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第1085号(平成18年11月20日) |
第59回 日本医師会設立記念医学大会
受賞者の横顔

第五十九回日本医師会設立記念医学大会の席上表彰された日本医師会最高優功賞のうち,都道府県医師会長推薦による「医学,医術の研究により医学,医療の発展又は社会福祉の向上に貢献し,特に功績顕著なる功労者」の横顔を紹介する.
地域住民への健康教育活動に貢献した団体
北海道 札幌市医師会家庭医学講座(代表・上埜 光紀)
札幌市医師会では,昭和五十三年度から市民を対象とした各種教育講座を開催し,市民の健康,疾病に対する知識を深めるため,健康教育活動を積極的に行っている.
「家庭医学講座」は,全市民を対象に昭和五十四年から開始し,年八回開催している.講演後には専門医による個人相談コーナーを設けるなど,これまで百九十回開催し,延べ四万四千人の参加者があった.
「市民健康教育講座」は,各区単位で昭和五十三年から開始し,年三十一回開催している.これまで七百二回開催し,延べ五万六千人の参加があった.
「地域健康教室」は,町内会単位で昭和六十二年から開始し,年三十三回開催している.これまで五百二十七回開催し,延べ三万五千人が参加した.
「市民医療フォーラム」は,平成十六年度から新たに,市民と身近に気軽にカラダのことを話そうという趣旨で開始しており,これまで二回開催した.
なお,これらの活動が認められ,平成元年,市民憲章実践優良団体として,札幌市から表彰された.
小児初期救急医療体制の確立に貢献した医師会
千葉県 印旛市郡医師会(黒田 健昭会長)
昭和二十二年印旛市郡医師会設立.平成十二年の千葉県小児科医会の調査では,印旛地区においては,年間約一万八千人の時間外,夜間小児救急患者があり,その九七%を病院勤務医が診ていることが分かった.当時の印旛市郡医師会長はこれを憂慮して,印旛地域内基幹病院の勤務医と開業医による印旛市郡小児科医会を立ち上げ,医師会の救急医療委員会とともに,行政との折衝を含む準備作業を進め,平成十四年,印旛市郡小児初期急病診療所を開設した.
診療は三百六十五日無休で,平日は十九時から翌朝六時まで,祝祭日はこれに日勤(九〜十七時)も加わる.二次輪番病院として基幹四病院がバックアップ体制をとっている.年間約一万六千人が受診し,高次病院は本来の機能を取り戻すことができた.市民からの支持も厚く,財政運営も順調である.
印旛地域は十一市町村からなり,市町村の境界領域では,かかりつけ医の診療圏は行政の区域と一致しない.予防接種が,かかりつけ医による個別接種に方向転換されたのに伴い,医師会では行政と協議して,市町村枠を超えた相互乗り入れシステムを取りまとめ,平成十五年,全県に先駆けて実施した.
在宅医療支援体制の整備・充実に貢献した医師会
静岡県 静岡市静岡医師会(代表・杉山 正暉)
昭和二十二年静岡市医師会設立(平成十五年静岡・清水両市の合併により静岡市静岡医師会に改称).「かかりつけ医推進試行的事業」に取り組み,在宅医療を推進するには患者家族の不安をいかに少なくするかが重要であると考え,在宅医療の現場からの声を中心として,度重なる協議の結果,医師会のみでなく公的病院および消防救急隊の協力を得て,次の二つのシステムが生まれ,現在に至っている.
(1)在宅医療支援当番システム:あらかじめ病状等を記入したカードを登録しておくことにより,何らかの理由で臨終時に主治医と連絡が取れない場合でも,患者家族が消防署に連絡することにより,主治医に変わり当番医が看取りに立ち会い,自宅で希望どおりのケアを受けることができるシステム.
