|
定例記者会見 「東北地方太平洋沖地震に対するこれまでの日医の対応について(2)」 ―三上常任理事 |
三上裕司常任理事は、日医が実施した「医療用医薬品の支援」について、19日実施の「日医ルート」と3月19・22の両日実施の「愛知県医師会ルート」のそれぞれについて経時的に報告した。概要は以下のとおり。 (1)日医ルート:16日には、被災地からの医薬品不足が顕著となったことから、日医として医薬品を支援する方法を模索。日本製薬工業協会(製薬協)へ医薬品の提供を依頼。 17日には、製薬協を通じ、医薬品メーカー15社からの無償提供の報告が入る。ガソリン不足による搬送手段の検討中に、ボランティアとして参加していた有井麻矢医師(イェール大学医学部救急科チーフ・レジデント)より、米軍の協力が得られるとの情報があり、調整に入る。 18日、横田基地から米軍航空機で医薬品を花巻・仙台両空港へ空輸することが正式に決定。 18〜19の2日間で総重量約8.5トン(数億円規模)の医薬品が提供され日医会館に搬送された。 19日早朝より、日医会館1階フロアーで、役・職員数十名とボランティア8名により、医薬品を岩手県と宮城県に仕分け、搬送用トラックに積み込む。12時、原中会長の出発式のあいさつ、足立信也参議院議員の謝辞を受け、米軍横田基地(福生市)へ向け出発。パトカーの先導でトラック3台が13時に横田基地に到着。基地内の梱包センターに搬入し、米軍の配送係に梱包の協力をいただく。約5時間の待ち時間があったが、18時35分頃米軍機が離陸。19時20分花巻空港に米軍機着陸。岩手県医師会と岩手県の立ち会いの下、受領したとの報告が入った(同日は、医薬品を倉庫にて保管)。20時47分仙台空港に無事着陸。宮城県医師会から、到着前の余震で搬送業者がフォークリフトごと撤収してしまったという連絡を受け、足立参議院議員に連絡し、急きょ自衛隊の援助を要請することになったが、宮城県医師会より直ちに自衛隊等の支援が得られたとの報告があった(同日は、医薬品を医師会の倉庫にて保管)。20時30分横田基地同行者が日医に戻り、米軍機の仙台空港無事到着の連絡を受け、原中会長に報告。23時50分に医薬品搬送の飛行機に同乗した有井医師が横田基地に帰着したとの報告が日医にあり、ミッションが終了。 20日に、岩手県医師会は医薬品を仕分けし、県内11カ所へ搬送。宮城県医師会は4ブロックに仕分けをして、21日に3地区に発送。残り1ブロック分は県医師会で保管し、必要時に提供予定との報告を受けた。 (2)愛知県医師会ルート:日医ルートとは別に、福島県医師会には、搬送手段の関係から、日医から愛知県医師会に医薬品搬送を依頼。妹尾淑郎愛知県医師会長を先頭に県医師会挙げての尽力により、19日、複数の病院を運営する三菱重工の飛行機による搬送支援を受け、12時50分小牧空港から福島空港へジェット機で800キログラムの医薬品を空輸。陸上自衛隊の協力で、いわき市医師会まで搬送した。直ちに仕分けし、避難所に提供された。現地でJMATとして活動中の永田高志医師から、貢献しているとの報告あり。 22日には、再度、福島県医師会からの、輸液、透析液を含む不足医薬品の要望に応え、医薬品を含め約800キログラムの支援物資を、大野和美愛知県医師会副会長自ら、事務局とともに車を手配し、23日朝までに福島県医師会に搬送した。 最後に、三上常任理事は、今回の医薬品輸送について、「被災した各県医師会始め、愛知県医師会、日本製薬工業協会および各医薬品会社、搬送してくれた米軍・三菱重工・行政の自衛隊や警察など、官民および国を超えた協力があって成功したものである」と述べ、感謝の意を表した。 ◆問い合わせ先:日本医師会介護保険課 TEL:03−3946−2121(代)
|
日本医師会ホームページ http://www.med.or.jp/ Copyright (C) Japan Medical Association. All rights reserved. |