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第1246号(平成25年8月5日) |
特別対談 横倉義武会長・山中伸弥京大iPS細胞研究所長
「iPS細胞研究の未来へ」日医は全面的支援を約束
横倉義武会長は7月8日,京都大学iPS細胞研究所を訪れ,山中伸弥所長と「人工多能性細胞(iPS細胞)の臨床への応用」や「日本における基礎研究者不足の問題」などについて意見交換を行った他,日医として,今後の研究を全面的に支援する意向を直接,山中所長に伝えた.以下はその概要である.
横倉 本日は貴重なお時間を頂きまして,ありがとうございます.半年以上前から考えていた今回の企画がようやく実現出来て,大変うれしく思っています.
まずは,改めまして,昨年のノーベル医学・生理学賞の受賞にお祝いを申し上げたいと思います.日医の会員でもある先生が受賞されたことは,全ての会員にとって大変喜ばしいことであり,受賞が決まった際には医療界にパッと光が差したような感じがしたことを,今でもはっきりと覚えています.
独創的発想により,先生が開発されたiPS細胞は,医学のみならず,生物学全体においても画期的な研究であり,今後,疾患の原因解明や治療など,医療全般に応用が期待出来るものと考えています.
このような研究開発は,将来への期待が非常に大きく,また重要な分野でもあるため,学会・政府機関でも研究環境が整えられると思いますが,日医としても引き続き全面的にバックアップしていきたいと思っています.
山中 ありがとうございます.どうぞよろしくお願いいたします.
基礎研究に取り組むようになるきっかけ
横倉 本日は,先生にいろいろなお話をお聞きしたいと思っているのですが,先生は,臨床から入られ,その後基礎研究の道に進んだとお聞きしておりますので,その辺りのところからお話し頂ければと思います.
山中 私は昭和六十二年に神戸大学を卒業した後,かつての国立大阪病院(現・国立病院機構大阪医療センター)で,整形外科を中心に研修させて頂きました.
学生時代には柔道とラグビーをやっており,その頃から,スポーツ医学に関わる仕事をしたいと思っていたのですが,自分自身にケガも多く,走り過ぎで毎年四月から七月ぐらいまでの間は足の痛みに悩まされていましたので,スポーツ外傷,スポーツ障害を専門に診る医師になりたいと思い,整形外科医になりました.
実際に患者さんを診るまでは,整形外科医にはスポーツで体を痛めた方々を治療して,再びスポーツの世界に戻すという明るいイメージをもっていたのですが,実際にはスポーツ外傷は整形外科医にとって一部の領域に過ぎず,担当した患者の中には,重症のリウマチの方だったり,骨肉腫で足を切断する必要のある高校生の方もおられ,自分が抱いていたイメージとは違う現実を目の当たりにしました.
そういった中で,今の医療で治すことが出来ない方を治せるとしたら,研究であるとの考えに至りまして,臨床を捨てて一生研究に携わるという決意まではなかったのですが,大学院に進学することにしました.それが,私が研究を始めたきっかけです.
横倉 薬理学の教室に進まれたのでしたね.
山中 そうです.先輩に相談したところ,当時の大阪市立大学では薬理学が基礎研究をしっかりやっていると聞きましたので入りました.薬理学教室には,指導教官からの一方的な指導ではなく,自由な発想で世界を相手に研究を進めるという気風がありましたので,自分には向いていると感じました.
横倉 臨床研修医制度がスタートして,皆が臨床に入り,それからのステップの時に,先生が今おっしゃったような,世界と競争するという意識をもつということは非常に大事なことだと思います.日医では,今,医学部の学生向けに『ドクタラーゼ』という冊子を無料で提供しているのですが,先生にもぜひ一度ご登場頂いて,学生に対してそういうメッセージを強く打ち出して頂きたいと思います.
若い医師に基礎研究に携わってもらう方策とは
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山中 伸弥(やまなか しんや)(京大iPS細胞研究所長)
昭和37年大阪市生まれ.神戸大医学部卒,大阪市立大大学院医学研究科修了.
米国グラッドストーン研究所博士研究員を経て,平成8年大阪市立大医学部助手,平成11年奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育研究センター助教授,平成15年同教授,平成16年京大再生医科学研究所教授,平成20年京大物質─細胞統合システム拠点iPS細胞研究センター長,平成22年4月から現職.
iPS細胞の研究が評価され,平成22年には日本医師会医学賞,平成24年にはノーベル医学・生理学賞を受賞している. |
横倉 最近,基礎研究に携わる若い医師が少なくなっていると思うのですが,その点についてはいかがお考えですか.
山中 私は今から二十年ぐらい前の,三十歳の頃にアメリカに留学したのですが,その頃は,日本人,特に医師の資格を持った留学生は光り輝いていましたし,日本の基礎医学の研究は世界の中でも一目置かれていました.
当時から,日本の岸本忠三先生,本庶佑先生などは,アメリカの違う分野の研究者でもみんな知っていましたし,そういった意味で,日本の医師,医学博士が基礎医学,生命科学の牽引役になっていたのは間違いありません.