(2)在宅患者相互連携システム:あらかじめ病状等を記入したカードを登録しておくことにより,在宅寝たきり患者が急変し,病院での治療が必要となった時,かかりつけ医と連絡が取れない場合でも,カードにより登録した希望する病院で,カードの登録内容に沿った適切な治療が受けられ,必要であれば入院もできるシステム.
どちらのシステムも,利用者より,「安心感があり,心強い」との声が寄せられている.
救急医療における広域連携体制の確立に貢献した医師会
鹿児島県 指宿医師会(今林 正明会長)
昭和二十二年指宿市郡医師会設立(平成十八年指宿医師会へ名称変更).指宿医師会は,平成十八年四月九日(日)十八時五分,鹿児島県肝属郡南大隅町佐多岬沖で発生し,乗客・乗員百十名全員が重軽傷を負った,高速船「トッピー四」衝突事故の際に,事故発生初期から地元医師会として,今林整形外科病院内(今林正明院長・指宿医師会長)に救急医療対策本部を設置.救急医療担当理事を現場の指揮に当たらせたほか,受け入れ医療機関や現場救護斑の要請,鹿児島県医師会,鹿児島県危機管理局防災課との連携を密にし,負傷者の救護体制を確保した.
また,負傷者が到着した指宿港や山川港に医師を派遣し,指宿地区消防組合,第十管区海上保安本部などと連携して,多数の患者の状態を迅速に把握して搬送するトリアージや応急処置などの治療活動を行った.
これらは同医師会が,昭和五十四年から,ホテル火災や大型バス事故などを想定した集団救急訓練を,消防,行政と連携を密にして実施し,集団災害発生時の救急医療体制の確立と充実を図ることを念頭に,訓練に取り組んできた成果であると高く評価される.
さらに,平成十年一月には災害救急医療対策要綱を作成し,救急広域連携体制の確立に尽力,地域医療の発展向上に大きく貢献している.
地域医療体制及び救急医療体制の確立に貢献した功労者
茨城県 嶋 和夫先生
昭和四年四月六日生まれ(七十七歳),昭和三十年日本大学医学部卒業.昭和三十八年日立厚生医院開設.昭和四十五年日立市医師会理事,昭和五十三年同副会長,平成八年同会長.昭和五十六年より茨城県医師会代議員・副議長・議長を歴任.平成八年日医代議員.
昭和三十八年に開業以来,一貫して地域医療活動に専念し,特に地域救急医療体制の組織化の大きな力となった.日立市医師会員の長年の願望であった医師会付属准看護学院を設立したが,昭和四十五年同准看護学院を発展的に解消し,財団法人日立メディカルセンターを設立し,通算三十四年にわたり,事業推進を進めた功労は大きい.
医師会においては,会長八年を含め十四年間要職を務め,医師会立訪問看護ステーション事業,国の委託事業としての地域産業保健センターの受け入れ,新生児救急医療事業の推進,休日診療所の充実発展などに大きく貢献した.さらに,地域中核病院との連携を構築強化し,平成十年日立総合病院に開放病床を開設するなど,地域医療連携に果たした功績は非常に大きい.
地域医療の向上及び保健衛生活動に貢献した功労者
埼玉県 飯野 洸朗先生
昭和三年十二月二十五日生まれ(七十七歳),昭和二十五年慶應義塾大学附属医学専門部卒業.昭和三十三年飯野医院院長.昭和四十一年蕨・戸田市医師会理事,昭和四十九年同副会長,昭和五十七年同会長.昭和六十三年埼玉県医師会理事,平成四年同常任理事.埼玉県医師会学校医会副会長,埼玉県医師会各種委員会委員長など歴任.
昭和三十三年の開業以来四十八年間,蕨市,戸田市,近隣市町村の地域医療および保健衛生活動に専念し,地域住民の健康保持増進に多大な貢献をした.
医師会活動は,昭和四十一年から二十二年間にわたり要職を務め,昭和六十一年には蕨・戸田市医師会の新医師会館を完成させ,同医師会の現体制を確立した.
