日医ニュース
日医ニュース目次 第1199号(平成23年8月20日)

日医総研シンポジウム
「更なる医療の信頼に向けて―無罪事件から学ぶ―」

 日医総研シンポジウムが,「更なる医療の信頼に向けて─無罪事件から学ぶ─」をテーマに7月24日,日医会館大講堂で開催された.当日は,事件の当事者を交え,医療事故と刑事裁判の在り方について熱心な討議が行われた.

日医総研シンポジウム/「更なる医療の信頼に向けて―無罪事件から学ぶ―」(写真) 石井正三常任理事の司会で開会.冒頭,主催あいさつを行った原中勝征会長・日医総研所長(横倉義武副会長代読)は,「医師に対する刑事訴追は,不確実性を本質とする医療とは相容れないばかりか,医師の勤労意欲を著しく減退させ,医療崩壊を招く要因の一つとなった」として,医療の安心と信頼回復に向け,有意義なシンポジウムとなるよう期待を寄せた.
 来賓あいさつでは,細川律夫厚生労働大臣(羽生田俊副会長代読)が,安全な医療の確保に向け取り組んでいる種々の政策を紹介し,「医療死亡事故の原因究明・再発防止を行う仕組みの在り方に関しては,今後もさまざまなご意見を伺いながら検討を進めていきたい」との姿勢を示した.
 続いて,羽生田副会長を座長として基調講演「医師法二十一条を考える」(樋口範雄東京大学法学部教授)が行われた.
 樋口氏は,現在の法システムが,医師法二十一条の届出に基づき刑事処分,行政処分,民事賠償を行うという,医師個人への制裁と遺族への賠償に過ぎず,医療安全につながらないことを指摘.責任追及は悪質事例のみとし,症例検討を行うなど,コストはかかっても真相究明・再発防止の仕組みを構築すべきであるとした.
 また,厚労省の「医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案」の代案として,ADR(裁判外紛争解決手続)と院内事故調査が取り上げられたことについて,「医療安全が社会的課題であるという認識がなく,当事者間の問題に矮小化している」と主張.院内事故調査委員会と第三者機関は並存すべきだとした.

