家集団である日医には強化して頂けたらありがたいと思います。
 横倉 ありがとうございます。引き続き、努力をしていきたいと思います。
 超高齢社会となった今、日医では、「かかりつけ医」という、総合的な診療能力を身につけて頂いた先生方が中心となって地域医療を支えていくべきと考え、国民の皆さんにも「かかりつけ医」をもつことを呼び掛けているのですが、超高齢社会における地域医療のあり方についてはどのようにお考えですか。
 本庶 日医が提唱している「かかりつけ医」という考え方は非常に重要ですし、医療体制の中では無くてはならないものだと思います。
 ただ、かかりつけ医と病院の専門医等との連携が現状では必ずしもうまくいっていないような気がします。その連携と住み分けをもう少し緊密にしていかないと、地域医療というのは、うまく回っていかないと思いますし、連携を密にする役割を、日医には期待しています。
 横倉 圏域ごとに病床機能も明確化し、また医師の配置もそこで考えようとしているのですが、なかなかうまくいきません。
 昔は大学という一つの研究、教育、臨床の核があったのですけれども、それが少しずつ揺らいできたというのが、大きな課題かなと思います。何とか、より良い医療提供体制をつくるために、引き続き努力していきたいと思います。
 本庶 よろしくお願いします。

マスコミは、一般国民と医療サイドの橋渡し役を

190105b2.jpg 横倉 せっかくですから、先生には薬のことについてもお聞きしたいのですが、オプジーボは当初、希少がんの薬ということで、薬価が非常に高くなり、政府からの指示がいろいろあったようで薬価が引き下げられたという経緯がありました。日本の薬価制度についてはどのように思われますか。
 本庶 これは正直申しまして、私は全くの素人ですが、原則論で言えば、一般的に新薬というのは、それまでの開発費もありますし、画期的なものであればあるほど薬価もかなり高くなるのは、ある程度仕方がないと思います。

 しかし、私は新薬が高いことよりも、むしろ一旦保険適用となると、効果が薄れた薬もなかなか保険適用から外れないことが問題だと思います。
 これから国民皆保険を守っていくということであるならば、もっと積極的にワクチンを接種するとか、糖尿病等の予防対策を推進するなど、できるだけ予防的なことに財源を投入していく方向に見直していかなければならないと思うのです。
 横倉 そのとおりだと思います。私もこれからは病気を治すだけでなく、予防にも力を入れていく必要があると思っています。
 それから、ワクチンに関しては、日本では科学や学問の世界の成果を、国民の皆さんに理解してもらうことが難しいと思うのですが、その点はいかがですか。
 本庶 私は、これはマスコミに大きな責任があると思います。マスコミはどうしても、感情的な人や声が大きいなどといったところをフォローしてしまう。やはり医療に関しては、科学的な根拠に基づいた、正しい報道をして頂きたいですね。
 国民の大多数は科学的なことに直接触れる機会がないわけですから、専門家集団である日医などを含めた医療サイドと、一般国民の間の橋渡し役をマスコミには果たしてもらいたい。
 きちんと橋渡しするには、両方を理解している人がコメンテーターとして説明すべきなのですが、必ずしもそうはなっていない。それが日本では非常に大きな問題だと思います。
 横倉 その意味では、子宮頸がん予防ワクチンについても、そういった問題と関連していると言えるのではないでしょうか。
 多様な意見も踏まえ、正確な情報を国民の皆さんに提供したいとの思いから、昨年10月に、日本医学会と合同で公開フォーラムを開催したのですが、マスコミはなかなか取り上げてくれませんでした。
 今、子宮頸がん予防ワクチンの積極的な勧奨が控えられていますが、将来的に日本だけ子宮頸がんの罹患率が高くなるのではないかと危惧しています。
 本庶 既に少し高くなっているという話も聞いています。ワクチンを接種すれば防げるわけですので、今の状況を私は恥ずかしく思っています。