また,埼玉県医師会常任理事として,関係機関,行政との折衝,各種行事の開催,通知等連絡事項の周知を徹底し,県内における地域医療体制の整備,充実,発展に多大な貢献をした.
また,公衆衛生,保健衛生の高揚に努め,四十三年間にわたり学校医として活動している.
救急医療体制の確立及び看護教育に貢献した功労者
新潟県 稲月 作之助先生
昭和三年七月二十六日生まれ(七十八歳),昭和二十八年新潟医科大学卒業.昭和三十九年稲月神経科・内科医院開業.昭和四十八年新潟市医師会理事,昭和六十一年同副会長,平成六年同会長.新潟県医師会代議員・副議長・議長を歴任.この間,新潟市保健衛生連絡協議会委員,救急医療対策会議委員,保健医療推進会議委員等を務めた.
新潟市急患診療センターは,昭和四十八年に休日昼間の診療を開始して以来,診療時間帯を拡充してきたが,未実施だった深夜帯について,医師会と行政当局とで協議のうえ,平成八年から朝七時まで診療することとなった.これによって休日,夜間等の一次救急をカバーする時間帯が広がり,市民,近隣住民への救急医療提供体制を前進させた功績は大きい.
精神科救急医療については,県行政や県精神医療機関協議会等に対して,これを早期に実施するよう,市医師会として強く働き掛け,平成九年に新潟県精神科救急システムが発足した.
平成六年より新潟市医師会准看護学校長を務め,また,新潟県准看護師試験委員として,地元の看護体制の充実に貢献した.
感染症予防及び救急医療体制の確立に貢献した功労者
岐阜県 堀 永昌先生
昭和八年九月二十二日生まれ(七十三歳),昭和三十三年岐阜県立医科大学卒業.昭和四十五年堀産婦人科開業.昭和五十四年各務原市医師会理事,昭和五十七年同副会長,平成六年同会長.昭和五十七年岐阜県医師会常務理事,平成十二年同副会長.その間,岐阜県医師会協同組合副理事長,岐阜県医師国民健康保険組合副理事長,岐阜県医師信用組合副理事長,日医代議員などを歴任し,医学・医療・医道倫理の高揚等会員の指導に当たった.岐阜県地方社会保険医療協議会委員をはじめ各種委員を歴任し,県の医療行政の充実・発展に寄与した.
特に,ウイルス肝炎をはじめとする各種感染症の実態調査・予防対策については,行政と連携しながら会員の指導に努め,体制整備等に尽力した.
また,昭和五十八年から,「岐阜県救急医療情報システム」の運用を開始し,救急医療機関の確保・配備等に尽力し,休日夜間診療体制を確立した.さらに,平成六年から病院,診療所の医師,看護師などが患者の診療情報を共有して治療する,保健・医療・福祉連携の在宅医療システム推進を実施,ふるさと福祉村,地域包括支援センターなどを設置し,会員の指導に努めた.
糖尿病の学術研究に貢献した功労者
愛知県 勝又 一夫先生
昭和八年一月七日生まれ(七十三歳),昭和三十八年名古屋大学大学院修了.昭和三十九年名古屋大学医学部助手,昭和四十四年名古屋大学保健管理センター講師,昭和四十六年勝又病院理事長.平成十一年から十六年まで愛知県医師会理事.日本内科学会認定医,日本糖尿病学会研修指導医,日本糖尿病学会功労評議員,日本病態栄養学会評議員.
スルホニール尿素(SU)薬のグリベンクラミドとトルブタミドの併用により治療され,逆に高血糖になった糖尿病症例を平成三年に報告し,併用に警鐘を鳴らした.当時は血糖降下作用を持つ経口剤は少なかったが,SU薬の併用療法は,その後の基礎的研究の進歩で有害性が確認された. また,50mg/dl以下の重症低血糖について多数のアンケート調査を行い,昭和五十六年と平成十五年とを比較することにより,重症低血糖が最近増加していることを確認した.
