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第1012号(平成15年11月5日) |
第109回 日本医師会臨時代議員会 二〇〇三年十月十二日
会長所信表明
日本医師会 会長 坪井 栄孝
本日は,第百九回日本医師会臨時代議員会の開催をお願いいたしましたところ,お忙しいなかを早朝からご参集いただき,厚く御礼申し上げます.
本日ご審議をお願いいたします案件は,すでにご案内申し上げておりますとおり,第一号議案「平成十四年度日本医師会決算の件」から第四号議案「平成十四年度診療情報の提供の環境整備事業特別会計決算の件」まで決算関連の案件四件と,第五号議案「平成十五年度治験促進センター事業特別会計予算の件」と合わせて五つの議案でございます.
慎重なるご審議のうえ,ご承認賜りますようお願い申し上げます.
特に,第五号議案は,医師主導による治験実施体制の整備・充実を図るため,日本医師会が主体的な役割を担って治験センターを設置・運営し,わが国の医療の質と安全の確保・向上に資することを目的として行う事業でございます.
慎重なご審議のうえ,ご承認賜りますよう重ねてお願い申し上げます.
医療の安全確保の日医提言作成
本日,代議員会の開催に当たり,会務執行状況および近年の医療環境を取り巻く諸問題等について,いささか所信を述べさせていただきます.
冒頭,過日起きました東北地方および北海道における極めて強い地震の被害について,地域住民の方々に心からお見舞い申し上げます.
また,地域医師会の先生方が,災害のなかで医療提供にご尽力されたことに対し,心から敬意を表し,感謝申し上げます.
さて,近年立て続けに起きている医療事故が,国民に甚大なる衝撃を与え,わが国の医療に対する信頼感を喪失せしめたことは痛恨の極みであり,日本医師会としても国民に対して心から遺憾の意を表したいと思います.
そのなかのいくつかは,高度先進医療に位置づけられている医療行為の範疇で引き起こされている事故ということでありますが,国民は進歩した医療技術を享受することで,より幸せな生活が約束されるべきものでありますのに,まったく逆に尊い命を失ってしまった現実は,いかなる事情があるにしても許されるべきものではありません.
先端医療技術に限らず,医師は医療行為によって患者に害を与えるようなことがあってはならないという“ヒポクラテスの誓い”を引用するまでもなく,医療の安全性は医の倫理の基本原則であります.輸血,薬剤,臨床検査等,医療技術に関連するあらゆる業種の担当者に,医療行為によって患者に害を与えてはいけないという医の倫理の鉄則を厳格に認識させ,今後かかる不祥事が惹起されないよう,早急に態勢を整え,再発防止に全力を尽くすことをアピールすべきと考えます.そのような意味から,この際,日本医師会は医療の安全を確保するための具体的な提言を積極的に行うべき時期であると考えます.早急に医師会内に設置してあります自浄作用活性化委員会をはじめ,医療安全対策委員会,会員の倫理向上委員会,学術推進会議等,関連のある諸委員会に緊急諮問を行い,事故防止に関する具体的な意見を求めるとともに,提言文案を作成し,執行部の稟議を経て,医学会,行政府,政治家および一般国民に公表し,日本医師会の医療事故防止に対する覚悟と行動指針を伝え,失われた信頼感を呼び戻す行動を起こしていきたいと思います.
過去に世界医師会の理事会に提案された世界医師会ヘルシンキ宣言の修正案に,日本医師会は医の倫理が損なわれる危惧があることを指摘して,積極的に反対を唱え,間違っても人の命が価格づけされたり,発展途上国をはじめ,経済力の弱い国々の民族の尊厳が,グローバリゼーションとか経済効率という尺度で,切り捨てられてしまうことが決して起きないよう,防禦してまいりました.
品質の高い医療,安全性の高い医療こそ,今や地球全人類の渇望するものであり,国際医師会でも指導的立場にある日本医師会が,国内における医療の安全性についても確固たる理念を持って行動すべきことは,いうまでもないことでございます.可能な限り速やかに,医療の安全確保のための日本医師会提言を公表し,国民の安心感を醸成しなくてはなりません.
代議員諸先生のご理解とご支援を切にお願いいたします.
有床診療所問題と定年制・会員資格の一元化
次に,医療提供体制に関わる事項について述べさせていただきます.
