日医ニュース 第964号(平成13年11月5日)
持続可能な医療体制のために[1] 日本の医療の実情 日医総研 研究部長 石原 謙 |
日医広報委員会では,このたび,石原謙日医総研研究部長(愛媛大学医学部医療情報部教授)を招き,「日本の医療の実情―持続可能な医療体制のために―」と題する研究会を開催した.石原氏は,日本の医療の客観的評価と分析を試み,日本の現在の景気回復に最も有効な方法が,医療・福祉・保健への国家的投資であること,すでに,アメリカはその戦略を持っていることなどを述べた.今回から数回にわたり,その内容を掲載する. |
「日本の医療は,レベルが低く,情報も開示せず,効率も悪い.だから,医療レベルをアメリカ並みに上げて,競争を持ち込み,無駄を省かせよう」というのが,今の総合規制改革会議の主張である.それに対して,日本の医師は,人ごとのように総論で納得し,「私はこんなに一生懸命に地域医療に貢献しているのに」とつぶやいている.私の知るかぎり,百人の医師のうち九十九人までがこのような感覚を持っている.
しかし,本当にその感覚でよいのだろうか? 実際のところ,今の日本の医療制度は,日本国内の制度や産業のなかでも,世界的に評価の高いシステムである.二〇〇〇年に発表されたWHOの「World Health Report 2000」では,全世界の百九十一カ国の医療制度を五つの指標から評価し,日本は,フランス,イタリアなどと並び,最高水準の評価を受けている.
かのアメリカは,GDP比一四%という高額の医療費を使いながら,三十七位の厳しい評価しか受けていない.民間医療保険会社のコントロールによる高額な患者負担にもかかわらずお粗末な医療と,その保険にも入れない四千数百万人の人々の存在がこの評価結果となった.利潤と効率追求を至上命題とする民間医療保険会社が主導権を握ると,セーフティネットたる医療は崩壊の危機に瀕するのである.
アメリカでの「患者の権利法」は,患者の診療抑制の改善を保険会社と雇用主に対して求める法律であって,医師に対してではないことに,注目しておくべきである(日医総研アメリカレポート44「医療報償を中心とした大統領選挙の論点」岩屋孝彦,天池麻由美).また,わが国の医療保険制度が,クリントン前大統領夫人のヒラリー議員によるアメリカ医療制度の改革の手本になったことも周知の事実である.
EBM(Evidence Based Medicine)が叫ばれるなか,医療制度について考える際にも,「客観的な証拠に基づいた考察と,マクロとミクロに妥当な改善案」を持つべきである.診療にもインフォームド・コンセントがあり,患者さんも自らの治療について正しい知識を持つべきといいながら,日本の医師は,自らの周りの客観的な状況を把握できていない.患者負担増や医療費を抑制することなく,持続可能で合理的な医療改革の処方箋が何通りもあるのに,それが認識できていないのである.日医や各地の医師会の執行部に任せっきりにするのではなく,自ら日本の医療を考え,未来へのシナリオを描いていただきたい.
わが国の医療は,国際的に誇れる希有な制度を確立している.その証拠に,日本は世界一の長寿と健康余命を確保している.国際的な格付け機構ムーディズによると,日本の企業に君臨してきた銀行のうち,東京三菱銀行と新生銀行のみがDランクで,他はすべて最低のEランク(外部の支援を必要とする状況との認定)である(リチャード・クー週刊ダイヤモンド二〇〇一年十月二十日号五十五ページ).他の民間企業も,国際標準である連結企業会計や時価会計制度への対応に四苦八苦している.このような状況のなかで,わが国の医療は,WHOからすばらしい高評価を得ているのである.
国民の大半は,医療についてセーフティネットとして安定供給を強く望んでおり,実需としてのニーズも極めて強い成長産業である.政府が成長を期待している,生命科学,情報通信,環境,ナノテクノロジーの四分野も,研究開発の成果・製品の多くは,医療・保健の分野でこそ成長するマーケットがある.例えば,ゲノム技術で画期的新薬や遺伝子診断や治療ができるようになっても,医療に用いられなかったら? 医療のIT化が叫ばれているのに,医療現場ではそれらに対応するコストが確保できなかったら? ナノテクやマイクロマシンの最大の応用領域は医療だとされるのに,適応禁止なら?
新技術の実需が待ちかまえるマーケットである医療について,総額抑制を行うなら,四分野の技術発展の成果は悉く宝の持ち腐れとなり,当然,わが国の経済発展もおぼつかなくなる.