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第1236号(平成25年3月5日) |
日医総研シンポジウム
「先端医療と遺伝子情報〜そして人権の未来」

日医総研シンポジウムが,「先端医療と遺伝子情報〜そして人権の未来」をテーマに2月15日,日医会館大講堂で開催された.
当日は,先端医療の進歩と新しい医療の可能性,それに伴う新たな倫理問題と規制の在り方等について熱心な討議が行われた.
石井正三常任理事の総合司会で開会.冒頭,あいさつに立った横倉義武会長は,「日本の先端的医療研究が活発となり,iPS細胞などのヒトヘの臨床応用や,妊婦の血液を用いた出生前診断などの遺伝子診断・治療の研究及び臨床の医師にとって,新たな倫理問題,先端的医療研究の早期実用化など,喫緊の課題が山積している」と述べた.
その上で,ヒトを対象とする医生物学的研究において医師が守るべき最も基本的な倫理規範として位置付けられるヘルシンキ宣言の五十周年に当たる今年,二月二十八日・三月一日に東京で,日医と世界医師会の共催により,ヘルシンキ宣言改訂専門家会議を開催予定であることを報告(次号に詳報)し,有意義なシンポジウムとなるよう期待を寄せた.
久史麿日本医学会長は,「先端医療の現在のトピックスは再生医療と遺伝子医療である.二〇〇三年に解析が終わったヒトのゲノムは,近く低価格で解析が行われるであろう時代にきているが,個人情報の最たるものであり,どうプロテクトするかが大きな問題になる」と指摘し,「今,このようなテーマを取り上げることは非常に意味がある」とあいさつした.
先端医療の進歩と生命倫理,規制の在り方について講演
続いて,藤川謙二・石川広己両常任理事を座長として,講演三題が行われた.
I「幹細胞研究の進歩と新しい医療」
中内啓光東京大学医科学研究所幹細胞治療研究センター長/幹細胞治療分野教授が,再生医療の鍵を握るのは幹細胞であるとして,多能性幹細胞であるES(胚性幹)細胞とiPS(人工多能性幹)細胞の研究の進歩とそれがもたらす新しい医療について詳細に解説した.
幹細胞とは,「多分化能」と「自己複製能」の二つの能力を兼ね備えた細胞で,自らを維持しながら組織や臓器の発生,修復,維持を行うものであると説明.ES細胞は,試験管内での増殖能,多分化能共に最も高いポテンシャルを持つ幹細胞であるが,受精後一週間程度の胚を利用して作製するため,免疫反応や感染の可能性があり,生命倫理上の問題も伴うとした.
一方,iPS細胞は,核移植技術を用いずに患者由来の細胞による(オーダーメード)治療が可能になり,生命倫理,ドナー不足,拒絶反応や感染の問題が一挙に解決するだけでなく,患者由来iPS細胞(疾患iPS細胞)は,病態の解明,治療法の開発,薬剤スクリーニング,遺伝子・細胞治療,毒性試験など,応用価値が広く有用であるとした.
更に,幹細胞研究の進歩がもらたす新しい医療として,(1)遺伝性血液疾患患者への「遺伝子矯正治療」(2)「がん幹細胞」を意識したがん治療(3)血液の産生(4)抗アレルギー薬の創薬(5)iPS細胞技術によって若返ったT細胞による強力ながん・感染症の免疫療法(6)iPS細胞からの臓器の作出─等を紹介.
特に,(6)に関して,中内教授らは既に,膵臓欠損ブタを利用してドナー胚細胞由来の膵臓の作出に成功したが,現在の日本のガイドラインでは,ヒト多能性幹細胞を動物胚に注入することが禁じられており,その見直しを要望しているとした.
最後に中内教授は,iPS細胞からの生殖細胞作製や動物個体内でのヒト臓器の作出も視野に入ってきており,今後は医療上のニーズと社会のコンセンサスのバランスが必要になってくるとの考えを示した.
II「先端医療─三つの課題」
樋口範雄東京大学大学院法学政治学研究科教授が,生命倫理・医療倫理における原則である,「無危害」「善行」「自己決定」「正義(配分的正義)」という“生命倫理四原則”と,適切な医療の実現のための「access」「quality」「cost」という“医事法の三つの目的”の二種類の道具概念について説明した.
その上で,先端医療に関わる課題として,(一)どこまでが「医療」なのか,(二)医療情報の扱い:ビッグデータと個人情報保護,(三)法か指針か 法か医療倫理か─の三つを挙げた.
