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第1114号(平成20年2月5日) |
会員の皆さまの強い要望により,投稿欄「会員の窓」を設けました.意見・提案などをご応募ください.
後期高齢者医療の在り方
橋本周三(兵庫県・尼崎市医師会)
最近,関西では,四国八十八カ所や西国三十三カ所札所の巡礼ツアーが組まれるほど,巡礼が盛んである.当然,その目的は,自分や家族の健康や開運を願ってのことである.
それとは直接関係ないが,“ポックリ寺”まである.自分の死に方を願ってのお寺参りであり,多くの人たちが,苦痛なく「“ポックリ”死にたい」と願っている.
医療は,生命の大切さから,延命医療を最大の目標にして,意識のない人まで機械に結び付け,賢明に治療を続けているが,これが人間的な医療かと疑問を抱いている.
このような世情を基盤に,後期高齢者の医療の在り方に一つの提案をしたい.それは,本人の意識があるうちに,本人の承諾は必要とするものとして,延命治療を停止することである.また,高齢者の多くは何らかの病を持つものであり,それ故に,昔の療養所と現代のホスピスを併せ持った末期医療と施設の設置が必要であると思う.
入所経費は,介護費と後期高齢者医療費により,施設については,新しく設立するのもよいが,二束三文で処分されている厚生年金施設(グリーンピア)の転用や,経営不振のリゾートホテルを利用する.また,温泉療法を活用する.
ここで,苦痛なく,“ポックリ死”を願う,多くの人たちの願望をかなえる医療を実施してもよいのではないだろうか.在宅医療もさることながら,私は,この医療を受けることを望む.
「今こそ日医年金に加入を」を読んで─特に若い医師に訴える─
藤野臻策(新潟県・新潟市医師会)
『日医ニュース』平成十九年八月二十日号(第一一〇三号)の視点「今こそ日医年金に加入を」を読み,感想を述べる.
かく言う私は八十七歳の高齢者で,医師年金の恩恵を受けている.このことをお仲間にお知らせしたく,一筆した.もう,記憶も大雑把だが,お許し願いたい.
私は,生来病弱かつ用心深いタチだった.医師年金には三十年か,もっと前から入会,納金(途中増額?),二十二年前,県立病院を退職後,数年して(?)医師年金約十二万円が支給された.数年前,一万円(?)減額されたが,公的(共済)年金と合わせて大変助かっている.
こうなるためには,まず医師会員になること.ならない(知らないことも含め)のは,勤務医に,そして若い人に多いのではないだろうか.
医師会,先輩,年配者らの勧奨が大事かと思う.若い人は,いつでも元気,いつまでも健康だと勘違い(過信)し,掛ける期間が長いと嫌がるが,若いほど少額で済むのが何より.あとは続けること.かくて大きな安心が得られるのである.
恩恵にあずかった年長者として,未加入者,特に若い方々に強く訴える.
憲法の原点に帰ってみよう
野田芳隆(佐賀県・鳥栖三養基医師会)
政府与党の「医療費削減」方針が,ここ四半世紀も続き,医療現場に一種「諦念」にも似た空気が漂っていることは,由々しいことである.
われら医療人が「診療報酬引き上げ」を主張すれば,ややもすると国民に「我田引水の医師たちの利潤追求」ととられることを危惧してか,医療人も腰が引けている.しかし,本当に「我田引水」の主張であろうか.決してそうではないと確信する.
医療費削減政策は,そっくりそのまま国民の懐を直撃し,「窓口負担増」「受診抑制」「重症化」をもたらし,医療機関には,「経営基盤の弱体化」「医師・看護師の過重労働と,それに付随する医療過誤の多発」「医師不足(OECD加盟国の平均医師数に追い付くのに十三万人くらいの医師が不足)」を起こした.
低医療費政策も郵政民営化も,その底流にある政府与党の「市場原理主義政策」「経済至上主義政策」の目指すところは,毎年アメリカが日本に対して突き付けている「年次改革要望書」の具現化の賜物であり,その要望を忠実に守ってきた「拒否できない」官邸は,「ホワイトハウス」だけを見て国民の方を向いてはいなかった.
日本国憲法九十九条にも記してあるように,「天皇や国務大臣,国会議員,裁判官その他すべての公務員は,この憲法を尊重し擁護する義務」がある.つまり,憲法は国民に対する規律ではなく,行政に課された規制である.であるなら,政府が目指すものは,「憲法遵守」の精神であるべきだし,「すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とする憲法二十五条遵守のためにも,医療費を増額することは,国民への行政の義務なのではなかろうか.
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