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第1217号(平成24年5月20日) |
横倉義武新会長に聞く
地域医療の再興に向け国民と共に邁進
4月1日に開催された第126回日本医師会定例代議員会において,新たに横倉義武会長が選出された.本号では,横倉会長に今後の日医の舵取りや地域医師会との連携のあり方等について話をしてもらった.
(聞き手 石川広己常任理事)
石川常任理事 横倉会長は,会長選挙の際に「継続と改革」「地域から国へ」をスローガンとし,「国民と共に歩む専門家集団としての医師会」を目指すとされていましたが,その真意をお教えください.
横倉会長 日医は,その理念である「医道の高揚,医学及び医術の発達並びに公衆衛生の向上を図り,もって社会福祉を増進することを目的とする」に従って,国民の健康と生命を守る医療の専門家集団であり,現在も会員の献身的な活動によって,地域の医療が守られていることはご承知のとおりです.しかし,これまで日医が担ってきた地域医療への貢献や,会員の先生方のご協力により真摯に行われてきた健康福祉への地道な取り組みが,国民の目には,それが医師会という組織の活動であるということがなかなか見えてこないという実態があります.
その原因についてですが,私は日医の理念というものが国民には分かりにくいのではないかと考えました.その解決策ですが,まずは,日医が国の医療政策の担い手として,国民の健康と生命を守るために医学・医術の発展に努めるとともに,国民により良い医療を提供する公的な組織であるという理念を明確にして,会員一人ひとりに再認識してもらうこと,会員個々の医療活動が地域社会に貢献しているという意識を強く持って頂くことが重要になると考えています.
また,国民に対しても,日医は何を目標に,どのような活動を,誰が行っているのかについて「見える組織」として分かりやすく示すことで,医師会は決して利益追求団体ではなく,国民と共にある医療の専門家集団であるということを理解して頂くための活動もしていかなければなりません.
そのためには,これまでの日医の歴史や活動・実績を踏まえて,今,医師会に求められていることは何かを総合的に判断しなければならず,理念に基づいた活動の指針を示すべく,今後,新たに会内に場を設けて,検討していきたいと考えています.
地域を核とした地域医療の構築を目指す
石川 今後の会務遂行に当たって,「地域医療」という言葉がキーワードとなると感じましたが,具体的な方策についてお話しください.
横倉 地域医療は,それぞれの地域で必要とされる医療を適切に提供していく仕組みであって,国の方針や計画を都道府県の医療政策にいかに落とし込むかではなく,都道府県の実態に基づいたものにしていかなければなりません.都市の大きさ,人口の大小にかかわらず,地域でつくり上げ,地域で完結出来る,その特性を生かした地域医療計画を尊重すべきです.
そのためには,日医が地域の現状を十分に把握する仕組みが大変重要になると考えています.地域ごとの実情を,各地域医師会からボトムアップ型でくみ上げ,日医として支援すべき事項を政府・行政に提示していく,そのことによって,患者にとっても医療提供者にとっても望ましい医療提供体制の構築を,地域を核として地域からつくり上げるということを進めていかなければならないと考えています.
石川 これからを担う若手医師の育成についてはどのようにお考えですか.
横倉 まず,若者が医療に関心を持ち,医師を志すという環境をつくることや,小・中学生に対して,医師の仕事について分かりやすく説明すること等,国民の健康を支えている医療活動について知ってもらう機会を設けることが必要です.また,身近な予防接種や健康診断等を始め,地域医療の活動現場を社会実習に取り入れるなど,わが国の医療の将来を築いていく若者たちの育成は,早い段階から進めていかなければならないと考えています.
そのためには,学校教育のみならず,家庭での教育も重要と考えており,日本の医療がいかに良い制度の上に成り立っているのかという点について,国民に分かりやすく広報していきます.
更に,医学部学生に対しては,医師会役員等が医師会活動,医の倫理,地域医療や日本の医療提供体制等について大学で講義を行っている地域もありますが,今後は,講義だけではなく,医師会の実践的な活動にも参加してもらうことで医師会とのつながりを強め,早い段階から医学部学生への啓発活動に努めることも必要です.