ノーベル賞の受賞は皆さんの支援のおかげ

 横倉 少し堅い話が続きましたので、先生の個人的なことを少しだけお伺いしたいと思います。
 私は、健康のため、毎日家の周りを歩いたりしているのですが、先生には健康法はありますか。
 本庶 一つは、体重はかなり小まめに測って、72~74キロに維持できるようにしています。
 それからもう一つ、週1回はなるべくゴルフのラウンドをしようと思っているのですが、今はそれが難しく、残念でなりません。
 そのため、足に重りをつけて1日中歩くとか、なるべく歩くとかいうことを心掛けているのですが、こちらも今は、少しおろそかになっているので、気を付けたいと思っています。
 横倉 ところで、私は「和して同ぜず」という言葉を座右の銘としているのですが、先生には何かございますか。
 本庶 二つありまして、一つは「混沌(こんとん)」です。研究というのは大体混沌として、どこに何があるのか分かりません。ですから、私はそこに対して好奇心がある。何が本当なのだろうかと。目標がはっきりしているところに向かってひたすら歩くというのは、あまり楽しくないのですよ。ゴルフもどこに球が行くか分からないから、また楽しいんですよね(笑)。
 もう一つは、「有志竟成(ゆうしきょうせい)」という言葉です。これは、志があれば、竟(つい)には成るということで、やはり自分の志を常に忘れずにいつまでも努力するという意味です。言い換えれば、粘り強くやるということなのですけれども、その二つを大切にしています。
 横倉 それでは最後に、地域医療の現場で一生懸命に取り組んでおられる日医の会員の先生方に向けて一言お願いできますか。
 本庶 地域医療の現場で働く先生方が日本の医療を支えているわけで、本当にありがたいと思っています。
 一つ希望を申し上げれば、医学というのは日々進歩していますから、日本の医療を常に世界トップレベルに保っていくためにも、その進歩を常に取り入れていけるような努力を続けて頂きたい。
 それを支えるのは、日医の生涯教育制度であるとも言えますので、日医にもぜひ頑張ってもらいたいと思います。
 私はノーベル賞を頂くまでに多くの方々にご支援頂きましたので、その点については改めて深く感謝申し上げたいと思います。
 振り返ってみますと、本当に自分は幸運な星の下に生まれたと思っています。
 ちょうど私が大学に入って研究を始めた頃には、生物学が大きく発展しましたし、早石修先生、山村雄一先生始め、多くの素晴らしい先生にも出会うことができました。
 また、日本の経済が好調で、長い間ご支援を頂きました。恐らく、国からはこれだけ支援したのだから、ノーベル賞を取るのは当然だと言われるかも知れませんね。
 ただ、私としては、先程も申し上げましたけれども、患者さんが直接来られて手を握って「あなたのおかげだ」と言われるだけで十分だと思っていました。
 これで自分の一生、何か自分がやったということを自分で実感できますし、そう言っては何ですけれども、賞をもらうこととはまた別の次元で非常に満足していました。
 そういう気持ちでおりましたので、今回の受賞は大変うれしかったですし、皆さんへの感謝の気持ちでいっぱいです。
 横倉 本庶先生には、より多くの人々を救うためにも、引き続き、日本の基礎医学研究の先頭に立って研究を続けて頂くとともに、後進のご指導にも当たって頂きたいと思います。
 本日は本当にありがとうございました。
 本庶 こちらこそ、ありがとうございました。

本庶 佑(ほんじょ たすく)
京都大学高等研究院副院長/特別教授
 昭和17年1月生まれ。昭和41年京大医学部卒業、昭和50年に京大大学院医学研究科生理系博士課程修了後、昭和59年に京大医学部教授、平成7年に京大大学院医学研究科教授に就任。平成30年より現職。
 平成28年には日医の「医師の団体の在り方検討委員会」の委員長に就任し、翌29年3月には報告書を横倉会長に提出している。
 平成25年の文化勲章を始め、多くの賞を受賞している。

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