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第1150号(平成21年8月5日) |
No.51
社会保障の直面する課題
板垣哲也(朝日新聞論説委員)
今号では,朝日新聞論説委員の板垣哲也氏に,今の日本が直面している社会保障制度の最大の課題を指摘してもらうとともに,さまざまな問題が山積している状況において,日医が果たすべき役割について言及してもらった.
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板垣哲也(いたがきてつや)
1964年,東京都出身.88年,早稲田大学法学部卒業,同年朝日新聞社入社.高松支局,神戸支局,大阪本社社会部,東京本社政治部,生活部などで勤務.96年,菅直人厚相時代の旧厚生省を担当し,薬害エイズ問題や介護保険の制度作りを取材.以降,年金制度改革,医療制度改革など社会保障分野の制度改革をめぐる政策決定の過程や,医療・介護の現場などを取材.厚生労働省クラブキャップ,社会保障担当の編集委員を経て,08年より現職. |
「社会保障費の抑制方針,撤回」「歳出削減路線から転換」
衆議院の解散・総選挙をにらみ,七月早々に決まった平成二十二年度予算の概算要求基準(シーリング)をめぐって,新聞各紙にはこんな見出しが躍った.
例年,予算編成で常に大きな焦点だった社会保障費二千二百億円の抑制は,今回,年末の折衝を待たずにシーリング段階から見送りになった.
総選挙で政権が代われば,予算そのものが大きく組み替えられることも想定されるが,その民主党も,セーフティーネットの再構築,社会保障の立て直しを掲げている.
与野党こぞって格差・貧困問題への対応や地域医療の立て直しを掲げている今,「痛みに耐えて」の小泉改革路線は,もはや終わったかのようなムードだ.
しかし,本当にそうだろうか.
改めて言うまでもなく,今の日本は国の支出に見合う税収がなく,借金が膨らみ続けている状況だ.そして,支出の多くを占めているのが社会保障費だ.しかも,その費用は高齢化とともに年々膨らんでいく.
歳出の抑制にも限度があることを考えれば,財政を立て直すには,税収を増やすことを考えなければならないのだが,肝心の政治は負担増の議論から逃げ続けている.
つまり,今の日本は先進諸国のどこよりも高齢化が進んでいるにもかかわらず,今の社会保障の水準を維持するのに必要な財源すら確保出来ていない.これこそが,日本の社会保障が直面している最大の問題なのに,この課題を乗り切るために必要な財源を確保するのか,やっぱり支出を減らし続けるのか,どこに軸足を置くのかが,いまだ明確になっているとは言えないのではないだろうか.
なお見えない財源確保の道筋
たしかに麻生内閣では,景気回復を前提に,三年後に消費税増税を含む税制抜本改革をする方針を掲げはした.税制改革関連法の付則には,二〇一一年度までに必要な措置を講じることが書かれている.
しかし,今の経済情勢や政治状況のもとで,この方針が果たしてどこまで貫かれるのか.基礎年金の国庫負担引き上げ一つとってみても,法律に明記された安定財源の確保がいまだに実現していない有り様だ.先行きはきわめて不透明と言わざるを得ない.
とりわけ,民主党政権になれば,向こう四年間は消費税を引き上げないことが公約になっている.「税金の無駄遣いはまだまだある」という主張は,小泉内閣の誕生の時の姿と重なって見えなくもないが,どうやってやりくりをするのだろう.
百歩譲って,消費税増税が総選挙後に現実の政策課題になったとして,それが社会保障の充実にどこまでつながるのかも心配だ.
内閣府が昨年示した試算では,社会保障費の自然増をまかない,なおかつ社会保障国民会議で示されたような地域医療の強化,年金の最低保障機能強化などをやろうとすれば二〇一五年に消費税を四・三〜四・五%引き上げる必要があるという.
一方で,今の制度を守るのにも,現状では財源が不足しているとも指摘しており,必要額は消費税率に換算して四・二%相当としている.
これらをすべて満たすだけの増税が出来るとはとても考えられない.となると,例えば消費税が五%引き上げられるとして,その増税分は一体,どこに使われるのだろう.
現行制度の不足分に充てられるだけなら,国民にとっては今と何も変わらないことになる.かたや,新たな機能強化に財源の多くを振り向ければ,現行制度について引き続き,さらなる効率化,節約を求められることも十分考えられる.
そもそも,社会保障国民会議が示した今後必要な財源にしても,地域の医療機関の大幅な再編や平均入院期間の大幅な短縮など,医療提供体制の効率化などとセットになっていることを忘れてはならない.
望ましい社会保障の姿,積極的に提言を
もとより,日本の医療費がGDP(国内総生産)に占める割合は先進諸国の中で際立って低く,医療分野にもっと財源を投入しなければいけないことは言うまでもない.
しかし,すでに述べたような事情も考え合わせれば,医療を取り巻く環境は,これまでのような「逆風」ではなくなったものの,「診療報酬の引き上げ」の旗を振っていればそれが実現するような楽観的な状況になったわけでもない.
来年度予算の枠組みにしても,社会保障費の抑制が今回見送られたと言っても,それは現状のもとでの自然増が認められたに過ぎない.
財務相の諮問機関の財政制度等審議会が,診療報酬の配分見直しや地域の医師配置の見直しなどを言い出したことが,何よりそのことを如実に物語っている.
勤務医の過酷な労働環境を改善しなければ,いくら医者を増やしても開業医になる人ばかり増えるのではないか.勤務医の処遇を改善するには,もっと診療報酬を病院に手厚くするべきではないか.今の構造のままで診療報酬を引き上げても,医師不足や地域医療の崩壊の根本的な解決にはならないのではないか.
こうした疑問にもていねいに応え,国民にとって望ましい医療の姿とセットで,必要な費用を示していかないと,日本の医療を守るための安定財源確保の道筋もなかなか描けないのではないか.
もちろん,開業医がそんなにバラ色の暮らしぶりだとは思わないし,地域医療の担い手として夜間・休日もがんばっている医師もたくさんいる.であればなおのこと,財政審にただ反論するのではなく,地域医療立て直しのための提言を積極的にしてはどうか.
診療報酬引き上げにしても,勤務医の処遇改善のための提言をむしろ日本医師会が先頭を切って打ち出し,医師会は開業医の利益代弁をしているのではないという姿勢を積極的に示してはどうか.
病院と診療所の連携,地域医療の担い手としての開業医の役割も積極的に打ち出し,病院よりも高い再診料を死守することより,むしろ夜間・休日の診療や在宅医療などへの評価を高めることに主張の力点を移してはどうだろうか.
日本で,患者の大病院志向がいっこうに改まらないのは,プライマリケアを担う地域の医師の専門性が確立されていないことにも一因があるのではないか.こうした面でも,今よりさらに踏み込んだ取り組みが出来ないものか.
現場の実情をよく知っている,専門家の集団ならではの発信力,提案力に大いに期待したい.
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