日本の医療文化ともいわれます有床診療所の存続を危うくするような医療法第十三条の撤廃についての論議は,すでに数十年続けられてきました.四十八時間という限定された入院期限の取り扱いについては,担当医師が必要と認められればその限りではないという附帯条項が付いているとはいいながら,現場の有床診療所と行政との間では常に見解が合致せず,必ずしも円滑な運用がなされていない現実があります.したがって,この条項の完全撤廃を求めるべく,厚生労働省医政局との交渉を進めております.
会内有床診療所検討委員会の委員との間でかなり具体的に掘り下げた話し合いができておりますが,難事業であることに間違いはありません.継続して折衝を続け,目的の達成を図る決意でおります.この問題をわが国の医療提供体制のあり方の根本的な構造改革の視野のなかで解決策を検討していけば,可能性は出てくるものと考えております.日本医師会の悲願ともいうべき事項でございますので,医療法第十三条患者収容時間制限条項の撤廃および有床診療所関連の諸問題につき解決を急ぎたいと思います. 前回の代議員会で提案がありました執行部と代議員の七十歳定年制導入と,会員資格の一元化および有床診療所に関する検討等について,総括的に協議を行うため,定款・諸規程検討委員会を設置し,解決を図るべく約束いたしました.早速設置をいたし,協議を重ねていただきました.委員会の報告書の提出を受けましたので各都道府県医師会にお送りいたしてあります.その内容はご存じのことと思いますが,定年制・会員資格の一元化については,それぞれ導入すべきでない,非常に困難であるとの結論であり,有床診療所問題については先ほど述べたとおりでございます.
なお,各ブロックとの意見交換会の折,各種免許・資格用の診断書の発行についてのご意見をいただきましたので,厚労省関係者との協議を行い,その結果として,基本的に診断できないものは診断書を書くべきでないとの意見が大勢を占めております.なお,厚労省においても,早い時期に医師会の協力を得つつ検討班を設け,年度内にも中間的な見解をまとめることができるように進めていきたいとの回答を得ておりますので,結論はしばらくお待ちいただくことになると思います.
時代に即した看護体制の構築
次に,わが国の看護体系について述べたいと思います.
少子高齢社会が世界一速いテンポで現実のものになり,一方,医学の目覚ましい進歩は,地域医療の向上にも大きな影響を与え,医療提供体制も量・質ともに急速に様変わりを見せております.そのような状況下にあって,わが国の看護体系の明確化と具体的な整備目標が求められるのは当然のことであります.高齢者に対する看護・介護はどうあるべきか,また,高度医療技術の進歩に即応する看護のあり方の整備などが国民的な要望として顕在化してきております.日本医師会は,地域医療体系のなかでパートナーである看護師の専門職能を尊重しつつ,時代に即した看護体制の構築に努力をすべきであると考えております.
日本医師会は,かねてより地域医療における看護体系はILOの勧告に基づき,看護師,准看護師,看護補助者のチームによる三層構造づくりによって運用すべきことを主張し,特に高齢社会における介護業務の量の増加に直面して再認識されてきた准看護師制度の存在意義の高まりも指摘してきております.さらに近年は,法律の制定に伴い,社会福祉士や介護福祉士をはじめとする多業種の人々の参入が増え,看護・介護は多層構造化しています.この現象は,社会の価値観の変革に押されて,さらに多角化していくと思われますが,新しい段階に入りましても,基本的に看護・介護の三層構造の意義は,軽くなるものではありません.むしろ,医療・看護に対する理念も実績も異なるこれらの各層の人々をいかに合目的的に編成して,いかに効果的に地域において看護・介護を実行するか,行動計画の作成を医師と看護師の共同作業によって体系づけられるべき任務が附加されたと考えています.
従来から三層構造のなかでの准看制度存続の必要性を主張してきた日本医師会は,新たな社会背景のなかで存続の必要性を主張し,看護・介護体系の構築こそ急務であるという認識のもとで作業を進めていきたいと考えております.具体的には,日本医師会と日本看護協会および行政との共同プロジェクトチームを構成し,日本における看護体系の完備を図っていきたいと思います.
国際協力を通じ,世界人類の幸福に貢献
次に,国際医師会の状況についてご報告いたします.
世界医師会における日本医師会の貢献度は,年々深まり,国際的な評価が高くなってきておりますが,その理由は,医の倫理を強調し,医の安全性の向上を主眼とした日本医師会の提案が世界医師会宣言として採択され,さらに日本医師会の提案した水と医療の世界医師会宣言文の作成について作業部会が設置されるなど,活発な活動によるものであります.
