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第1050号(平成17年6月5日) |
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第26回日本医学会総会ポストコングレス公開シンポジウム(第2回・東京)より
市場原理と医療
米国の失敗から学ぶ―第2回―
李 啓充(医師/作家(前ハーバード大学医学部助教授))
混合診療の禁止というのは,「保険診療と自由診療の混合を認めない」という日本の医療保険制度のルールである.
オリックスグループのCEO(最高経営責任者)であり,規制改革・民間開放推進会議の議長を務めている宮内義彦氏は,混合診療が目指す姿を,「国民がもっとさまざまな医療を受けたければ,『健康保険はここまでですよ』,後は『自分でお払いください』というかたちです.金持ち優遇だと批判されますが,金持ちでなくとも,高度医療を受けたければ,家を売ってでも受けるという選択をする人もいるでしょう」(週刊東洋経済二〇〇二年一月二十六日号)と説明している.これが,彼らの「選択」という言葉の中身なのである.私たち普通の医師には,「家を売れ」という台詞は口が裂けてもいえない.
混合診療解禁がもたらす問題
混合診療を全面的に解禁すると,四つの大きな問題が発生することが予見できる.
まず一つは,お金があるかないかで,医療に対するアクセスが差別されること.公的医療保険で保険が給付されている限り,自己負担分だけ支払えばよいのだが,混合診療が認められて自由診療になってしまうと,供給側の言い値で商売ができるようになるので,裕福な人だけが高度な治療にアクセスできるという図式が生じるのである.
二番目は,えせ医療が横行する危険をはらんでいること.医薬品は安全性と有効性が確認されたもののみ承認する,という制度ができあがっているが,もし,混合診療が全面解禁されてしまうと,未承認の怪しげな薬による治療が蔓延する恐れがある.
三番目の問題は,医療保険本体がアビューズ(悪用)されること.例えば,美容整形手術が目的なのに,保険病名をつけて入院させるというようなことが起こると,保険診療本体のお金を無駄遣いされてしまうことになる.
最後に,保険医療が空洞化することが挙げられる.承認制度をバイパスして薬を使用することが可能になると,供給側の裁量でおいしい商売ができるようになってしまう.保険診療と自由診療の二本立ての制度が実現すると,承認を得るために高いコストをかけて臨床試験を行う製薬会社が存在しなくなり,最終的には,「保険診療は時代遅れ」といわれることになるだろう.
このような事態を避けるために,保険診療と自由診療との混合を認める,いわゆる混合診療を全面解禁するという過ちは,決して犯してはならないのである.
すり替えられてしまった論点
実は,混合診療解禁の論議では,巧妙に論点のすり替えが行われている.本当の問題は,必要な治療が保険診療に含まれていないという点にあり,混合診療が認められていないことではない.
アメリカの高齢者救済のための公的医療保険「メディケア」では,「ある治療に保険を適用してほしい」という申請を,製薬会社・医療機関・患者の三者それぞれが行うことができる.このような制度を日本にも取り入れることができれば,「混合診療が必要だ」などという議論は起こらないはずである.
必要な治療,適切な治療は,保険で給付する.そのために,保険診療が時代遅れにならないような制度をつくる.そういったことこそ議論すべきなのであって,混合診療の解禁が是か非かなどという馬鹿げた論争は,もういいかげんに終わりにしてほしいものである.
市場原理導入後の医療の姿
「市場原理,競争原理の導入」という言葉は耳ざわりの良いキーワードだが,これを医療で実現したとしても,資本力の強い者が市場を制圧するということしか起こらない(表(1)).医療の質の向上は保証されていないのである.
そもそも医療というのは,言葉は悪いが,人の命をかたにとってお金をいただくという,非常に危うい生業である.それゆえ,医療の倫理というものを厳しく守ることに同意した者のみが,サービスにあずかることを許されているのだが,そこに市場原理が介入し,命が惜しければ金を出せとか,家を売る選択もあるだろうとか,そういうことをいわれても本末転倒なのである.
さらに,「公」を減らして「民」を増やすという,混合診療解禁がもたらす公的保険と民間保険の二階建ての医療保険制度は,「民」を増やすことによって,所得格差に基づく医療差別が制度化される,ということに他ならない.
「患者の選択の幅を広げる」と規制改革・民間開放推進会議などは主張しているが,市場原理の下では,選択の幅は逆に狭まってしまうのである.市場原理が医療保険を支配し,無保険者が四千万人にも及んでいるアメリカの現状を紹介すると,民間保険加入者の場合,自分が加入している保険会社に指定医療機関として認められている病院か否か,無保険者の場合,無保険でも受け入れてくれる病院か否かということで,非常にアクセスが限られている.
表(1) 医療制度改革を巡る議論でのキーワード=「幻想」
市場原理・競争原理の導入(官製市場の打破)
資本力の強い者が市場を制圧する
質の向上を保証しない
医療とは「人の命をかたにとる」商売
「公」を減らして「民」を増やす(二階建ての医療保険制度)
所得格差に基づく医療差別の制度化
「公」と「民」による「つけの押しつけ合い」
患者の選択の幅を広げる
市場原理の下では,逆に患者の選択の幅は狭まる
医療における「選択」:時間的・物理的条件が限られている
社会全体の医療の質を上げる努力をすることが本筋 |
患者の権利と医療の質の向上を目指して
近ごろ日本で,手術成績や,独自に点数をつけるなどして病院を選ぼうとする動きがあるが,急に重篤な状態に陥って救急車に乗せられた患者さんに,そのような点数を調べて病院を選ぶ時間的余裕はない.今,一番必要なのは,社会全体の医療の水準を同等に上げる努力をすることである.救急車でどこの病院に連れていかれても,安心して手術を受けることができるという医療制度を確立しなければならない.
医療倫理の四原則は,(1)患者の自律性を尊重する(2)患者に害をなさない(3)患者の利益を追求する(4)正義・公正に基づいた医療を行う―である(表(2)).
実は,医療におけるパブリックポリシー(公共政策)というものは,この四原則にのっとった医療を実現させるための制度をつくることを目標とするべきなのだが,なぜか日本では,残念なことに,コスト抑制やビジネスチャンスの創出といった,まったく関係のないところで議論が行われている.
日本の医療保険制度改革の議論は,市場原理の側面からではなく,患者の権利と医療の質の向上という観点から始めるべきであると思う.
表(2) 理想とする21世紀の医療のあり方
医療倫理の4原則
- Respect for Autonomy(患者の自律性の尊重)
- Nonmaleficence(患者に害をなさない)
- Beneficence(患者の利益の追求)
- Justice(正義・公正)
医療の公共政策もこの4原則の実現を図るものでなければならない
- 患者の権利保障(法制化)
- 医療の質の向上(医療過誤対策も含まれる)
医療の質を向上させるための直接の施策が必要
診療報酬支払い方式の変更で質の改善は達成されない
- 公正な医療資源の配分
医療を市場原理に委ねることの危機:公正な配分を破壊
コスト削減からコスト効率改善への発想の転換
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