第4講 「学習する組織」とは(前編)

センゲの「学習する組織」論

先生:90年代以降に組織学習論が注目を集めるようになったきっかけとしてアメリカ企業の国際競争力の低下を挙げましたが、もう一つの大きなきっかけは、ピーター・センゲという人物が「学習する組織」の考え方を提唱したことでした*1。今回は、組織学習論の中でも、センゲに始まる「学習する組織」に関する研究をもとに、組織が学習するとはどういうことかについて考えていくことにしましょう。

:組織学習は、それ以前にも長年研究が続けられてきたのですよね。なぜセンゲの考え方が特に注目されたのでしょうか。

先生:従来の組織学習論には、組織学習の定義や組織学習を実現する方法についての統一的な見解は存在しませんでした*2。また、「組織が学習する現象」についての学問的研究が主であり、組織学習がいかに個人学習とは違うものかが強調されていました*3。一方センゲは実務家の立場から、より実践的な組織学習について考えました。そして、「学習する組織をつくることは不可能ではない。なぜなら、私達はみな元来、学習者であるからだ」*4と述べるなど、「学習する組織」は個人学習の延長線上に存在すると考え、「学習する組織」になるためにはどうあるべきかという規範を示しました。このような特徴が、組織の行き詰まりに悩む人々の関心を呼んだのかもしれません。

:この考え方は、前回触れた人の学びのあり方とよく似ていますね。

先生:従来の組織学習論は、学習には組織の既存の枠組みの中で何かを改善していく低次学習と、既存の枠組み自体を見直す高次学習の2種類があるとします。例えば、現場の生産効率のみを上げていこうというものは低次学習にあたり、低次学習ばかりでは結局は時代に取り残されてしまうため、組織の生き残りのために必要となるのが高次学習です。一方で、「学習する組織」論は、低次学習のような学習は想定しません。そして、高次学習のような生き残るための適応学習も超えて、望ましい未来を創造するための能力を伸ばしている組織が「学習する組織」だとします*

:「学習する組織」のあり方のほうが、より魅力的な組織のように感じますね。

 

*1 安藤(2001), p.112
*2 同書, p.112
*3 白石(2009), p.254
*4 センゲ(2011), p35
*5 同書, pp.50-51

 

 

第4講 「学習する組織」とは(後編)

五つのディシプリン

先生:センゲは、学習する組織を作っていくためには五つのディシプリン(学習し修得すべき理論および技術の総体)が必要だと言います。その五つとは、「自己マスタリー」「メンタル・モデルの克服」「共有ビジョン」「チーム学習」「システム思考」です。組織の一人ひとりがこのディシプリンを身につけているかどうかが、学習する組織と、従来の「コントロールを基盤とする組織」の根本的な違いだとされます*6。

自己マスタリーとは、個人が受け身にならず、たゆまず創造的に学び続ける能力や姿勢から生まれる熟達性のことです。センゲは「高度な自己マスタリーに達した人は、人生において自分が本当に求めている結果を生み出す能力を絶えず伸ばしていく」*7と言います。欲求段階説における、自己実現の欲求段階にいる人という理解が近いかもしれません。

メンタル・モデルとは、私たちが世界を認識する枠組みや、行動を規定する思考パターンのことで、ときに判断を歪める認知バイアスとして働きます。メンタル・モデルを持たない人はいませんが、自分のメンタル・モデルを常に振り返り、必要に応じて改めていく必要があります*8。

共有ビジョンは、「組織全体で深く共有されるようになる目標や価値観や使命」*9のことです。多くのリーダーは、個人的なビジョンしか持っておらず、人々は一時的にそれに追従することしかできません。個々人のビジョンが反映された、組織全体で真に共有できるビジョンがあれば、人々は心から打ち込むことができ、学習の焦点が絞られて生成的学習につながるとされます*10。

チーム学習は、ほぼ言葉通りの意味ですね。センゲは、現代の組織における学習の基本単位は個人ではなくチームであるとして、チームが学習できなければ組織は学習しえないと述べています*11。

最後のシステム思考は、「学習する組織」づくりの根幹にあたるもので、他の四つのディシプリンも統合し強化する、最も重要なディシプリンです。

:どういう思考なのですか?

先生:世界のあらゆる事象は相互に関連していますが、それらの関連の構造は目に見えないうえに、相互の影響がはっきりと立ち現れてくるには長い年月がかかることも珍しくありません。システム思考とは、そうした構造そのものを明らかにして、どうすれば変えていけるかを考えるための認知の枠組みのことを指します*12。

:うーん、いまいちピンときません…。

先生:1920年代のフォード社の失敗のことを思い起こしてみましょう。フォード社の売り上げが落ちはじめた背景には、販売から十数年が経過して低価格帯の自動車の需要が飽和し、新規顧客が見込めなくなったこと、初期の顧客が自動車の買い換えを検討しはじめた頃には、T型フォードがありふれたものになってしまい、より目新しい製品が求められていたことなどが挙げられます。フォード社の失敗は、この構造をシステム思考で捉えようとせず、T型フォードをより効率良く生産する方向へと突き進んだことにあったと言えるでしょう。

もっと身近な例で言えば、最近は医師の過重労働が問題になっていますね。ただ単に労働時間の上限を設けて、それを上回らないように医師を帰らせたり、時間外を超えて働かせた医療機関に罰則を設けるだけでは当然解決しません。医師の過重労働の常態化は、国の医療費の増大に起因する医療費削減政策、医療技術の向上、社会的な医療安全への意識の高まりなど、様々な社会経済的要因の上に、個々の医療機関の問題などが重なった結果起きています。目の前の出来事のみに注目して対処するのではなく、一連の構造を「システム」として捉えなければ、解決は望めませんよね。

:少しわかったような気がします。

:でも、これらのディシプリンを身につければ「学習する組織」になれると言われても、一つひとつのディシプリンが難しくて、道のりが遠いように思えます…。

先生:センゲも、組織の全員がディシプリンをすべてマスターした状態、というものは想定していません。「ディシプリンを実践することは、一生涯学習者になることだ。目的地に到達することは決してない。生涯をかけてディシプリンを習得するのである。」*13と述べています。「学習する組織」とは、「なる」ものではなく「学習する組織」を作るための実践をし続けるプロセスそのものだと言えるでしょう。

 

*6 同書, p.37
*7 同書, p.194
*8 同書, pp.41-42
*9 同書, p.43
*10 同書, pp.281-282
*11 同書, p.43
*12 同書, p.39
*13 同書, p.45

 

 

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