日医ニュース
日医ニュース目次 第1118号(平成20年4月5日)

平成19年度医療政策シンポジウム
脱「格差社会」と医療のあり方
─格差拡大の“垂直的再分配”から悲しみを分かち合う“水平的再分配”に─

 平成19年度医療政策シンポジウムが,3月9日,310名の参加者を集めて日医会館大講堂で開催された.
 今回のテーマは,今日,非常に大きな問題となっている「脱『格差社会』と医療のあり方」であった.

平成19年度医療政策シンポジウム/脱「格差社会」と医療のあり方/─格差拡大の“垂直的再分配”から悲しみを分かち合う“水平的再分配”に─(写真) 今村定臣常任理事の司会で開会.
 冒頭,竹嶋康弘副会長は,「最近の救急医療をめぐるさまざまな問題は,医師不足や地域による医師の偏在が原因となっていることは否定できず,また,平等であるべき医療に,地域格差が広がっている状況も黙視できない.日本の医療は医療関係者の献身的な努力によって支えられてきたが,それも限界に来ている.
 これらの根本的な原因は,長年にわたる医療費抑制策にあり,医療費削減という誤った改革を,速やかに見直すべきだろう」とあいさつした.

基調講演

 つづいて,神野直彦東大大学院経済学研究科教授による,「脱『格差社会』戦略と医療のあり方」と題する基調講演があった.神野氏は,スウェーデン語の“ラーゴム”(lagom;「ほどほど」の意)と“オムソーリ”(omsorg;医療などの社会サービスを言うが,本来は「悲しみを分かち合う」の意)を,日本の財政問題を解釈するうえでのキーワードとして紹介.医療は悲しみを分かち合うものであるが,私的サービスが豊かになりすぎて,公的サービスが貧しくなることで格差が拡大する危険性があると指摘.そのため,オムソーリをラーゴム(バランスよく)に提供することが,格差問題を考えるうえでは重要であると強調した.
 また,小さな政府論に立つ新自由主義的な考え方のなかにある,「人間の欲望には限界があるので,豊かな者がいっそう豊かになれば,そのおこぼれ(限界からこぼれ落ちたもの)が貧しい人に行く」という“トリクルダウン理論”にも言及.この理論は,富は使われるものということが前提になっているが,現代は,富は人を使うため(支配するため)に持ち,こぼれ落ちなくなったために,トリクルダウンしないと説明.さらに,貧者を対象とする社会的扶助支出(生活保護など)が高い「垂直的再分配」をする国と,貧者であろうと富者であろうと,病気などで所得を失うリスクを補填(てん)する「水平的再分配」をする国とを比較すると,垂直的再分配をするほど貧しい人が増える(再分配のパラドクス)ので,格差から脱却するためには,悲しみの分かち合いをする水平的再分配が必要であると述べた.

講 演

 (一)「医療のあり方,患者の立場から」(立花隆・評論家),(二)「格差社会と医療システム」(田中滋慶大大学院経営管理研究科教授),(三)「社会保障をめぐる政治の展望」(山口二郎北大法学部教授)─の三題の講演が行われた.
 立花氏は,昨年十二月に自ら膀胱がんを体験したことを報告するとともに,『文藝春秋』(平成二十年四月号)に執筆した記事を紹介したうえで,「日本の医療は,これまでは総合評価で世界一の水準にあったが,これから大崩壊が始まろうとしている.実際に,WHOの『The World Health Report』でも,二〇〇〇年には総合評価で一位であった日本の医療が,二〇〇四年には,医師数はOECD三十カ国中二十七位,医療費の対GDP比は二十一位に低下した」と指摘.
 また,「医療崩壊」に関連する数多くの書籍を示し,「このまま医療費抑制策を続けると,日本は医療破綻国家となり,その未来像は,“形式的には整っているが,実質的には医療を受けられないイギリス型崩壊”か,または,“市場原理導入の結果もたらされる,格差のあるアメリカ型崩壊”のどちらかになる」と,日本の現状に懸念を表明した.
 田中氏は,日本は,種々の国際機関から「世界最高水準を維持してきた医療システムを持つ国の一つ」と評価されてきたが,最近は,その維持が難しくなってきているとし,その要因としては,(一)小泉内閣以来,加速化した日本社会の格差拡大傾向,(二)医療技術の急速な進歩と,患者・医師の意識および行動の変容のもとでの資源投入不足という誤った政策選択─の二つの環境変化があると指摘.
 また,「医療・介護等,社会保障の拡大を抑制すれば,国民の社会保障負担率が減少し,国民の手元に残る金額を確保できる.ゆえに小さな政府は望ましい」とする単純化された論理を批判するとともに,決して「小さな政府」が「良い政府」ではないと強調.わが国の医療人には,「国民皆保険制度を堅持しながら,だれもが安心できる,安全で質の高い医療が受けられる提供体制を進化・向上させる」という重大な責務があると主張した.
 山口氏は,平成十九年十一月に千五百十四人を対象に行った全国世論調査の結果について解説.「小泉・安倍政権が進めた構造改革の結果,日本はどのようになったか?」では,貧富の差や都市と地方の差が広がり,教育や福祉等公共サービスの質が低下したとの意見が多く,「自分の老後や子どもの将来について,どのようなイメージを持っているか?」の設問に対しては,七割が悲観的と回答.
 また,「これからの生活を脅かすものは何か?」との設問には,年金制度の破綻,医療の崩壊,環境破壊が上位を占めた.さらに,「これからの日本のあるべき姿としてのイメージ」については,北欧のような福祉を重視した社会との回答が最も多く,次いで,終身雇用を重視する社会だとし,アメリカのような競争と効率を重視する社会との回答は少なかったと報告.
 これらのことから,山口氏は,国民は構造改革に否定的な評価をしており,将来,とりわけ社会保障に対して大きな不安を抱え,北欧型福祉社会を支持していると述べた.

パネルディスカッション

 最後に,中川俊男常任理事の司会により,「脱『格差社会』と医療のあり方」をテーマに,パネルディスカッションが行われた.
 まず,同常任理事が,「小泉内閣の五年間における,経済界に対する利益誘導型の市場原理主義的政策の結果,市場原理になじまない医療までもが深く傷ついてしまった.今後,新自由主義的方向を転換し,格差を是正していくことは,医療の傷を治すことにもつながると考える.そうした観点から議論して欲しい」と発言.その後,神野,立花,田中,山口の各氏と竹嶋副会長がパネリストとなり,活発な議論が交わされた.
 神野氏は,「市場は人間の共同体を崩壊させる.しかし,公的部門は崩されたものを救っていかなければならない.日本人は,一九八〇年代以降,生きるために仕事をしているという人間の本来のあり方を忘れ,仕事のために生きていると考え始めた.しかし,日本国民も,ここにきてようやく,アメリカ型社会や分かち合いのない社会を拒否し始めている」と述べた.
 また,立花氏は,「私のように生活の不安定なフリーの人間は,アメリカにいたら,生きていないかも知れない.日本の優れた国民皆保険制度を崩壊させないで欲しい」と訴えた.
 最後の質疑応答では,会場から多くの質問が寄せられ,パネリストが回答を行った.また,中川常任理事からの「医療費を増やす選択肢は,消費税率アップしかないのか」との質問に対し,神野氏は,「日本の財政は決して逼迫(ひっぱく)していない.安易に消費税を引き上げるべきではなく,まずは法人税や所得税を上げるべき」と回答した.
 なお,本シンポジウムの内容は,記録集として刊行されるほか,『日医雑誌』八月号別冊として,全会員に配布の予定.

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