一方,二〇〇三年十二月十一,十二の両日,東京においてアジア大洋州医師会連合総会を主催する予定であることや,二〇〇四年十月六日から五日間,東京において世界医師会東京総会を主催することと,その準備委員会の設置を理事会において承認いただいたことなど,国際医師会の場における着実な業績の蓄積を重ねております.今後も日本の医療が持っている極めて優れたアートを国際医師会に反映することによって世界人類の幸福に貢献したいと思っております.
また,ネパールにおける国際協力も順調に進み,ネパールのスタッフによる医療事業へと移管を進めつつ,なお引き続き協力をしていく所存でございます.併せて行っておりますネパールにおける学校教育に対する事業も,地域住民のめざましい識字率の向上に象徴されるごとく実績を上げていることは,ネパール政府からも高く評価されているところでございます.一方,アメリカ合衆国におけるハーバード大学公衆衛生大学院との協力で行っております武見プログラムも関係する多くの人々の熱意によって,継続的な実績を上げております.これら国際協力事業に対する日本医師会会員のご理解とご支援に感謝いたしますとともに,引き続きご協力をいただきますようお願いいたします.
診療報酬改定の重要因子は財源の調達
さて,前回診療報酬のマイナス改定と患者負担の増額により,予測した以上のダメージが出現し,診療所,病院ともに医業経営の甚大な悪影響を現出してしまったことに対して,執行部責任者として誠に心痛の極みであり,心苦しく,深くお詫びいたさねばなりません.
その後の修復作業によってある程度の回復をみたところもありますが,まだまだその影響は消失しておらず,さらなる努力が必要であると考えております.
次回,平成十六年度診療報酬改定に際しては,残されている未修正部分の回復と併せて,診療報酬体系のあり方を根本的に論議し,さらに現場の要望に合致した改定を行うべく,中医協において論議を重ねております.本日の代議員会の質問内容を拝見しますと,代表質問に五題,個人質問に三題の診療報酬に関連するものが含まれており,代議員諸先生はもちろん当然のことながら,全会員が非常に大きな関心を持っておられると痛感いたしております.さらに詳細については,担当役員から回答申し上げることになっておりますが,診療報酬改定に最も重要な因子は,財源の調達でございます.次回改定財源につきましては,前回改定直後から財務省,厚労省をはじめ,関係各部門との折衝を始めておりましたが,今後も中医協の改定論議と並行して,財源についてのロビーイングをはじめとして,関係部門への説得を強力に展開していく所存でございます.
矛盾する二つの欲望が混在する医療改革
「聖域なき構造改革」を掲げる小泉内閣の改革路線は,医療の世界にも傷跡を多数残しております.小泉内閣の医療改革の中身には,色合いの異なる二つの欲望が混在しています.一つは,人命に価格をつけ,そのなかで金儲けをしようとする市場原理主義者による医療改革論でございます.具体的には,株式会社による病院経営参入や,混合診療の導入,健保組合が医療機関を選ぶ直接契約の推進などでございます.「日本の医療の質を向上させるためにこうした規制緩和策が必要だ」というのが彼らのいい分でございます.しかし,こうした主張は,これまで保たれてきた医療の公平性や患者の医療機関選択の自由を根本から侵害しかねないものです.極端ないい方をすれば,「金持ちの痛みはとってやるが,貧乏人は我慢しろ」といっていることと同じであって,国民にとっては到底受け入れられるものではありません.
もう一つが,財務官僚がリードする医療費抑制の流れでございます.彼らは,医療費の総枠抑制や老人医療費の伸び率管理といった汗をかかなくても実績が上げられそうな行政手法で,医療費を抑えにかかっています.確かに医療費の増大は深刻な問題ですが,財務省の懐具合を見ながら国民への給付を増減させるような手法は,国民の福祉を考えた政策とはいえません.
現在の医療費は,およそ三十一兆円でございます.市場原理主義者はそれが多ければ多いほど望ましいと考え,財務官僚は少なければ少ないほどいいと思っています.この矛盾する二つの欲望が医療改革の場に混在しているということです.こうして日本の医療改革は,何ら一貫性もないまま,小手先の改革や改悪のみで,抜本的な構造改革には未着手であります.社会保障制度の構造改革は,むしろ,これからが本番だと考えております.
