日医ニュース
日医ニュース目次 第1066号(平成18年2月5日)

NO.28
オピニオン

医療トラブルの防止策
医師の“ちょっとした一言”の影響を考える

田中正博(田中危機管理・広報事務所所長)

 医療を取り巻くトラブルが急増している.そのような時代に,医師は日ごろの診療のなかで,どのようなことに気をつければよいのか.危機管理の専門家であり,日医の広報戦略会議の委員でもある田中正博氏に指摘してもらった.
(なお,感想などは広報課までお寄せください)

田中正博(たなか まさひろ)
 田中危機管理・広報事務所所長.早稲田大学文学部英文科卒.昭和37年(株)電通PRセンター(現電通パブリックリレーションズ)入社,専務取締役メディアリレーションズ局長,専務取締役本部統括,顧問を経て,平成14年から現職.専門領域は「危機管理」「広報」「コミュニケーション」.平成16年から日医の広報戦略会議委員を務める.
 ホテル,レストラン,航空会社,宅配便,学校,それに医療機関.一見,何の関連性もないように思われるかも知れないが,実は共通点がある.それはいずれも,「サービス業」であることである.
 「サービス業」とは,“人手を介して”相手にそれぞれの業務を提供し,その相手から,「ありがとうございます(ました)」「お陰様で…」といった感謝やお礼のことばを代価として受ける仕事をする点に特徴がある.
 この“人手を介して”というところが肝心な点で,サービス業の評価はまさにその仕事に従事する人の「ことば」と「動作」が,決定的なキメ手になる.
 サービス業の代表格である航空会社の客室乗務員に,いろいろな企業が接遇の指導を受けることが多いのも,そのためである.
 医療機関も,“人手を介した”業務を提供していることからみれば,典型的なサービス業である.当然,医療従事者の「ことば」と「動作」が評価の重要な一つのポイントになる.

医師の評価を決めるポイントとは

 世には「名門の」とか「著名な」とか「名声」といった,いわゆる“名前”の上での評価がある.しかし,医療機関の場合,自分の担当医(たまたま担当するケースもある)がどれだけの経験や技術,知識を持つ医師であるかは,“事前”に患者が判断するのは難しい.
 こんな例がある.友人が著名な大病院で,ある病気の診断を受けた.この時に担当医師が示した“ある言動”が,この友人の心を傷つけたのだという.その瞬間,この友人は,「この医師の手術は受けたくない.仮に受けることになっても,最初に受けた心理的反感が原因で,その後,ちょっとしたことにも不信感を抱き,トラブルを起こしかねない」と.このため,別の病院に変えてしまった.
 このケースは,“治療以前の段階”で,患者(もしくは家族)が医師に対して「不信感」を持ってしまうことを示唆する典型的例だ.
 逆のケースもある.私の体験だが,術後,抜糸を忘れられ,一部の糸を一カ月後の診察時に主治医が見つけた.若い医師が抜き忘れたか,見逃したのだろう.しかし,この若い医師も主治医も,当時,私が置かれていた個人的立場や状況を理解しており,病気の特性,治療法,入院時期などについて親切に,気遣いながら分かりやすく語ってくれた.このため,私は何一つ不安感を持つことなく,ある悪性腫瘍の手術を受けたのであった.したがって,“一部の抜糸を忘れた”,ということを知らされても,「エッ,何ということを!」という気持ちをもつことなく,「あ,そうだったのですか」という淡々とした気持ちで終わった.
 最初に受けた医師への信頼感が,その後に生じた“抜糸忘れ”への非難を打ち消したわけである.
 サービス業には,「絶対的評価」は難しく,「相対的評価」の方がむしろ大きい.つまり,“相手次第”で評価に差が出やすい.一〇〇・一%と九九・九%とでは,その差はわずか〇・二%である.しかし,相手がどのレベルに一〇〇%の視点を置くかによって,満足と不満足が分かれてしまう.
 医療機関の場合には,この分岐点が名声や有名などの“名前”の上で決まることももちろんあるだろう.しかし,実際には,「最初の印象」が,かなり大きな比重を占めているのではないだろうか.
 それを裏付ける興味深い,ある法則がある.
 「メラビアンの法則」と呼ばれているもので,「話す人の聞き手に与える印象」は,どんな要因で決まるのか─それを次のように示している.
 表情やしぐさ,見た目(つまり,目から入った印象)で五五%の印象が決まり,話す時の声の質や大きさ,テンポ(つまり,耳から入る印象)などで三八%その人の印象が決まり,話した内容(つまり,情報)によって,その人に対する印象が決まるのは七%である─(この「メラビアンの法則」は,巷間,伝えられているものであって,心理学者のメラビアン博士はそんな法則は表明していないともいわれているが).
 その真偽は別として,巷間説の「メラビアンの法則」は,現実には多々,思い当たるフシがある.
 前述した二つのケースなどはまさにこの法則どおりで,話し手である医師が聞き手の患者にどんな印象を与え,それは,どんな要因が大きく働いて与えたかを示している.

医はコミュニケーション

 医療トラブルは増える一方にある.明らかな医療ミスの場合は,謝罪,補償,訴訟もやむを得ない流れである.しかし,因果関係が分からない状況でのクレームも多いはずである.
 問題は後者の方だ.お互いに譲るわけにいかず,ゴールの見えにくい紛争が続く.こうしたケースの背後にあるのは,医師が患者,または家族に与えた“配慮のない言動”が原因になっているのではないだろうか.
 患者側は常にこちら側が考えている以上の不安感,苦悩,苦痛を抱えてやって来る.その心理を踏まえた優しい気配りや言動が,「最初の印象」を左右する.そして,「最初の印象の良し悪し」が,その後の治療の信頼感を大きく左右する結果を招く.こういうことを認識すれば,少なくとも現状よりも医事紛争は少なくなるのではないだろうか.
 昔から「医は仁術」ということばがあった.今様にいえば「医はコミュニケーション」である.コミュニケーションなき医療はいつかトラブルを招く.医師の“ちょっとしたひと言”が患者に与える影響力を,再認識すべき時代なのである.

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