日医ニュース
日医ニュース目次 第1030号(平成16年8月5日)

No.10
オピニオン

酒の十徳
小泉武夫(東京農業大学教授)

小泉武夫(こいずみたけお)
昭和18年生まれ,東京農業大学農学部醸造学科卒,農学博士.主な著書は「酒の話」「発酵」「食あれば楽あり」など多数.専門は発酵科学,醸造学.

 そんなばかげたことは,もうなくなったと思っていたが,実はまだ行われている.一時,社会的問題にもなった酒のイッキ飲みだ.先日,渋谷の大衆酒場でそれを見たのである.男女入り乱れてキャーキャーワーワーという声があまりにもうるさいので,自分の席を離れて見にいってみると,いやもうそれは大変な破廉恥騒ぎであった.
 若者が,ビールや焼酎のウーロン茶割りのようなものを満々と注いだコップを右手に持って立ち上がり,「ではこれからイッキにまいりまーす!」なんて宣言し,それを飲みはじめる.すると周りの連中は,「イッキ!イッキ!」などと大合唱ではやし立てているのであった.
 先輩たちから伝授されてきた醜い儀式なんだかどうだか知らないが,そんなばかなことをさらに次の後輩に伝えていくのであろうから,まったくもって困ったものである.一時は下火になったかと思われたが,いまだに根強く残っているようだ.
 このイッキ飲み,いまさらいうまでもなく,百害あって一利なし.自分の適正酒量もわからぬ若者たちがアルコールをガブ飲みしたら,急性アルコール性ショック症や急性胃腸炎などを起こす危険性は非常に高い.現に毎年,イッキ飲みで数名が命を落としているという.
 飲めなかったら仲間はずれにされるから飲むのだろうか.それとも,よくやったといわれたいから飲むのだろうか.いずれにしても酒を遊びの道具に使うという,これほど堕落性に満ちて排他的な酒の飲み方をする国民を私はほかに知らない.そして,あのイッキ飲みから思い当たることは「イジメ」の体質である.イッキ飲みをした者には罰を与えず,それを行わない者には強要する.酒というのは,そもそもガブ飲みするものではなく,適量を知って味わって飲むものである.腰を抜かすほど酔っぱらうような人には,酒を飲む資格がない.

洗練された酒の飲み方

 こんな時代の堕落した酔っぱらいには,江戸時代の酒客たちの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい話がある.実は江戸時代の酒の飲み方は,現在よりもはるかに洗練されていた.
 『餅酒論(もちさけろん)』という一種の知的なゲームからそのあたりが解明されるのだが,これは,餅が好きな人と酒が好きな人たちが集まり,餅組と酒組の二組に分かれて,餅と酒のどちらがすばらしいか,また,相手にはどんな欠陥があるかなどの議論をたたかわすというものだ.その様子は,ニュースで見るイギリスの議会を思い浮かべるといいだろう.与党議員と野党議員が右と左に分かれて,お互いに向かい合ってディスカッションするあれを江戸時代の日本人がやったのである.
 一方には,餅が好きで酒が嫌いだという甘党が座り,もう一方には餅なんてとんでもない,酒だという辛党が座る.そして,餅党は酒の悪いところと餅のいいところを論じ,酒党は,餅のだめなところと,酒のすばらしさをいう.これが『餅酒論』である.結論としては酒も餅もほどほどがいいということで決着がつくのだが,いかにも知的なやりとりである.
 『餅酒論』の起源はかなり古いようで,室町時代の狂言に『餅酒』というものがある.このあたりからずっと受け継がれてきたのだろう.
 ところで,この『餅酒論』の結論として酒組のまとめた「酒の十徳」というものが出てくる.これは酒の持つ十の効用を並べあげて,酒を称賛したものである.それによると十徳の第一は「酒は独居の友となる」.つまり独り淋しいときに,酒は友人のように自分を励ましてくれるというものだ.
 第二の徳は「労をいとう」.仕事で疲れた体を酒が安らかにしてくれるということ.
 第三は「憂を忘れる」.文字どおり,酒にはいやなことを忘れさせてくれる効用がある.
 第四は「鬱(うつ)をひらく」であり,心の愁いを払ってくれるというのである.
 第五は「気をめぐらす」.前の項と関連があるが,酒は体に活気をみなぎらせるということ.
 第六の徳は「推参に便あり」.すなわち祝いや見舞い,土産などに持っていくと大層喜ばれるということだ.
 第七の徳は,酒が「百薬の長」であるということ.ほどよく飲んでいれば,酒は健康を保ち,延命の効果さえあるという.
 第八は「人と親しむ」.まさに,酒は人の心を開く.酒は人と人をつなぐ接着剤のような役割をする.
 第九の徳は「縁を結ぶ」で,酒によってすばらしい人との出会いがあるということ.
 そして第十の徳は「寒気の衣となる」.寒いときに酒を飲むと体が温まるので,ちょうど衣を着たようなものだというわけだ.
 どうだろうか.昔の人は,このような酒の十徳をつくって酒を敬っていたのである.
 もっとも,「酒に十徳あり」と決めつけている古文書ばかりではなく,害のあるものだと記しているのも少なくない.そこには「狂水(くるいみず)」「地獄湯(じごくとう)」「狂薬(きょうやく)」「万病源(まんびょうのもと)」などといった言葉で酒害を説いている.

酒は心で始まり,心で終わる

酒の道を教える図(江戸時代).昔は元服式を迎えると,正しい酒の飲み方を通じて礼儀作法や精神の修養も教えた(小泉武夫著『日本酒ルネッサンス』中公新書より).

 確かに,ほどよく飲めば十の徳を持ち百薬の長となる酒であっても,飲み方を誤れば狂水にも地獄湯にもなろう.イッキ飲みや自己排他的酒飲みをするような現代人には,酒は狂薬となって万病の源となるに違いない.
 酒の力を借りて威張ったり,酒の力を借りてストレスを発散したりといった飲み方は,本来の酒の飲み方ではない.酒を敬い,酒の心を知って,自分の心をそれに照らし合わせながら,酒を身体のなかに入れてやる.それが酒飲みに必要な心なのである.酒は心で始まり,心で終わるものだと私は信じている.
 貝原益軒は『養生訓』で,次のような名文を訓じた.
 「酒は少し飲めば陽気を補助し,血気をやわらげ,食気をめぐらし,愁を去り,興をおこして役にたつ.しかし,たくさん飲むと酒ほど人を害するものはほかにない.ちょうど水や火が人を助けると同時に,また人に災いをするようなものである.」
 ここにイッキ飲みをする現代の若者たちのために,江戸時代の一枚の絵を載せることにする.元服(げんぷく)(今でいう成人式で,当時は十一歳〜十六歳ぐらいで行った)の時に正しい酒の飲み方を両親や祖父母から厳粛に教わっているところの絵だ.堕落した今の世ではとうてい考えもつかない光景である.成人式で爆竹を鳴らしたり,主催者側を恫喝して式を混乱させたり,イッキ飲みしてばか騒ぎしている若者たちが,この一枚の絵から何ものかをつかみとって目覚めてくれれば幸いだ.

このページのトップへ

日本医師会ホームページ http://www.med.or.jp/
Copyright (C) Japan Medical Association. All rights reserved.