平成十七年には,典型的な劇症一型糖尿病の中国人症例を報告.日常診療における高血糖の早期発見,早期治療の重要性を示すなど,実地診療での糖尿病研究に貢献した功績は大きい.
介護支援体制の確立に貢献した功労者
京都府 油谷 桂朗先生
昭和十二年八月二十日生まれ(六十九歳),昭和三十九年京都府立医科大学卒業.平成六年京都府医師会理事,平成十二年同副会長,平成十四年同会長,平成十八年より同顧問.日医介護保険委員会委員長,日医理事を歴任.
地域医療の向上と府民の健康づくりのために貢献し,十二年間にわたり数々の功績を残した.特に介護保険制度開始に当たっては,要介護=要医療という基本的な考えのもと,医師の積極的な関与の推進を図るべく,医師にケアマネジャーの資格を取得させるために,さまざまな取り組みを行ったほか,法人格のない会員医療機関を対象に,全国で初めて居宅介護支援事業所出張所方式を実現させた.
また,制度発足前の要介護認定モデル事業では,京都府医師会方式の「特記事項の別紙」や,「主治医意見書記載医療機関」の窓口用ステッカーを発案.この内容を踏まえて改訂した「主治医意見書記載マニュアル」は京都府のみならず全国都道府県医師会からの希望も多く,各府県でのマニュアル作成の参考に使われた.このように全国に先駆けた取り組みも数多く,他府県における制度運営にも多大な影響を与えた.
公衆衛生及び災害時救急医療に貢献した功労者
兵庫県 大隈 義彦先生
昭和十一年三月二十九日生まれ(七十歳),昭和三十五年大阪医科大学卒業.昭和四十七年大隈病院継承.昭和五十九年尼崎市医師会理事,昭和六十三年同副会長,平成六年同監事.平成六年兵庫県医師会理事.平成十年日医社会保険診療報酬検討委員会副委員長.
この間,兵庫県社会保険診療報酬支払基金審査会委員,尼崎市公害対策審議会委員,阪神地域保健医療協議会長,兵庫県リハビリテーション協議会理事,兵庫県骨髄移植対策協議会委員,兵庫県社会保険医療協議会委員などを務めた.
阪神・淡路大震災に際しては,日夜を分かたず被災傷病者の治療に携わり,近隣の大学附属病院が機能不全に陥ると,多数の入院患者を引き受けるとともに,滅菌業務を肩代わりするなど,当該病院業務支援を行った.
平成十七年JR福知山線脱線事故に際しては,いち早く医師,看護師からなる救護班を事故現場へ急行させ,また搬入先病院として救急患者受け入れに備えた.近隣の病院と連携をとりながら,救急病院としての機能を発揮し,速やかに負傷者の治療に対処できるよう指導した.
へき地医療及び住民検診に貢献した功労者
島根県 大屋 敏郎先生
大正十一年五月十日生まれ(八十四歳),昭和二十四年京都大学医学専門部卒業.日本赤十字社松江病院,国立浜田病院勤務を経て,浜田保健所母子課に勤務.
へき地住民の健康づくりに意を払い,保健婦二名とへき地健康検診のプロジェクトチームを編成し,当時の那賀郡内集落単位の検診を実施して,へき地住民の健康管理に尽力した.昭和二十七年,現住所において内科・小児科を開設し,以来,五十四年の長きにわたり,住民の医療を一手に引き受け,献身した.
昭和三十五年に発生したジフテリアは,旧安城村長安地区を中心に五十名を超す保菌者を出し,大流行の様相を呈したが,役場,保健所に働き掛け,地区公民館に患者を隔離して治療活動を行い,他への感染を食い止めた功績は大である.
昭和四十四年那賀郡医師会理事に就任,その後副会長,会長を歴任.平成十一年には島根県医師会理事に就任し,島根県医師会の運営に参画.県民医療の充実のために果たした功績は誠に顕著である.
