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第1239号(平成25年4月20日) |

「御侍史」

池田文書研究会編「東大医学部初代綜理池田謙斎 池田文書の研究(上,下)」(思文閣出版二〇〇六,二〇〇七)には,池田家に所蔵されている書簡約四千通が収録されている.
江戸末期から明治期にかけての指導的な医学者や高官貴顕などから届いたもので,一部は義父池田多仲に宛てたものであるが,大部分が謙斎宛てである.差出人は伊東玄朴,緒方洪庵,佐藤尚中,松本順,長与専斎,石黒忠悳,北里柴三郎等々,ほとんど明治の医学史を網羅するような広さ厚さである.また,伊藤博文,岩倉具視,山県有朋ほかの手紙もある.
ここでは,その宛名書きに注目したい.
敬称は,やはり様,殿,先生などが基本であるが,老台,賢台,国手,盟兄など,いろいろある.
宛名に書き添えた脇付が多彩である.侍史とか机下とかが多いが,閣下,坐下,虎皮下,膝下,玉案下,梧下,台下,搨下,研北,侍曹,御執事中などを始め,実にさまざまである.当時の格調高い漢語主体の文章や候文などによくマッチしていて,自在に使いこなされている.手紙を書いた人の漢学の素養が窺(うかが)われて奥ゆかしい.
インターンのころ,指導医の先生が紹介状に「─先生御侍史」などと書くのを見て,なんと時代錯誤なことかと思った覚えがある.しかし自分で書く段になると,やはり同じになってしまった.このような添書きは,今でも広く行われているようである.なお,「御侍史」について言えば,池田文書では,大多数は単に「侍史」となっている.
われわれは漢語を操って文章を書くことなど,まず不可能である.宛名の下だけ明治の大先生たちにあやかって,取って付けたように御侍史などと書き添えるのは,もうそろそろ卒業したいと思うが,皆さんはどうお考えだろうか.
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