そのために,日医は積極的に地域での若手医師育成の具体的な取り組みを支援する体制をつくっていきます.その中のコンテンツの一つとして『ドクタラーゼ』という医学生向けのフリーペーパーを作成することになり,四月二十五日にはその創刊号が完成しました.これは,将来の日本の医療を担う医学部学生に対して,わが国の医療制度とその問題点等について考える視野を涵養(かんよう)することを目的に作成したものであり,意識啓発を行う情報媒体として多くの医学生に見て頂きたいと考えています.
国民皆保険を壊す恐れのあるTPP交渉の参加には強く反対
石川 次に,国を二分するような問題となっているTPP交渉参加問題に関する考えをお聞かせください.
横倉 この問題のベースには,一九九〇年代の後半から出されている,規制改革や株式会社の医療経営への参入といったアメリカからの要望があります.こういった要望に対して,日医は,これまでにも「国民の医療のためには,現在のわが国の国民皆保険というものを継続しなければならない.それが国民の幸せにつながる」という固い信念の下に,反対をしてきました.
当然のことですが,新しい医療技術等が安全で,国民のためになるものであれば早急に保険導入すべきですが,それ以外の営利を目的とした外国からの要望に関してはこれからも強く反対していきます.
そのような中で,日医は,貿易の枠組みにまで意見する立場にないとの判断から,これまでTPPという協定の枠組みそのものまでは否定してきませんでした.しかし,これまでの米国の要求,米韓FTA等の事例,TPP参加国の識者による意見等を踏まえ,現在の国民医療を継続出来る形でなければTPPには絶対反対との考えに至り,三月十四日の記者会見でその考えを公表するとともに,四月十八日には,「TPP参加反対総決起大会(主催:国民医療推進協議会)」を開催させて頂きました.今後も,この問題に関しては,決起大会の決議を基に,政府や国会議員の皆さんに理解を求めていく所存です.
石川 東日本大震災が発生してから既に一年が経過しました.今後の災害医療に対する日医の対応についてお聞かせください.
横倉 日医では,東日本大震災発生直後から,既に構想がまとめられていたJMATを基に対応させて頂きましたが,その際には,多くの医療従事者の方々が被災地に向かってくださいました.このような皆さんのご協力に対して,改めて敬意を表し,この場を借りて深く感謝申し上げます.
今後は,その活動を総括し,被災者の医療情報の共有の仕組み,必要な知識・技術の研鑚のための研修プログラムの開発・実施など,支援策を再検討・充実させることが必要と考えています.また,地震・津波,原発事故,テロ,戦争等,有事におのおの必要とされる医療体制を各関係機関と再検討し,より迅速・確実に行動出来るように,日医としての支援体制を強化してまいります.
更に,政府機関等や医療関係団体に参加して頂き,広範に連携を組んでさまざまな視点から被災地支援に向けた検討を行ってきた被災者健康支援連絡協議会についても,適宜開催し,今後の対応等について引き続き検討を行っていきたいと考えています.
石川 横倉会長は,「地方にあっても,都会と同じ医療の提供を」ということをモットーにされていると聞いております.これまでの医師会活動や生い立ちも含め,その想いに至った経緯等をお聞かせください.
横倉 私は一九四四年に福岡市に生まれました.その頃は戦中でしたので,祖父の出身地である当時の三池郡高田村(現みやま市)に疎開しましたが,その後,軍医だった父が高田村村長からの要請に応じて,診療所を開設しましたので,そこに移り住みました.私財を投じてその地に病院を開設し,医療に生涯を捧げる父の姿を見て育った私が,久留米大学に入学し,医師になることを目指したのは自然の流れだったような気がします.
その後,私は幅広い診療能力を身に着けたいとの思いから外科を専攻し,大学病院では血管外科を修めましたが,更に技術を深めたいと考え,当時の西ドイツのミュンスター大学の関連病院であるデトモルト病院に留学しました.そこで外科医として研鑽を積んだのですが,その中で,「医療は国民のためになる」ということを再認識しました.その一方で,当時のドイツ政府が推し進める医療制度改革が医師の裁量権を狭めていく兆しを肌で感じ,日本をドイツのようにしてはならないという思いを強く抱くようになりました.