しかし,今では,諸外国に比べて,医師資格を持った日本人の留学生はずいぶん減ってしまった感じがしています.そうした医学博士,フィジシャン・サイエンティストの層がだんだん薄くなっていくのは残念ですし,非常に心配している部分でもあります.
横倉 このような状況が続けば,十年後,二十年後の日本の医学の進歩が心配されますし,今回の先生のノーベル賞受賞をきっかけとして,若い医学生の方が基礎研究の重要さに目覚めていくとよいと思っています.
ところで,先生は,基礎医学に携わる研究者が少なくなっている原因はどのようなところにあると考えておられますか.
山中 臨床研修医制度が今の形になったことで,私たちの頃に比べて優秀な臨床医が育つようになったことは非常に良いことですし,今の制度でしたら,私ももうちょっとしっかりした医師になっていたのではと思うくらいなのですが,今のように研修期間も長くなって,待遇も良いとなると,基礎研究に興味が向かなくなるということもあるのではないかと思います.
後期研修が終わる頃には,ふと気がつくと皆さん三十歳ぐらいになっていて,多くの人は結婚し,子どもも生まれて,社会的地位も出来ますから,動きが取りにくくなります.そこからもう一度研究者として一からやっていく,ましてやアメリカに薄給で行くのが大変なのは理解出来ます.
私の研究所でも研修を終えてから大学院に来て一生懸命研究をしている方もいますが,多くは三十歳を超えていますし,立派な医師ですから,そのまま一生研究を続けるという選択肢を持っている方はほとんどいないような印象を受けます.やはり,制度面で何らかの対応をしないと難しいのかも知れません.
横倉 初期臨床研修が二年で終わるので,それくらいから基礎医学に興味を示してもらえるような道筋をつけないといけないのでしょうね.
山中 そうですね.研究もアイデア勝負のところがありますので,私たちが考えられないような少し常識外れというか,知らないからこそ出来るというのは二十代だと思います.
そういった意味でも,若い医師が基礎研究に入ってきてくれる環境整備は重要だと思います.
横倉 最近の若い研究者たちに,先生の座右の銘であるVW(vision and work hard=長期目標をもって,一生懸命働くこと)のW(work hard)を,伝えることは難しいと思いますが,その点についてはいかがですか.
山中 私は,今でも日本の研究者は仕事量の点に関しては,世界の研究者と比べても胸を張れるのではないかと思っています.
私は今,アメリカのグラッドストーン研究所でも小さな研究グループを主宰しており,そこには日本人とアメリカ人がそれぞれ二人ずつ在籍しているのですが,このグループで見る限りでは,仕事量は圧倒的に日本人が勝っていると思います.しかし,visionという面では,アメリカ人に分があるようです.つまり,visionがしっかりしているせいか,無駄なことはしないのです.
私自身もそうですが,日本人は短期の目標は良いとして,長期のvisionというか夢を持つのは苦手だと感じています.このような差は,初等教育や中等教育の違いによって生まれているのかも知れません.
日医に期待される日本の生命科学を支える環境づくり
横倉 日本と海外で研究施設に差を感じられることはありますか.
山中 私たちの研究施設であるiPS細胞研究所(CiRA)は非常に恵まれていて,新しいビルの建設も進んでおり,日本の中ではすばらしいところで研究させて頂いていると思っています.
アメリカに行くと,これと同じような建物若しくは,より洗練された新しい研究棟が次から次へと誕生しています.ヨーロッパやシンガポールでもこのような傾向が見られ,アメリカではどのように研究所をつくったら効率が上がるのかという研究までしているグループもあるくらいです.二十年から三十年後を見据えたコンセプトを考えています.
一方,日本では,三十年くらい前につくった古い研究施設を,あと二十年くらいは使えるだろうということで改修しているところが多く,トータルでいえば五十年くらい,コンセプトが遅れているような気もします.
アメリカの新しい研究所も,国立衛生研究所(NIH)から出されるお金だけでつくられているわけではありません.カリフォルニア州の場合は,州政府が再生医療研究のために州債を発行し,十年間で約三千億円というお金を出しています.また,それ以上に企業の創業者など個人からの寄付があり,数十億円の寄付をした夫妻の名前がついているような研究棟もあります.
日本とは文化的にも違いますから,都道府県で,あるいは個人の寄付で研究棟がつくられるというのは難しい.それを嘆いていても仕方がないのですが,研究環境の差が開いていっているのは間違いないと思います.
横倉 日医は今年の四月から公益社団法人に移行しましたので,寄付の窓口になったり,逆に寄付行為を行ったりすることも可能になりました.先生の研究を支援するために,先生のお名前を冠につけた基金をつくるということも内部で検討しているのですが,日医に対して何か期待されることはありますか.
山中 数としては一握りかも知れませんが,医師の中からこれからの日本の生命科学を支える研究者がこれまでどおり育つような環境づくりに,ぜひお力添えを頂けたらと思います.やはり,個人の力は限られておりますので.
横倉 われわれがどれくらいお力になれるかは分かりませんが,これからも出来るだけのことをしていきたいと思います.
