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第1100号(平成19年7月5日) |
NO.42
それでも療養施設が必要
楢原多計志(共同通信社編集委員兼論説委員)
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楢原多計志(ならはらたけし)
共同通信社編集委員兼論説委員.
昭和49年4月,共同通信社入社.自治省(現総務省),厚生省(現厚生労働省)などを担当,社会保障室長などを経て,平成17年10月から現職.担当分野は医療,介護,年金など.現在,医療企画「賢い患者になる」を執筆中. |
共同通信社の楢原氏に,実母を介護したご自身の体験をもとにして,厚生労働省が現在進めている医療政策(特に療養病床の再編計画)の問題点を指摘してもらった.
(なお,感想などは広報課までお寄せください)
「医療難民」.嫌な言葉だ.必要な医療が受けられなかったり,退院後の落ち着き先のない患者を指すという.この手の言葉は,もともと,テレビなどが視聴者のウケを狙って意図的につくり出す「マスコミ造語」であることが多い.それでも,真実を言い当てていることがあるから厄介だ.厚生労働省が血眼になっている療養病床の削減計画は,難民を発生させる恐れがあるという.
机上の論議では
「医療難民? 冗談でしょう.退院可能な患者を在宅に向かわせるだけです.行き場のない患者を追い出すわけではないのですから」─厚労省保険局幹部職員は言下に否定する.
周知のとおり,「医療費適正化」は,政府が進める医療構造改革の三本柱の一つ.残りが「新たな後期高齢者医療制度の創設」と「保険者の再編・統合」.
その適正化の具体策が,生活習慣病予防と平均在院日数の短縮.長期入院患者が多い療養病床の削減は,平均在院日数を確実に短縮させることができる決定打として位置付けられている.
計画によれば,介護療養病床(約十三万床)を全廃する一方,医療療養病床(約二十五万床)を再編し,二〇一二年末までに医療療養病床を約十五万床にする.回復期リハビリ病棟(約二万床)は削減の対象外.
療養病床を削減するうえで,大きな問題が二つある.一つは,退院する入院患者と,引き続き入院を続ける患者をどう選び分けるかだ.厚労省は,原則として医療の必要性の低い「医療区分1」を退院させるという.また,医療の必要性がより高い「医療区分2」であっても,うつ状態や皮膚潰瘍ケア状態などの患者も退院が可能だと言うのだ.
だが,「医療区分1」であっても,病状が急変する患者が少なくない.療養病床の入院患者の多くが高齢者であり,慢性疾患を病んでいるだけではなく,孤独感や焦燥感などから,うつ状態に陥っている患者もいる.
そもそも医療区分そのものが,正確な区分と言えるのか.介護保険の要介護度認定もそうだが,身体能力を中心とした基準で高齢者を区分することが本当に正確なのか.今の基準は,医学的な見地からと言うより,ややもすると,政策的なねらいによって患者をランク分けし,提供する医療や介護のサービスを絞り込もうという意図を感じる.
身体と心の状況を総合的にとらえた基準が必要だ.見直しに当たっては,官僚指導の下で,したり顔の有識者による机上の議論は不要であり,実際に長期療養者を診たり,看たりしている医療従事者や患者・家族の意見を参考とし,実態に近い基準につくり替えるべきだ.
医療行政のツケ
もう一つの大きな問題が,退院した患者の行き先,つまり「受け皿」の問題.厚労省の受け皿づくりはこうだ.「入院医療を代替する在宅医療と転換促進のためのさまざまな施策」…….これで医療難民は出ないというのだ.
退院後の行き先として,最も望ましいのが自宅であることに異論はない.だが,自宅に戻れるくらいなら,長期の治療も入院もあり得ない.しかも「社会的入院」などという,先進国として実に恥ずかしい言葉も生まれなかったはず.突き詰めれば,在宅医療をないがしろにしてきた医療行政のツケが,今,回ってきたのだ.
厚労省が,受け皿として最も期待しているのが老人保健施設.入院と在宅の中間施設として位置付けられてきたが,厚労省は,長期療養の担い手としてだけではなく,特別養護老人ホームのような「看取りの場」としても期待している.療養病床からの転換を促すため施設基準を緩和する一方,六年間の財政支援まで持ち出したが,安価な介護報酬で経営は成り立つのか.
一方,患者の心配は尽きない.「数は足りるのか」「負担は増えないか」「リハビリは十分か」など.都市部では,絶対数が足りないうえ,食費やホテルコストの徴収などで,思いのほか,費用が掛かる.
このほか,「居宅系」の受け皿として,ケアハウスや有料老人ホーム,高齢者賃貸アパート,認知症グループホーム,ショートステイなどを想定している.患者を医療から介護へ移し,医療費の伸びを抑えようという狙いがある.
医療費の伸びが鈍化しても,それ以上に介護費がかさめば,患者・家族の負担は重くなる.「公費(税金)」さえ抑えられれば,医療機関がつぶれたり,利用者の負担が増えたりすることは二の次というのでは,たまらない.
在宅医療に限界
私事で恐縮だが,母が八十六歳で逝った.糖尿病歴五十余年,インスリンの自己注射歴十六年.ここ約二年間,自宅療養と入院(老人保健施設の入所を含む)を繰り返した.
「尽くせなかった」との後悔と共に,在宅介護と在宅医療の不備を痛感した.
地域差があるにせよ,介護と医療との連携が良くない.ケアマネジャーが主治医と連絡を取ったのは,後にも先にも退院直後の一回だけ.ファックスで診療情報をやりとりしただけで,会話は皆無.主治医や担当看護師は,最後までケアマネの名前も連絡先も知らなかった.
介護の人材不足は,より深刻だ.共働き故に,寝たきりの母の食事と身体介護のため,月曜から土曜日までの週六日間,昼と夜の二回,ホームヘルプを利用した.
ところが,ヘルパー不足のため,居宅介護事業者一社ではヘルパーを確保できず,結局,三社から十一人のヘルパーが,入れ代わり立ち代わり来た.母はヘルパーの名前を一人も覚えられなかった.
できれば,在宅ではなく,医療と介護を同時に受けられる施設で療養させたかった.期待した老健施設では,医師は午後五時に帰宅し,当直の看護師は若く,経験不足.要望に応えきれずに戸惑う姿が痛々しかった.
医療構造改革は,だれのための改革なのか.療養病床が平均在院日数を押し上げていることは事実として受け止める.しかしながら,核家族化,単身家族化が進むなかで,在宅医療や在宅介護がカバーできる範囲は限られており,医療難民を生み出す土壌があることは否定できない.
日医による「医療・介護難民は最大で二万人」の調査報告は,現実味がある.
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