久留米大に戻り,その後は,父が設立した病院に勤め,これまでの経験を基に,地域住民の要望や病院と診療所の連携を重視した活動を行ってきました.その経験から,地方にあっても都会と同じ医療の提供が出来なくてはならないという思いを強くしたのです.
次に,私の医師会活動ですが,私の病院のある地域には十軒程の医療機関があり,月に一度会合を持って,さまざまな話をしていました.そのうちに地域での連携が出来てきて,今思えば,このことが医師会活動の原点になったのではないかと思います.
医師会活動と言えば,もう一つの側面として教育を担うといった役割がありますが,私の周りでは,医師会主催で週三〜四日は勉強会を行っているところが多数あり,医師会が医師の生涯教育を担っていました.更に,一番重要な制度改正の問題があります.制度を改めるためには,個々の医師が何を言っても相手にしてもらえませんが,医師会に意見を集約して主張すれば良い方向に変えていくことが出来たのです.私はこれらの活動を通じて,医師が医師会活動に参加することの重要性を感じたわけです.
私が子どもの頃,すなわち国民皆保険もない時代は,特に田舎の医療は悲惨な状況でした.従って,今の保険体制を維持しなければなりません.そのためにも医療環境の整備が重要です.その思いで医師会活動を継続してきましたが,これまで以上に地域の医師会と日医が連携していかなければならないと考えています.
石川 横倉会長の座右の銘は,「和して同ぜず」とお聞きしましたが.
横倉 その意味は,人と協調していくが,決してむやみに同調しないということで,人とのなごやかな人間関係には心掛けるが,その場限りに,無責任に賛成したりしないということです.
医療は人と人との共同作業ではありますが,患者さんを目の前にした時,われわれ医療者には患者さんを治療する責任があります.決して,情に流されてはいけないのです.
国に対して, 国民目線でさまざまな提言を行う
石川 最後に,力強く一丸となった日医とするための具体的施策についてお聞かせください.
横倉 日医の組織率は,現在約六〇%となっています.構成に関して,多くの医療機関では,実際に運営を行っている先生方のみが医師会員で,そこで働いている勤務医の先生方は会員でないという状況が見られます.
勤務医の先生方にも,医師会の活動をご理解頂き,入会してもらうことで,仲間意識を持ってもらうことが出来れば,地域医療をよりスムーズに進めていくことが出来ると考えていますが,そのためには,戦略に基づいた戦術をいかに展開していくかという視点が必要です.機動力を発揮出来る体制をつくり,スピーディーに対応する.その一つの例として今期,広報委員会の下に戦略・戦術を検討する場を設けることを予定しています.
今後は,さまざまな場面で,国民の目線が一層重要となってきます.日医は,これからも国民に対して,われわれの活動をご理解頂けるように努め,スピード感を持って国に提言を行ってまいりますので,会員の先生方には更なるご支援・ご協力をお願いいたします.
横倉 義武会長(昭和19年生まれ,67歳) |
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昭和44年3月 |
久留米大医学部卒 |
昭和44年4月 |
久留米大医学部第2外科入局 |
昭和52年10月 |
西ドイツミュンスター大学教育病院デトモルト病院外科 |
昭和55年1月 |
久留米大医学部講師(〜昭和58年3月) |
平成2年4月 |
医療法人弘恵会ヨコクラ病院長 |
平成9年4月 |
医療法人弘恵会ヨコクラ病院理事長(〜現在) |
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平成11年5月 |
中央社会保険医療協議会委員(〜平成14年4月) |
平成22年6月 |
社会保障審議会医療部会委員(〜平成24年4月) |
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平成2年4月 |
福岡県医理事(〜平成10年3月) |
平成4年4月 |
大牟田医理事(〜平成16年3月) |
平成10年4月 |
福岡県医専務理事(〜平成14年3月) |
平成14年4月 |
福岡県医副会長(〜平成18年4月) |
平成18年5月 |
福岡県医会長(〜平成22年4月) |
平成22年4月 |
日医副会長 |
平成24年4月 |
日医会長 |
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