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令和元年(2019年)8月5日(月) / 南から北から / 日医ニュース

診療所の中心で愛をさけぶ

 まずもって、青春恋愛小説の名作「世界の中心で愛をさけぶ」の著者、片山恭一氏、並びにファンの方々に大変失礼なタイトルとなったことを深謝します。
 さて、長く医者をしているといろいろな患者さんに出会います。先日、診察室で真っ赤な口紅を塗った患者さんから頬にキスをされる、しかも両手で顔を押さえつけられながらという初めての経験をしました。この患者さん、認知症ではないので少々困っています。
 その患者さんとの出会いは今から10年くらい前、開業して間もない頃です。当時75歳のAさんは、自宅近くのB医院に通っていました。医者の言うことはほとんど聞かず、マシンガンのように一方的に自身の話をするAさんに嫌気が差したB先生は、門前のC薬局に相談。C薬局は市内に2店舗あり、もう一店舗の近くの当院に白羽の矢を立てました。患者さんのご自宅がB医院と当院の間に位置し、通うのに都合が良かったこともあります。また、開業したてで患者さんも少なく、ゆっくり話を聞いてもらえると読んで、C薬局は「よく話を聞いてくれるいい先生が開業したから、そちらに通ってみてはどうですか」と勧め、当院に通い始めました。確かに、当時のホームページには「ご自身のみならずご家族のことでも、何でもご相談ください」と書いていたように記憶しています。以上は、C薬局から直接聞いた話です。
 初診で来院した折、型どおり持病の糖尿病、高血圧について問診した後、患者さんから「先生は何でも話を聞いてくれるのですか?」と尋ねられ、「ええ、どうぞ」とお答えしたところ、昔、都心に住み、相当な資産があったが、夫が連帯保証人になり全財産を失ったこと、今では服を買うお金がなく、既存の服を手づくりでリフォームし着ていること、娘はフランス在住で年1回しか帰国しないこと、姑の面倒を最期までみて看取ったことなど、さまざまなお話を来院する都度伺いました。
 通院を始めて数年は病気と身の上話が半々といった診察でしたが、数年前に夫が他界し、独居となってからは、診察室での会話のほとんどが身の上話になっていきました。
 愛を注ぐ相手がいなくなったためか、診察に入ると私の手を固く握って会話するようになりました。1、2年前からは「私は、先生が何でも話をしていいよって言ったから、何でも話したの。話を聞いてもらいたくて来ているの。体を大事にするのよ。先生が倒れたら話を聞いてくれる人がいなくなるから困るの」と言って肩や背中をさすってくれるようになりました。
 スウェーデン式タクティールケアでスキンシップの大切さを理解していましたから、当初はさほど気にはなりませんでした。しかし、1年くらい前から「いいこ、いいこ」といった感じで髪の薄い頭をなでられるようになり、さすがに気恥ずかしく感じるようになりました。当院看護師も経緯を十分承知しており、Aさんが来院すると、看護師は皆ニコニコ? ニタニタ? クスクス?と笑うようになっていきました。その間、認知症を考え、HDS―R(長谷川式簡易知能評価スケール)を実施しましたが満点で、やはり個性的な性格だけのようでした。
 そして2週間前です。今回3カ月ぶりの来院で血糖値が悪化しており、きちんと薬を飲み、薬がなくなる前に来院するようお話しし、採血、検尿をお願いしました。
 いつものように頭をなでなでして、シルバーカーを押しながら採血コーナーへ歩く後ろ姿に、「ところで、いつもの湿布は必要ですか?」とお声を掛けたところ、その優しさが彼女の心の琴線(きんせん)に触れたようで、両手で押していたシルバーカーを投げ捨て、小走りで駆け寄り、私の顔をしっかり両の手で固定、左の頬に接吻(せっぷん)をし、「ありがとうね。ありがとうね。頑張るのよ」と言いました。
 一部始終を見ていた看護師、臨床検査技師もさすがに目が点になっていました。頬へのキスも驚きですが、私としては「えっ、走れるの?」とそちらの方が驚きでした。自分の幻覚ではないかと、その場にいた2人に「今、見た? 確かに走っていたよね?」と尋ねると、「ええ、見ました。確かに走っていました!」と目を丸くして笑っています。
 「次は、口かなあ? それはさすがに困るよ。どうしよう?」とスタッフに話し掛けると、「Aさん、とにかく先生のことが好きで好きで仕方がないんです」と女心を解説。「次回来院時はマスクをしておくといいですよ」とアドバイスをくれました。
 現在、当院のホームページから「ご自身のみならずご家族のことでも、何でもご相談ください」との文面は削除しています。しかし、「患者さんが安心して治療に専念していただけるように、まずは信頼関係が重要と考えております」と変わらず記載しています。信頼関係の究極の姿は、患者さんに愛されることなのでしょうか。

(一部省略)

東京都 三鷹医人往来 第296号より

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