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第1110号(平成19年12月5日) |
No.46
新しい日本型ガバナンスへポスト小泉・安倍時代の「第四の道」
宮本太郎(北海道大学大学院法学研究科教授)
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宮本太郎(みやもとたろう)
北海道大学大学院法学研究科教授.1958年生.比較政治学,福祉政策論専攻.政治学博士.中央大学大学院法学研究科博士課程修了.1990年立命館大学法学部助教授.立命館大学政策科学部教授,ストックホルム大学客員研究員,スウェーデン労働生活研究機構客員研究員などを経て,2002年より現職.
著書,編著に『福祉国家という戦略』(法律文化社),『脱「格差社会」への戦略』(岩波書店),『比較福祉政治』(早稲田大学出版部),『市民社会民主主義への挑戦』(日本経済評論社)などがある. |
市場の論理を前面に出した構造改革ブームの果てに,日本の政治と社会は膠着状態に陥っている.二〇〇五年の「郵政選挙」では,有権者は挙って構造改革路線を支持したように思われた.ところが,そのわずか二年後の今年の参議院選挙では,風はまったく逆の方向に吹いた.閣僚の相次ぐ不祥事はあったとしても,民主党が一人区を中心に圧勝した結果については,構造改革路線に対して人々が大きな不安を抱いていると解するのが自然であろう.
それにしても,わずか二年の間に世論はなぜ,かくも大きく揺れたのか.いや,むしろ,市場か規制か,改革派か守旧派かという単純な対立図式の限界が見えてきた,と言うべきであろう.旧来の日本型ガバナンス(統治方式)が多くの問題を抱えていて,すでに解体途上であることは明らかであるが,市場原理を軸にした改革路線が日本に適合的かと言えば,それもまた違うのではないかという見方が広がっている.
日本型の生活保障を超えて
今の日本の状況は,サッチャー,メジャー政権が,あるいはレーガン,ブッシュ(父)政権が,市場主義的改革を強引に進めた後のイギリスやアメリカに似ている.かつて,メジャー政権を継いだブレア政権や,ブッシュ(父)政権後のクリントン政権は,「第三の道」を掲げた.福祉国家に戻るのでもない,市場主義を突き進むのでもない,双方の「良いところ取り」をしようという考え方である.ブレア政権やクリントン政権は,所得保障それ自体よりも,人々の就労を支援することを新たな福祉政策の課題とした.
それでは,日本もこれに倣って「第三の道」を行くべきか.イエスであり,ノーである.イデオロギー的な市場主義を却け,これまでのガバナンスの良いところを継承していこう,という発想には学ぶべきだ.だが,出発点が異なっている.日本は,欧米流の福祉国家と言うよりも,大企業の長期的雇用慣行(日本的経営)と地方の雇用維持(土建国家),すなわち日本型生活保障とでも言うべきもので人々の生活を支えてきた.所得保障より就労を優先するという仕組みは,ある意味ではすでに実現してきたのである.
小さすぎる福祉国家であったがゆえの問題は,たくさんあった.例えば,人々の就労は日本的経営や地方の業界という枠のなかで保障されるものであり,その外部での所得保障は弱かったために,人生コースを転換することは至難であった.また,能動的な労働市場参加は男性稼ぎ手にのみ保障され,公的な社会サービスが弱い分,女性は家庭での無償のケア労働に拘束される傾向もあった.
にもかかわらず,日本型生活保障が,人々に労働市場に参加する条件を提供し,そのことで社会の活力を維持し,行き過ぎた格差や貧困を防いできたことは強調してもよい.考えてみれば,医療制度,特に医療サービスへのアクセシビリティもまた,日本型ガバナンスの大事な柱であった.
日本の医療費のGDP比が八%足らずと小さく,かつ人口千人当たりの就業医師数は,OECD三十カ国のうちメキシコ,トルコ,韓国に次いで下から四番目である.にもかかわらず,人口一人当たり診療件数はOECD諸国平均が六・五件であるのに対して,トップの一四・四件であった(OECD『世界の医療制度改革』).医療サービスへの良好なアクセシビリティが,日本社会の活力と安定を支えてきたことは間違いない.
時代と共に,雇用のあり方も家族も変化している.日本型生活保障の大幅な手直しが必要なことは確かである.だが,九〇年代の終わりから二〇〇〇年代の前半にかけて進んだことは,改革より解体であった.公共事業費は一般会計で約二兆円,自治体の普通建設事業費で約十兆円減少し,仕事のない地方は深刻な打撃を受けた.長期的雇用慣行からはじき出され,知識や技能を伸ばす機会を欠いた非正規労働者が三割を超えた.医療サービスについては,九七年以来の自己負担増のなかで,明らかに受診抑制が広がり,皆保険体制が危機に瀕している.
知識・技能の欠落,失業,家族のケア,病気,ストレスなどで非活動的にならざるを得ない人々が増えているのである.こうした人々を非活動的なままで排除する社会をつくってしまってよいのか.そうなると日本は,公的扶助や治安などのコスト,人口減,国内市場と課税ベースの縮小に苦しむ社会となってしまうであろう.一定の負担増によってでも,こうした人々の活動条件を広げることの方が,社会的公正のために望ましいだけでなく,結局は「経済的」なのである.
日本が進むべき「第四の道」
もちろん,改革のビジョンを欠いたままの負担増は,利権の温存につながるであろう.問題は,日本型の制度の何を継承し,どこを改めるべきかという全体構想について,本格的な議論がされてこなかったことである.
バブル崩壊前の十五年間,日本型生活保障は「日本型福祉社会」などと呼ばれて,ひたすら祭り上げられてきた.バブル崩壊後の十五年間,日本型の制度は,今度は諸悪の根源とされ,ひたすら否定されてきた.
その結果,医療制度を含めて,人々は他ならぬ自身の国のガバナンスについて,諸外国に比べてどこが優れているのか,何を守り改めるべきか,じっくり考える機会を奪われてきた.
むしろ,海外から日本的ガバナンスの潜在的可能性を示唆する議論が聞こえてくる.イギリスでは,労使が協調し,共に深く経営に関与する日本的経営が「ステークホルダー資本主義」と呼ばれ,人や技術を育てることでグローバル時代にも多くの利点を持つと指摘されている.
公共事業費を削減し,労働力を競争部門に移すことが主張されてきたが,労働力移動策で先行したスウェーデンでは,IT化が進む競争部門が,人をあまり吸収しないことから,むしろ日本のように地方に雇用をつくる経済政策の意義が説かれ始めている.スコットランドでは,公共事業を若者や長期失業者の社会的リハビリテーションの場として活用する試みが広がっている.
日本型生活保障を,時代に適合した,より開かれたものとして,性別を問わず人々が会社や業界を変更し,人生の舵をとることを可能にしていくことが大事である.人々の活力を維持し高めるための支出は,必ずペイする.そのために,日本型生活保障を出発点として,福祉国家や市場のメカニズムを組み合わせていく方向は,「第四の道」とも呼べるかもしれない.
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