山中 ぜひ,よろしくお願いしたいと思います.
iPS細胞に期待される新薬の開発
横倉 最近の報道を見ても,iPS細胞が臨床に結び付く可能性の高い成果が国内で次々に出てきていますが,臨床応用の現状や将来について,どのように思われていますか.
山中 現在,iPS細胞で作製した組織や臓器を移植する再生医療への期待が高まっており,私たちもパーキンソン病や血液疾患などの治療を目指した研究を進めていますが,私はそれ以上にiPS細胞が新たな薬の開発につながることを期待しています.
例えば,患者さんから提供頂いた細胞からiPS細胞をつくり,それをその疾患の原因になる細胞に分化させ,薬剤への反応性を検証したり,病気の原因を解明出来れば,筋萎縮性側索硬化症(ALS)などの難病の治療薬の開発に大きく寄与出来ると考えられます.
不思議なのですが,私はALSという病気には強い思い入れがあります.ALSという病名が出来てから,恐らく百年近くが経過し,運動神経が原因であるということまでは分かっているのですが,多くの人が一生懸命研究してきたにもかかわらず,七十年程前に有名な大リーガーのルー・ゲーリックがALSで亡くなった頃と状況は変わっていません.
そういった意味で,私はALSというのは,今までの医学研究の敗北の象徴であると考えています.
ALSで明らかな遺伝性が分かっているものは一割もないと思うのですが,複数の遺伝子的な素因が絡んでいて,それをたまたま複数持ってしまった方が発症するリスクが高いことが予想されているものの,その原因を解明することはそんなに簡単ではないことも分かっています.その辺りのことは,患者さんに過度の期待は持って頂かないように注意はしていますが,iPS細胞から患者さん自身の運動神経をもう一度大量につくりだすことが出来ますので,何とか早く薬の開発につなげていきたいと考えています.
横倉 ALSと言えば,私の同僚も先日ALSで亡くなり,その息子さんもやはり同じ病気になっていて,現在は,車椅子の状態です.私も何とか早く薬の開発が出来たらいいと思っておりますし,先生の研究に期待しております.
臨床医の経験が今の研究の支えに
横倉 改めてお聞きしますが,最初の数年間の臨床経験が,その後の研究に生かされたということはありますか.
山中 短期間ではありましたが臨床を経験して,その時には怒られたり,いろいろなことがありましたが,目の前に毎日患者さんが来られ,自分がどれだけ貢献出来たかは別として,よくなる方がたくさんおられて日々喜びがある.もちろん悪くなっていく方もおられて,日々つらいこともありますが,医師として社会に貢献しているという意識は毎日持っていました.
基礎に行きますと,ネズミを相手にしたり,テストチューブを振ったりで,患者さんとの接点がなくなります.また,その成果は月単位どころか,年単位でしか現れない.何年かに一度大きい成果が出ても,よく考えるとこれが本当に患者さんのためになるのかなという疑問もあります.
しかし,私は今,かつて臨床医だったことを誇りに思っていますし,今でも自分は臨床医だと思って研究を続けています.毎日一人ひとりの患者さんに貢献することは出来ないのですが,十年,二十年,若しくは次の世代の研究者に引き継いで三十年,四十年単位でもいいので,今まで治らなかった病気を治すことによって,何千人,何万人単位で貢献出来るかも知れない.そのことが支えになって今の研究を続けることが出来ていますし,患者さんの診療に携わったことは大きな意味があったと思っています.
また,最近では臨床応用に向けて,患者さんを強く意識しながら研究を進めており,何とか早く治療に結び付けていきたいと思います.
横倉 最後になりますが,全国の日医会員に対して,メッセージをお願いします.
山中 日医の会員の先生方の中には,お子さんが医学部に在籍されていたり,若い研修医である方も多いような気がします.
私の父は,医療とは関係ない,東大阪の小さな工場の経営者でしたが,義理の父が臨床医で,大阪の生野区で医師会活動も一生懸命やっていました.義理の父は,臨床医の時間が長かったわけですが,私が基礎研究に携わることを本当によく応援してくれました.留学中に金銭的にサポートして頂いたこともありますが,何よりも精神的な励ましがありがたかったと感じています.
ですから,会員の先生方も,お子さんで研究をやりたいという方がおられたら,ぜひ後押しして頂けたらと思います.
やはり,子どもは親の背中を見て育ちます.特に医師は,お父さんやお母さんの背中を見て育つということが,他の職業よりはるかに強いような気がします.いろいろな道がありますので,基礎研究を目指す方がおられたら,ぜひ支援してあげて欲しいと思います.
横倉 本日は,中身の濃いお話をお聞かせ頂き,ありがとうございました.
先生も医師会に所属頂いていますし,奥様も所属頂いていて,会員の先生方がこのように頑張って頂くというのは私どもにとっても,大変な励みになっています.
今後ともしっかりとサポートさせて頂きたいと思いますので,引き続き,多くの医師を目指す人をご指導頂けますよう,よろしくお願いします.
山中 こちらこそ,本当にありがとうございました.
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