三件の無罪事件について当事者や弁護人が報告

 シンポジウムでは,石井常任理事と寺岡暉医療事故調査に関する検討委員会委員長(元日医副会長)を座長に,六題の講演が行われた.
 I「東京女子医大事件」では,弁護人の喜田村洋一氏(ミネルバ法律事務所)が事件の概要を説明.平成十三年に,十二歳の女児が心臓手術中の脱血不良により重度の脳障害を生じて死亡に至った本件について,人工心肺装置の操作ミスを前提とした検察官の主張は医学の常識に反し,過失を問うことは出来ないことを立証した経過を紹介し,「刑事裁判は,検察官の起訴の正否を判断するだけで,事実(事故原因)を究明することが目的ではない」と断じた.
 当事者の佐藤一樹氏(いつき会ハートクリニック)は,業務上過失致死罪で起訴され,無罪が確定するまでの経過を報告.逮捕後,代用監獄に収容され,不当な取調べなどの人権侵害を受け,七年間に及ぶ刑事裁判で心臓外科医のキャリアを失ったとした.逮捕の契機となった院内事故調査報告書は,非専門医のみで作成されたもので,報道されるまで存在さえ知らなかったことから,事故調査報告書の発表に当たっては,当事者の「不同意・拒否権の担保」と「不同意理由記載権利の確保」が絶対条件だとした.
 II「杏林大学割り箸事件」では,被告人とされた医師の指導教授であった長谷川誠氏(元杏林大学耳鼻咽喉科教授)が事件の概要を説明.平成十一年に,四歳の男児が割り箸を口にくわえて転び,割り箸の先端が折れて頭蓋内に残存し,後に自宅にて死亡した本件について,割り箸が口腔内に突出しておらず,意識障害も四肢麻痺も生じなかったことから,割り箸の刺入による頭蓋内損傷を予測することが不可能な,前例のない難しいケースであったとした.
 弁護人の小林充氏(奥田総合法律事務所・元仙台高等裁判所長官)は,検察官と弁護人双方の法律的主張,裁判所の判断を解説し,事件概要を補足.決着に至るまで十年を要した原因は,口腔内に割り箸が突き出ていたという誤った初期の解剖所見にあるとして,法医学の大切さを訴えた.
 III「県立大野病院事件」では,弁護人の平岩敬一氏(関内法律事務所)が事件の概要を説明.平成十六年に,二十九歳の妊婦が帝王切開手術における胎盤剥離中に大量出血して死亡に至った本件について,胎盤の癒着が発覚した段階で剥離を中止し子宮摘出すべきとの検察官の主張は,癒着胎盤を扱ったことのない婦人科専門医による非現実的な鑑定書を根拠としたもので,産科医としての通常の医療行為と,医師の裁量そのものが過失とされた事案であるとの見解を述べ,逮捕・勾留の不当性を訴えた.
 特別弁護人の澤倫太郎氏(日医総研研究部長・日本医科大学女性診療科)は,弁護士や裁判官との間に立って,医学的知識に関する翻訳者としての役割を果たしたことを報告.図を用いて担当医の術式が正当であったことを解説し,医学的な知識が欠如した中で進められる医療刑事裁判の問題点を指摘した.
 当事者の加藤克彦氏(国立病院機構福島病院産婦人科)は,まず,患者の冥福を祈り,身柄拘束に至る過程や拘束中の様子を叙述.医療事故調査報告書については,「病院で発表前の県の報告書を見せられた際,遺族が保険の適用を受けられるようにこういう書き方になったとの説明を受けた」とした.身柄拘束が解かれた後も診療に携わることが出来ず,裁判の二年半は不安で長い時間であったことを吐露し,多くの医師や団体の支援に謝辞を述べた.
 IV「医療刑事裁判の現状と課題」では,水谷渉氏(弁護士・日医総研主任研究員)が,大野病院事件の判決以降,業務上過失致死傷罪での起訴件数及び判決件数が減少していることを示し,医療は本質的に不確実であり,治療困難な患者に対しても医師は応招義務があることなどから,刑事裁判にはなじまず,医師に対する刑事訴追は謙抑的であるべきだとした.
 V「プレスコメント」では,前村聡氏(日本経済新聞社編集局社会部厚生労働省・医療班担当記者〔キャップ〕)が,原因分析と再発防止の先駆的な例として「産科医療補償制度」を挙げ,院内事故調査委員会を用いて,責任追求とは別の形で質を向上させることが可能だとした.
 VI「医療事故調査委員会への取り組み」では,高杉敬久常任理事が,日医の医療事故調査に関する検討委員会が六月にまとめた「医療事故調査制度の創設に向けた基本的提言」別記事参照の骨子を説明し,「裁判からは憎しみしか生まれず,患者を救う医療が刑事罰につながることは患者・医師双方にとって不幸である.医療事故の解決方法として対決でない手段を医療側から提案し,新しい患者との関係の構築を進めなければならない」として,提言への理解を求めた.
 この他,ロバート・B・レフラー氏(アーカンソー大学ロー・スクール教授,同大学医学部客員教授)が,アメリカでは「未必の故意」に当たる医療行為以外刑事事件化することはないことを紹介するとともに,患者の安全と再発防止を第一の目的として法制度の改善を図るべきだとした.

刑事裁判の問題点などを指摘

 続いて,「医療事故と刑事裁判」と題したパネルディスカッションが行われ,引き続き石井常任理事と寺岡委員長が座長を務め,シンポジウムの講演者のうち八名がパネリストとして参加した.
 刑事裁判の問題点について,喜田村氏は,「裁判で全ての事実が明らかになるわけではなく,医療事故の再発防止という点では何の意味もない」と指摘.佐藤氏は,「比較的経験を積んでからの事態だったので,希望の道は閉ざされたが,今は医療の現場にいる.しかし,駆け出しの医師であれば再起不能になる」と述べた.
 長谷川氏は「教え子は激しいメディアのバッシングにより,医師としての人生を棒に振った」と担当医の被害の大きさを訴え,「起訴内容から見れば,経験三十年の私が当直していても同じことになった.善意に基づいた医療に刑事責任を問うのは誤りである」と主張.小林氏も,医師が裁判後も回復し難い損害を受けることを強調した.
 澤氏は,同事件後,医師を守るために大学が一人医長を引き揚げ,分娩を停止するなど,医療現場が大きな影響を受けたことを指摘.平岩氏は,「結果が悪ければ刑事裁判になるというなら誰も医師にならない.結局,困るのは国民だということが理解された点が,この裁判の救いだった」と述べ,加藤氏は「逮捕イコール有罪と見られることが辛かった.反対に有罪で当然と思っていた医師が無罪とされる患者側の落胆も激しく,双方にいいことはない」とした.
 前村氏は,「取材をする中で,最初から報復感情を持っている遺族はいない」として,初期対応がこじれた結果,刑事裁判が駆け込み寺になっているとの見方を示した.
 最後に,羽生田副会長が閉会のあいさつを行い,「患者の家族に誠意を尽くすことを前提に,医師法二十一条の改正や医療事故調査委員会の在り方について検討を重ねていく」と結んだ.

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