日医ニュース
日医ニュース目次 第1198号(平成23年8月5日)

JMAT(日本医師会災害医療チーム)活動報告(4)
すばらしい東北人の心意気

 静岡県医師会JMATの派遣先は,日医と東北各県医師会の調整により福島県相馬市と決定され,三月二十六日より五月十九日まで,静岡県内郡市医師会から計十五チームが順番で現地に向かった.実際には七月下旬まで三十七チームが編成され出動待機していたが,現地の状況を考え,約二カ月間で終了した.医師会の先生方の献身的なお気持ちに改めて敬意を表したい.
 私たち県医師会理事チームは四月一日〜五日まで滞在したが,本稿で我々の派遣先である相馬市被災状況とJAMT活動を通して感じた東北の方々の心意気を報告する.

福島県相馬市,被災地の現状

 相馬市は福島県の太平洋側最北部に位置し,ほぼ真西に福島市(車で一時間半),南に原発二十─三十キロメートル圏内の南相馬市が隣接している.また,六号線を北に向かって走ると約二時間で仙台市に到着する.相馬市は本来,漁業と農業を主産業とするのどかな地域で,“野馬追”で全国的に知られている.相馬市の人口は約四万人弱だが,今回の震災の死亡者と行方不明者は四百五十九名に及ぶ.しかし,地震による死亡者は一名のみであり,ほぼ全員の生命が津波で失われたことになる.実際に相馬市の町中を車で走っても,瓦の損傷や家の塀が壊れているのみで,損壊している家屋はほとんど見られなかった.同市は,市の東側が太平洋に面し,その西側に松川浦という景勝地を有していた.今回の津波は松川浦を乗り越え,さらに西側の農地をどんどん這い上がってきた.市内を縦断するように国道六号線バイパスが走っているが,この道路は周辺地面より数メートル高く作られていたため,ここを境に津波がやっと止まったようだ.六号線バイパスを走ると,西側にのどかな畑の風景が広がり,東側は津波の濁流によって大被害を受けた畑と松川浦が望まれる.その対比の激しさに思わず息をのむ.松川浦南側は磯部地区と呼ばれているが,周辺に高台のない場所で,津波に対する逃げ場がなく大被害が出てしまった.御冥福を祈りたい.

東北の方々の心意気

 今回我々は各避難所を巡回診療したが,多くの避難民の方々が不自由な中で忍耐強く整然と静かに暮らされているのがとても印象深かった.何度も巡回していると,心を開かれ被災の瞬間を話して下さった.ほんの少しの時間差で自分だけ助かって,一緒に住んでいた息子夫婦を失ったおばあさん.漁師さんで地震後津波警報が出た瞬間に沖に船を走らせた漁船の船長さん,巨大津波に向かって船首を向ける恐怖がいかほどのものか.家族で車に乗って津波から逃げる時,水がどんどん後ろから迫ってきたと語られたご夫妻.磯部地区に家を新築したばかりだったのに,命からがら逃げてきたおばあさんとお嫁さん,被災後の土台だけ残った写真を見させてもらい,言葉もなく一緒に泣いてしまった.
 被災者の皆さんは取り乱したりせず,静かに津波被害を語ってくれた.東北の方々の謙虚で忍耐強い姿に,日本人の誇りを強く感じる.また,自分たちの辛苦にもかかわらず,我々JMATに,遠い所から相馬まで来てくれて“本当にありがとう”と言われた皆さんの優しさが忘れられない.
 平和な暮らしが,自然の力で一瞬にして全て失われた現実,皆さん夢を見ているようだと話されていた.私は静岡に戻った翌朝,自分のクリニックが当たり前のように立っているのを見て,何か夢のような気が一瞬した.一日の診療が終わり,自分がいつものように当たり前の生活が出来たことに,感謝の気持ちが心から湧き上った.
 我々の支援は今回で終わるのではない.私は必ず東北が復興すると信じている.そのためには,彼らにあらゆる機会を通じて支援と友情を送らなければならない.がんばれ東北,がんばれ相馬の方々.私は絶対に忘れない,あなたが私たちの手渡したトマトをおいしそうに食べながら,一言涙ながら言われた“本当にありがとう”の言葉を.

(静岡県医師会理事 田中 孝,磯部 俊一)

陸地に流された船 遠くに相馬港火力発電所   松川浦にひきずりこまれた車と家
 

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