(一)では,どこまでが許されるのか,誰が決めるのか,そもそも「医療」とは何か,といった先端医療の限界と,過渡期における配分的正義の問題等があるとした.
(二)では,二〇〇三年制定の個人情報保護法に対する過剰反応として,福知山線脱線事故や大震災後の患者情報,がん患者のデータや新型感染症情報など,医療の場面での弊害を指摘.社会保障と税の一体改革の下で,「医療等情報個別法」の制定が議論されている現在,個人情報保護法の失敗を糧に,医療の面でどのような法が必要かを,先端医療の進展と絡めながら議論する必要があるとした.
更に,高齢社会を迎えた日本では,社会保障制度を維持するためにも,医療・介護等の情報の共有と活用が必要だとした他,さまざまな場面で利用されている「ビッグデータ」と呼ばれる情報解析についても,プライバシー問題をクリアして活用すべきだとした.
(三)では,厚生労働省が,再生医療について罰則付きの事前規制を法律で定める方針であることに触れ,発展の阻害要因として機能しないかを危惧.先端医療では,国際的競争・国際標準にも目配りする必要があるとした.
最後に,樋口教授は,「目標とする先端医療の適切な発展と人権保障の確保のためには,従来型の硬直的な思考ではなく,規制でも法でも,戦略的かつ実質的で,形にとらわれない柔軟な工夫が必要だと考えている」と述べた.
III「iPS細胞と日本の生命倫理」
町野朔上智大学生命倫理研究所教授が,初めに,(1)基本的に無用の生命倫理的な規制には反対(2)もう少し,ある範囲での規制はやむを得ない─との考えを示した上で,iPS細胞の開発が日本にもたらしたインパクトに関して,遺伝子問題と対比させつつ概説した.
町野教授は,幹細胞研究の倫理の問題は,(一)ヒトの生命の侵害,(二)幹細胞使用の倫理性─に大きく分けられるとし,ヒトに使用した時の安全性を巡って,立法による規制の必要性が議論されていることについては,医業ではなく,医療の内容に踏み込んだ規制は大きな問題であると指摘した.
また,「出産を目的としないヒト胚の作成」は世界的にはタブーとされているが,日本では“クローン技術規制法”四条で,“研究目的を限定することなく「特定胚」の作成を認める”とされており,同法が出来た時,個体の産生については厳罰にするが,胚については指針で規制するとしたため,“特定胚指針”による胚の作成を認める結果を招いたと説明.「幹細胞の使用」に関しては,“クローン技術規制法”三条や“特定胚指針”七条による「キメラ個体等の作成の禁止」や“ヒト幹細胞を用いる臨床研究に関する指針”第二や第三による「ヒト幹細胞を臨床に用いることの規制」があると,日本のルールの現状について解説した.
町野教授は,日本の生命倫理は分かりにくい状況にあり,ヒト幹細胞研究を起点としてその将来を見た時に,(1)“あいまいさ”を生命倫理の領域から除く(2)日本で重視されてきた“人々の福利と安全・安心”を更に重視していく─ことが必要だと指摘.「再生医療の推進と安全性の確保のために,医療の内容に踏み込み,事前の許可制という形での立法の議論があるが,法律による規制を一つ行うと,次も同様の規制が避けられなくなる.どこに規制する理由があるかを明らかにして検討しなければならない」と結んだ.
パネルディスカッション「先端医療と遺伝子情報」をめぐって
その後,石井・石川両常任理事を座長として,三名の講師に 久日本医学会長が加わりパネルディスカッションが行われた.
議論の中で,「遺伝子情報やビッグデータ」「第三者活用や二次利用」「医療に関する個人情報とメガデータベース」等の問題を指摘し,国が進めている社会保障・税番号制度とは切り離して考えるという日医案が好ましいという意見で一致した.その他,法律を整備しつつデータの収集を可能にする必要や,提供者が安心出来るような第三者機関の設置とオプトアウト出来る権利,また,グローバル化による科学者の移動など,広範囲にわたり活発な意見交換が行われた.
最後に, 久日本医学会長が,「医療に関しては,基本的には,われわれが自己規制して自律的に考えるべきではないかと考えている」と総括し,盛会裏に終了した.
参加者は,県医師会でのテレビ会議システムでの視聴者を含めて合計百九十三名であった.
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