私は,今回の自民党総裁選で小泉支持を表明いたしました.私の回りにはこの方針に異を唱える声も少なくありませんでした.「小泉首相の構造改革で,医師会は叩かれまくっている.それなのになぜ支持をするのか」というお叱りです.小泉内閣の進めた医療政策の中身は,とんでもなく劣悪なものです.そのことは承知しております.それではなぜ支持をしたのかということですが,それは,これまで場当たり的な対応に終始してきたため,もはや制度として限界にきているわが国の社会保障構造を,本気で変えるためには,改革を叫ぶ小泉改革論のようなエネルギーが必要だと痛感しているからです.社会保障の改革は,もはやつぎはぎで済む段階ではございません.国の将来のビジョンをはっきり示したうえで,根本にメスを入れなければなりません.それができるリーダーはだれかと政界を見回したときに,遮二無二実行するだろうと期待を持てる政治家は見当たりません.何よりも国を挙げての「改革」の機運の盛り上がりが,医療改革にとって,またとないチャンスだと私は考えています.
社会保障を国家戦略の一環として捉える
根本から医療改革に取り組もうとするなら,そこには国家観や医の倫理観が必要になります.そのなかで新しい社会保障の概念が位置づけられていかないと,改革の方向性がぶれてしまうからです.前回の代議員会でも申し上げましたとおり,社会保障は国家戦略の一環として拡充されていかなければなりません.
雇用がきちんと確保され,老後には年金がきちんと支払われる.そういう社会保障制度を,国土防衛を考えるのと同じような真剣さで,政府は責任を持って構築していかなければならないと思っています.これまで政治家が抱いてきた社会保障の概念は,貧しい人たちに施せばそれで足りるというものでした.それだけではなく,恐ろしいことには,社会保障に消費される財源は他の政策に回すことが国家戦略だと思っているのです.貧者救済という面も社会保障にはもちろん必要です.しかし,それだけでなく,これからの社会保障は,若い人も年寄りもすべての人が享受できるような社会福祉を目指すべきなのであります.
これから必要になるのは,生命の創生の段階から,教育,就業,年金,そして終末期医療まで,それぞれのライフサイクルに合った,人生全体をカバーする社会保障です.われわれが目指すのは,かつてのイギリスの「ゆりかごから墓場まで」の社会保障よりずっと広い概念です.
しかし,極限まで発展を遂げたと錯覚させられるような高度情報社会と生き方の価値観が大きく変貌したなかで,医の倫理を基調とした社会保障概念を,国民各位が自己の価値観のなかで納得してもらうためには,従来の手法を超えた多角的な情報ネットワークの構築が必要となることでしょう.
この事業を遂行するためには,従来の医師会が持っていた専門職としてのラチチュードでは対応が困難であり,より広い視野と他分野の専門知識と技術が必要になります.国民の健康に対する多様性の強い欲求に応えていく必要が生じた日本医師会の進路選択は,かなりのエネルギーが必要であり,技術集積が必要であることを痛感いたしております.
しかし,この理念を実現し,社会保障を国家戦略として捉えられる世の中をつくり上げるためには,国民の合意のもとで何としても政治と行政を説得することが必要であり,そのためのたゆまぬ努力をしていくことが,日本医師会の最大の責務と考えなければならないと思います.
愛される専門団体として,さらなる飛躍を期待
この重大な難事業の完遂には,強烈な情熱と優れた大局観が必要であり,また,会長としての優れた指導力と会員全員の強固な団結力が不可欠であります.この局面に立ち自己の限界を覚るとき,私は,次期会長選挙には立候補しないことを決意いたしました.
私は,昭和六十三年十月,日本医師会常任理事に選任されて以来十五年間,日本医師会執行部として仕事をさせていただきました.その間,平成八年から本日まで四期八年間,日本医師会長としての重責をお任せいただきました.
激動期の真っ只中での職務でありましたので,仕事のしがいがあったことは確かですが,浅学非才の身ゆえに,全国日本医師会会員諸先生に対し,多大のご迷惑をおかけしたことと存じます.お許しいただきたいと思います.
今後の日本医師会が,国民すべての理解のもとで,愛される専門団体としてさらなる飛躍を遂げ,世界一の医療国をつくり上げていくことを期待申し上げ,第百九回日本医師会臨時代議員会における会長所信表明とさせていただきます.ありがとうございました.
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