日医ニュース
日医ニュース目次 第1144号(平成21年5月5日)

オピニオン

No.50
医療危機と経済危機の深い関係
田中秀一(読売新聞東京本社医療情報部長)

 医師以外の有識者の方々が,日本の医療や社会保障について,どのように考えているのかを語ってもらうことを目的として設けたこのコーナーも,今回で50回目となった.
 今号では,読売新聞東京本社医療部長の田中秀一氏に,読売新聞社がまとめた医療改革の提言について説明してもらった.

田中秀一(たなかひでかず)
 1959年,東京都出身.1982年,慶應義塾大学経済学部卒業,読売新聞社入社.社会部,医療情報部次長を経て,2008年11月から医療情報部長.1993年から長期連載「医療ルネサンス」を担当.1998年,「国内初の卵子提供による体外受精」の報道で新聞協会賞受賞.著書に『「コレステロール常識」ウソ・ホント』『がん治療の常識・非常識』(講談社)がある.

 「百年に一度」とも言われる深刻な不況が日本を覆っている.昨年十月〜十二月期の経済成長率は年率換算でマイナス一二・七%と,欧米を上回る大幅な落ち込みとなった.この経済危機は,医師不足をはじめとする医療・社会保障の現状に一因がある,というと意外に思われるだろうか.
 今回の不況に直接引き金を引いたのは,アメリカのサブプライムローン問題や大手証券会社リーマン・ブラザーズの経営破綻に端を発した金融危機である.だが,とりわけ日本への影響が深刻なのは,わが国特有の事情があるからではないか.それは,国民が将来に強い不安を抱いていることだ.
 医師不足により,各地で病院の閉鎖や縮小が相次いでいる.救急患者の「たらい回し」も後を絶たない.急速な高齢化で介護を必要とする高齢者が急増している一方,介護の施設や職員は不足している.急病や寝たきり,認知症になった時,十分な医療や介護が受けられるのか,不安を感じる人は少なくない.「消えた年金記録」問題に象徴されるように,年金制度への信頼も揺らいでいる.医療・介護・年金の頼りない現状が,将来への不安につながっているのだ.
 日本の個人金融資産は約千五百兆円とされ,その七五%程度は六十歳以上の人が保有している.日本の高齢者や富裕層は,生活を賄うのに必要な金額より百兆円から百五十兆円も余分にため込んでいる,という推計もある.
 これについて,伊藤元重東京大学教授は,「年金や医療費が不安,子供も当てにしてはいけない,そして長生きすればそれだけ生活費も必要となる.そうした不安を抱えながら,懸命に貯蓄に励む国民が多い.年金や医療制度が信頼できるのであれば,無理にため込むよりは消費に回すことができるはずだ.今の日本では,将来への不安─消費抑制─景気低迷─さらなる不安,という悪循環が起きている.この悪循環を断ち切らない限り,日本の景気を根本から良くすることはできない」と洞察している(二〇〇九年三月二十九日読売新聞朝刊).

安心できる社会保障制度構築に向けた提言

 読売新聞社は昨年十月,医師不足をはじめとする医療現場の危機に対し,医療改革の提言をまとめた.これは,国民が抱いている医療・介護への不安を払拭し,安心できる社会保障制度を構築する狙いからである.
 提言は,医師不足や救急医療の問題のほか,医療の質の向上や事故防止,高齢者ケアの体制整備,それらの財源確保策に及ぶ広範な内容となっている.ここでは,医師不足対策と財源問題に絞って述べることにしたい.
 医師不足について,読売新聞は,医学部の入学定員を二割程度増やし,当面,人口あたりで英米並みの医師数を確保するよう提唱した.ただ,医師の養成には時間がかかる.そこで,様々な診療科や地域に,若手医師を計画的に配置することを打ち出した.初期の臨床研修を終え,専門医になるための後期研修(三〜五年間)を受ける医師を対象に,地域・診療科ごとに定員を定め,医師不足の分野や地域に,重点的に配置するものだ.後期研修を行うのは地域の基幹病院であり,そうした病院の医師数が充足されることで,医療過疎地にベテラン・中堅医師を派遣する余裕が生まれ,地域の医師不足解消につながる.
 都道府県ごとに,医師派遣を調整する公的機関を創設する.この機関は,自治体や大学病院,基幹病院,医師会などで構成する「地域医療対策協議会」を母体にし,医師の希望も聞きながら人事管理に当たる.配置された医師が,一定期間,医師不足の地域で勤務した後は,元の勤務先に戻れるようにするなど,将来に不安を感じないで済むよう配慮が求められる.
 この提案に対し,一部の医師から「職業選択の自由に反する」といった反論が寄せられた.だが,海外では既に医師を計画配置する措置がとられている.
 フランスでは,国が地域や診療科ごとに必要な医師数を調査し,病院ごとに受け入れる研修医の数を決定する.医学生は,卒業時に国の試験を受け,成績上位の学生から順に,希望する診療科や地域で研修を受ける.ドイツでは,州の医療圏ごとに人口あたりの医師定数を設け,定数の一一〇%を超える地域では保険医として開業できない.これらの国々では,医師の配置に関する規制は,医師の偏在を防ぐために必要とされ,「職業選択の自由の侵害」とはみなされていない.
 読売新聞では,医療は国民全体が使う「公共財」であり,医師は公共性の高い職業と考えている.現在のように,勤務する診療科や地域を医師の自由選択に任せていては,医師の偏在を解消できない.厚生労働省の研究班も今年四月,そうした観点から,医師の適正配置を行う第三者機関を創設するよう求める報告書をまとめた.

医療に必要な財源を投入すべき

 次に財源問題である.
 日本の医療費がGDP(国内総生産)に占める割合は八・二%で,米英独仏など先進主要七か国の中で最も低い.一方,人口千人あたりの病床数は十四床あり,英米の三〜四倍多く,国民が医療機関を受診する回数は年平均十三・八回と,やはり英米の三倍程度多い.これでは良質な医療を望むのは難しい.
 ところが,小泉政権の構造改革路線により,社会保障費は厳しく抑制された.二〇一一年度までの五年間に,高齢化に伴う社会保障費の自然増分(年約八千億円)のうち,毎年二千二百億円,計約一兆千億円抑制する方針を打ち出した.
 この結果,診療報酬や介護報酬の引き下げが繰り返され,医療機関や介護施設の経営は悪化し,職員の待遇も低く抑えられた.
 読売提言では,こうした社会保障費の抑制策に終止符を打ち,医療・介護に財源を投入すべきだと提唱した.財源として,消費税を社会保障目的化して税率を一〇%に引き上げるよう求めた.
 国民皆保険制度が発足した一九六〇年代は,医療の主役は診療所で,診療報酬体系も,診療所での医療を軸に組み立てられた.しかし,がんや心疾患など病院での高度医療が普及した現在でも,高度医療の技術料などは低いままで,病院の経営悪化や人材確保の困難につながっている.不当に低い病院の診療報酬を抜本的に引き上げることが必要だ.そのために,本紙は「医療臨調」を創設して集中論議することを提唱した.
 「将来への不安─消費抑制─景気低迷─さらなる不安」の悪循環を断ち切るためにも,経済危機の今こそ,医療に必要な財源を投入し,安心できる医療体制を構築する時である.

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