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第1114号(平成20年2月5日) |
No.47
2008年はおだやかな年になるのか,それともまた事件の連続?
権丈善一(慶應義塾大学商学部教授)
権丈善一(けんじょうよしかず)
慶應義塾大学商学部教授・博士(商学).昭和37年生まれ.平成2年慶應義塾大学商学研究科博士課程修了.平成14年より現職.主な著書には『再分配政策の政治経済学I〜IV』(慶應義塾大学出版会)等がある. |
二十年ほど前の大学院生のころ,スウェーデンの社会保障を研究していた後輩が,自慢気に,「スウェーデンという国はすごいんですよ.選挙で社会保障が大きな争点になっているんですから」と.私は,「オレたち日本人で良かったよなぁ……」.
あれから二十年が過ぎた.社会保障などという経済学のなかではマイナーな領域を,数少ない履修者を相手に講義しながら,のんびりと生きていこうと思っていた.
ところが,世の中,何がどうなったのか,とんでもないことに─映画「ダイハード」のなかのマクレーン刑事のように,ゆっくりとクリスマスを過ごしたいだけなのに,次から次に事件に巻き込まれる.わが身の不幸を愚痴りながら,時には退屈しのぎにジョークを交えて相手を挑発するマクレーン?─時々,そんな心境になってしまうほど,社会保障をめぐって,今の日本,休む間もなく事件が起こる.
二〇〇八年はどうだろうか─残念ながら,今あるダイハードIVの次作『再分配政策の政治経済学V』が制作される勢いをもつ事件が起こりそうな気配がなきにしもあらず.
国論三つどもえとなる財源調達論
これまで多くの人たちは,財源調達問題の直視を避けて社会保障を論じてきた.しかしながら,「社会保障問題とは結局のところ,財源調達問題に尽きる」などと,ついつい書いてしまうほどに財源調達論が一番重要な問題だと認識している私は,財源調達問題が選挙の最大の争点にならないことには,この国の社会保障,特に医療は変えられないと思っていた.そして二〇〇八年,いよいよ,社会保障の財源調達問題が,政治の表舞台に立たされる状況が整ってきたのである.
昨年九月に発足した福田内閣の下では,すぐに,かねてから負担増を言い続けてきた人たちからなる財政改革研究会が立ち上げられた.そして,この財政改革研究会は,消費税率を二〇一〇年代半ばに一〇%程度に引き上げることを掲げた「中間取りまとめ」を十一月二十一日に公表した.そこでは,消費税の使い道を社会保障給付の財源に限り,名称は「社会保障税」に変更するよう提言した─今や,仮に真の狙いが財政再建にある人たちも,目的税は財政硬直化をもたらすとして「社会保障税」に反対できる雰囲気ではなくなっているし,かつて増税はあり得ないと論じていた研究者たちも,徐々に負担増容認派へのシフトを進めている.こうした動きに対して,自民党の内部には反対の意思を示すグループもある.このグループは,小泉・第一次安倍内閣路線をリードしてきた,上げ潮政策の面々からなる.
そして二〇〇八年,社会保障にかかわる人たちは,三つの立場のうち,いずれに付くかの選択を迫られることになる.社会保障に使途を限定した負担増を言う第一の立場─社会保障税の立場を支持するか,社会保障のためと言えども負担増は許せず,政府のムダを削除して財源を確保すると言い切る第二の立場を応援するか,それとも,再分配は成長の足かせになると見て,成長重視の視点から,社会保障を最小限にとどめる第三の立場─上げ潮政策の立場を信じるかである.
今年は,これら三つどもえの論戦が展開されることになるだろう.
財源論争の行方は?
早晩とは言わないが,いずれは第一の立場にある者が勝つ.なぜならば,この国にはこれしか選択肢がないからである.しかし,そこにたどり着くまでは,紆余曲折がある.その理由は,われわれの生活における社会保障の役割を理解し切れない人,仮に社会保障の役割を理解できたとしても,これを守るためには負担増しか道はないことを理解し切れない人が普通であり,そういう普通の人たちの意識を利用して,権力を手中に収めることを狙う政治家の存在が,これまた普通だからである.
ここで私は,社会保障関係者,例えば崩壊が着々と進みゆく医療の従事者二百万人が,もし負担増が実現した場面での一番の論功行賞を求めたいのであれば,彼らは第一の立場を支持するべきだとも思っている.仮に第二の立場を支持してしまうと,政治家間での厳しい権力闘争を経て,ようやく実現される負担増分からの取り分は嫌が上でも少なくなる.長い目で見れば,いずれ第一の立場にいる者が勝つとはいえ,第一の立場にいる政治家は,二〇〇八年,この国では相当に不利な立場に置かれる.次期選挙で,手傷を負う者もかなりの数出てくるであろう.そうした犠牲を払ってでも,二〇〇八年,いや,その先の将来にでも,万が一,社会保障に使途を限定した負担増が実現された時,第一の立場を貫いた政治家は,第二,第三の立場を支持して,自分たちの足を引っ張り続けてきた者たちを厚遇するだろうか.
なお,第三の立場が勝てば,規制改革会議の委員・経済財政諮問会議の民間議員,そして『年次改革要望書』をはじめとした多くのチャネルを通じて,混合診療の全面解禁を突き付けてくるアメリカ政府のお望みどおりに,国民皆保険制度の解体が進められることになるであろう.
負担なくして福祉なし
医療関係者には,第三の立場を支持するものは,さすがにいなさそうではあるが,なかには,政府のムダをなくせば,負担増がなくとも,医療崩壊の阻止をはじめとして,日本の福祉を健全化できると言う人たち─先の例では第二の立場を支持する人たちの影響力が大きい.ゆえに,医療崩壊阻止のための財源が確保される見通しが一向に立たない状態に陥っている.第二の立場を支援する論者は,特別会計には膨大なムダが潜んでおり,「特別会計予算を一割カットしただけで,二十兆円捻出できる」「増税ではなく,歳出カットに全力を」との説を主張することもある.だが,これはまったくの誤りである.特別会計の大半は,社会保険関係や地方交付税および国債整理基金などで構成されており,簡単に削れる性質のものではない.公共投資も一九九八年度以降,年々減り続け,対GDP比では欧米の水準に近づいている.公共投資を削って,医療や福祉に回すには限界がある.また,特別会計の重複計上分を除いた純計額に置き換えたうえで,債務償還費を除いた国際的な基準で見た場合,一般会計,特別会計,社会保障基金,地方財政分を含めた一般政府の規模(一般政府支出のGDPに占める割合)は,日本三八%,米国三七%,英国四五%,ドイツ四七%,フランス五四%,スウェーデン五七%となる(いずれも二〇〇五年度).つまり,わが国は米国と同様に小さすぎる政府であるうえ,それを賄う負担すら行っていないため,多額の赤字を出しているのが実情である.ここで第二の立場を支持してしまうと,第三の立場を利するだけである.
個々人はともかく,医療団体のいくつかは,これまで,第二の立場を支持してきたように見える.彼らが歴史的方針を再考しないのであれば,負担増しか道はなしと論じ続けてきた私にとって,二〇〇八年はどういう年になるのか.学生と遊びながら,のんびりと過ごしたいのだから,次々に事件に巻き込まれるダイハード状態は避けたいのだが,なかなか…….
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