日医ニュース
日医ニュース目次 第1138号(平成21年2月5日)

No.49
オピニオン

2,200億円はどうなったのか
高橋洋一(東洋大学経済学部教授)

高橋洋一(たかはしよういち)
 東洋大学経済学部教授.昭和30年生まれ.東大理学部,経済学部卒.平成8年大蔵省(現財務省)に入省,小泉内閣時に竹中大臣の補佐官,安倍内閣時に内閣参事官として,郵政民営化,特別会計改革,公務員制度改革などに携わる.平成20年3月に退官し,同年4月より現職.著書に『霞ヶ関をぶっ壊せ!』(東洋経済新報社),『日本は財政危機ではない』(講談社)などがある.

 二○○七年度から毎年の社会保障費は二千二百億円カットとされてきた.〇七年度当初予算では雇用保険の国庫負担削減などで達成された.〇八年度は,薬価引き下げなどのほか,協会けんぽ(旧政府管掌健康保険)への国庫負担の肩代わりで一千億円分を何とかひねり出すことになっていた.肩代わりのための法案は,昨年の通常国会に出されていたが,民主党の反対で継続審議となり,昨年末までの臨時国会でも審議入りすらできず廃案になった.この結果,二千二百億円のカットはすでに事実上修正されている.
 医療関係者間では,この二千二百は悪魔の数字と言われているようで,この数字を決めたのが経済財政諮問会議で,小泉構造改革の負の遺産とされている.すでに無意味な数字であるが,ここでは冷静に諮問会議が何をしたのか,振り返ってみることとしたい.
 まず,事実関係であるが,社会保障費の毎年二千二百億円削減という方針は「骨太の方針二〇〇六」に基づいている.「骨太の方針」は諮問会議で作られていたが,「二〇〇六」だけは例外で,自民党で作られた.その経緯は,「二〇〇六」を作成する時に経済担当大臣が竹中平蔵氏から与謝野馨氏に代わったのだが,与謝野氏は財政重視主義なので,当時の小泉純一郎首相の裁定で自民党政調会長の中川秀直氏のところが主導し,自民党で骨太を作ることになった.
 社会保障費は高齢化で毎年約八千億円などと自然増が大きいが,「骨太の方針二〇〇六」では,国と地方の社会保障費が二〇〇六年度三一・一兆円であり,自然体では二〇一一年度に三九・九兆円になるところを,二〇一一年度に三八・三兆円にしようというわけだ.つまり,自然体で伸ばした数字より五年間で一・六兆円カットするわけだ.このうち国は一・一兆円であるので,これを五等分すれば二千二百億円という数字になる.

カットだけが一人歩き

 確かに,数字の上では毎年二千二百億円のカットになっているが,カットばかりが一人歩きした感じだ.しばしば,この二千二百億円削減によって,診療報酬が削られたり,現場にしわ寄せがきていると,筆者はいろいろなところで聞いたが,一体どうなったのかと不思議だ.実は,社会保障というのは簡単に削れないことも分かっていたので,実質的に医療などの重要分野でカットにならないような「安全弁」も,「骨太の方針二〇〇六」と合わせて作っておいたからだ.
 それは,五兆円の厚生労働省の中にある“埋蔵金”だ.それは労働保険特別会計にある.実は労働保険特別会計は,保険数理的にみて,雇用保険料が高すぎるために,今までストックベースで五兆円,フローベースでも今年度も繰越金が八千億円にもなる.さらに,こんなに余っているのに,一般会計から毎年二千億円もの繰入もある.ストックを削ってもいいし,フローの余りを回してもいいし,最悪の場合,一般会計からの繰入金をカットして,社会保障全体でカット出来たといってもいい.いくらでも,社会保障のうち実質的に重要な分野での二千二百億円カットを救済する方法がある.この労働保険のジャブジャブぶりは目に余ったので,「二〇〇六」で一般会計からの繰入はやめるべきという記述があり,閣議決定されている.ところが,この指摘はこれまでほとんど無視されている.
 今の景気対策で,雇用保険料を安くすることが決定されたが,それはこの埋蔵金を使うもので,ようやく厚労省も埋蔵金を認めた.しかし,まだ労働保険特別会計には余裕があるので,社会保障のうちの重要分野を救済出来るはずだ.

「厚生」「労働」の壁が問題だ

 さらに問題なことは,労働保険特別会計で埋蔵金の一部を使って,「私のしごと館」などを造っていることだ.本当に悲痛な叫びが出ている社会保障に回さずに,無用な箱物を造るのは明らかにおかしい.厚労大臣が奮起して,法改正を行えば,おそらく出来るだろう.厚労省内でお金を動かすことには,財務省その他の省も文句を言わないだろう.
 「厚生労働省」とはいえ,「厚生省」と「労働省」が合併してできた役所でまだ合併前のセクショナリズムが働き,「なぜ,『労働』の財源を,『厚生』に回さなければいけないのか」という声が労働から上がってきて,出来ないのだろう.でもそんなことは外部からしたら関係ない話だ.
 そのストックとフローを使って,労働保険の運営は大丈夫かという心配が出てくるが,それは素人意見である.そもそも労働保険の運営について,保険数理の専門家がおらず適当にやっているのが問題だ.そうした専門家を入れてみれば,今は過剰な積立水準になっていて,埋蔵金があることが分かるだろう.
 要するに,「骨太の方針二〇〇六」で自民党主導により,削減が決まって,諮問会議は受け入れた.と同時に,“埋蔵金”が指摘された.つまり,“埋蔵金”で二千二百億円カットに対処すればいいということだ.
 それにもかかわらず,医療費削減は諮問会議の責任というのは,厚労省がセクショナリズムで“埋蔵金”を省内で回せないことをカムフラージュするための方便と邪推してしまう.

来年度予算での決着も埋蔵金

 二〇〇九年度予算案で,社会保障費の自然増について二千二百億円カットするという「骨太の方針二〇〇六」による政府方針について,昨年十二月十八日の中川昭一財務相と舛添要一厚生労働相の閣僚折衝で,「埋蔵金」である年金特別会計の余剰金などの活用で対応するということとなって,来年度では二千二百億円カットの恐怖から一応逃れられることとなった.つまり,歳出カットは価格の安い後発医薬品の使用促進による約二百三十億円となった.昨年末の協会けんぽ(旧政府管掌健康保険)への国庫負担の肩代わり法案の廃案に続いて,二千二百億円カットの事実上の修正が行われた.
 ただし,これで来年度は大丈夫であろうが,なぜ以前に骨太でも指摘された労働保険特別会計の埋蔵金に手が付けられないのか.
 今回は年金特別会計から資金手当が行われたが,実は年金特別会計全体では債務超過があるので,「埋蔵金」というのは不適切な表現だ.昨年十一月十二日の政府の「行政支出総点検会議」でも,労働保険特別会計の積立金が過剰であると指摘されている.つまり,本当の意味での「埋蔵金」があるのだ.
 それにもかかわらず,やはり今回も厚生労働省内の「厚生」と「労働」という壁が問題解決を阻んでいる.その結果,「厚生」の中での役人論理による「不適切な解」しか出なかった.

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