医道の高揚及び地域医療の充実に貢献した功労者
広島県 土井 達郎先生
大正九年十一月九日生まれ(八十五歳),昭和二十年日本大学専門部医学科卒業.昭和三十五年広島市にて土井外科医院開業.以来,四十六年の長きにわたり,地域医療に貢献.昭和四十四年安佐医師会理事,昭和四十六年同副会長,昭和五十二年同会長.昭和五十七年広島県医師会理事.昭和六十三年日医代議員.
市民の健康を守る立場から,ボランティアで休日在宅当番医制度を,他地区に先駆け地元で開始し,救急体制の確立に貢献した.その功績により,安佐医師会では平成元年九月に広島県知事表彰,平成四年九月に厚生大臣表彰を受賞した.
安佐地区と広島市の合併による人口増加に伴い発生した看護職員の不足を解決するため,昭和五十五年一月に安佐医師会立安佐准看護学院を開校,平成十一年まで学院長として,准看護師養成教育に情熱を注いだ.
また,昭和五十四年五月,疾病の治療に役立てることを目的として,全国に先駆けてサーベイランス委員会を設置し,安佐地区感染症サーベイランス事業を開始した.児童の健康調査〔学童血液追跡調査(安佐コホートスタディ事業)〕を行い,児童の健康管理の確立にも大きく貢献した.
地域医療の充実・発展に貢献した功労者
福岡県 古賀 元晁先生
明治四十二年二月二十七日生まれ(九十七歳),昭和七年九州医学専門学校卒業.昭和二十一年福岡市にて古賀胃腸科医院開業.昭和二十二年福岡市医師会理事,昭和二十七年同監事,昭和三十一年同副会長を歴任,公衆衛生事業と地域医療の充実発展に熱意を注いだ.
副会長在任中には,一般市民対象の「がん無料相談所」の毎月二回開催に奔走,がん征圧に大きく貢献した.このような地域医療への貢献が,昭和三十八年十一月の医師会病院開設へとつながった.
すべての人々が等しく近代医療の恩恵に浴することができる体制づくりのために,医師自らが率先して行動を起さねばならないとする強い信念のもと,十分な医療供給体制が確立されておらず,無医地区であった孤島小呂島への本会離島診療班派遣を,強力に推進した.
昭和三十年代に入り,開業ラッシュによる看護師不足が深刻化したため,看護師の安定的供給のために,昭和二十七年より二十二年間,福岡准看護婦養成所の講師を務め,教育者としても多数の看護師を育成.さらに昭和二十三年より四十七年間,県立福岡高等学校の学校医を務め,生徒の健康管理に尽瘁した.
地域医療体制の確立及び保健衛生活動に貢献した功労者
沖縄県 中村 義清先生
昭和十一年十一月二十七日生まれ(六十九歳),昭和四十一年長崎大学大学院修了.昭和四十四年与那原町内にて中村医院を開業.
昭和五十三年南部地区医師会副会長,昭和五十九年同会長.昭和六十三年沖縄県医師会理事,平成六年同常任理事,平成八年同副会長.平成十年日医代議員.また,沖縄県社会保険診療報酬請求審査委員会委員,沖縄県生活福祉部保険課医療指導員,与那原警察嘱託医,沖縄県地方社会医療協議会委員などを務めた.
昭和五十一年南部地区医師会(任意団体)の幹事に就任以来,十八年間にわたって要職を務め,南部地域の医療・保健・福祉の向上,発展に多大な貢献を果たした.特に,南部医師会の法人化に尽力した功績は大きく,医師会館建設,老人保健施設の設立など,医師会活動の拠点づくりにも努めた.また,昭和六十三年沖縄県医師会理事として医療保険を担当し,保険診療の「Q&A」シリーズを発行するなど,医療保険制度の円滑運営に尽力した.
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