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平成30年(2018年)10月20日(土) / 南から北から / 日医ニュース

死ぬほど食べた松茸の記憶

 松茸は、味よし、香りよしで、日本人にとって秋の味覚の王者である。かつて、赤松の育つ中国山地は松茸の名産地で品は豊富にあったが、庶民の私達にとっては昔から口には入り難いものだった。その後、全国的に山林の開発や、松くい虫の繁殖による赤松の減少とともに生産量が激減して、香りの劣る外国産に代わるも、松茸は更に庶民の手の届かないかなたに行ってしまった。
 かくの如き縁の遠い松茸ではあったが、ある時、死ぬほどの量の松茸を食べる機会に恵まれたのである。それは私がまだ医学部大学院生の頃、研究生としてこられていた先輩の先生が、教室関係者十数人を勤め先の病院に招待して松茸狩りをさせて下さった時である。
 広島市内からそんなに遠くない山間部であるが、当時は、まだ豊富に松茸が採取できた。素人でも容易(たやす)く見つけ出すことができ、1時間も経たないうちに各人の持つ手籠はいっぱいとなった。陽だまりにシートを敷き、各人の収穫を1カ所に集積すると、それは数十センチの小山となった。七輪と鍋が用意され、焼き上がりの松茸を酢醤油で、煮た方は松茸汁とでも言おうか、アルコールを飲みながらの久しぶりの屋外のレクリエーションに心は弾み、収穫した松茸を堪能した。
 帰りには、それぞれにお土産として20本程度入った籠を頂き、この日の感激と満足を家族にも持ち帰ることができたのである。この食事の際、他の食べ物の記憶がないので、ほとんど松茸だけを食したのではなかろうか。茸(きのこ)類は、昔から不消化物と言われており、腸閉塞を起こしやすい人は避けるべき食べ物の一つである。全員で積み重ねた松茸の山を全て平らげたのであるが、誰かが腸閉塞になったという報告は聞いていない。
 その後何十年間、松茸と聞いても、店頭で見掛けても、特に食べたいという気持ちは湧かなかった。思うに、あれだけの量の松茸を食べたことによる満足感が強烈で、その後の食欲を強く抑制していたのであろうか。高価で手の届かない高級トロやウニを、仮に死ぬほど食べたなら、これらもその後、欲しなくなるのだろうか。招待してくれる者もいないし、自ら試す財力もないので、その答えは不明である。
 昨年、晩秋の県北にドライブする機会があり、立ち寄った道の駅で、松茸の品揃えを目にして驚いた。産地直送であろうから安価だろうと期待したが、小振りの2、3本パックで4~5000円、大振りのものは1本が10000円を超え、ため息が出た。今、国産品はこんなにも高価なのか。どんな人が買って食べるのか、売れ残りはどうするのだろうかなど、しようもないことを考えながら手頃な値段の富有柿を買って帰ったのである。

(一部省略)

広島県 広島市医師会だより No.618より

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