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令和6年(2024年)2月1日(木) / 「日医君」だより

令和6年能登半島地震被災地の医療を支える~全国の医師会からのJMAT派遣4

 日本医師会では、1月1日に発生した令和6年能登半島地震に対し、石川県医師会の要請を受け、都道府県医師会が編成した"JMAT"(日本医師会災害医療チーム)を被災地へ派遣しています。今回は、兵庫県医師会の橋本寛副会長に、能登北部調整支部で統括JMATの役割を担った兵庫県医師会JMATの活動についてご紹介頂きます。

断水の続く穴水町へ
 兵庫県医師会JMATチームは1月10日から22日まで穴水町保健センター内に置かれたJMAT能登北部調整支部で統括業務を行いました。ここは1月16日から七尾調整支部から穴水町、輪島市、能登町、珠洲市を担当する支部として分かれたものです。

 私はその第6班として医師、看護師、薬剤師、ロジステイックスのメンバーと共に1月20日土曜日午前7時40分大阪駅発の特急サンダーバードで金沢駅へ、そこから七尾線に乗り換えて高松駅(当時七尾線はここまで)で車に乗り換え穴水町の能登北部調整支部に向かいました。

 穴水の支部ではJMATの他にDMAT(災害派遣医療チーム)、DHEAT(災害時健康危機管理支援チーム)、DPAT(災害派遣精神医療チーム)、薬剤師会、ロジスティックスなどが同じ部屋で活動していました。

 私たち第6班は第5班との短い引き継ぎの後、同じ統括担当の東京医科歯科大チームと協同で業務を始めました。

JMATの主な任務は避難所での被災者の健康管理と地元医療機関への支援です
 既に午前中、統括JMATの指示で穴水町の各避難所を廻ったJMAT各チームが午後から報告に訪れます。

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 避難所も100名を超える大所帯から10名余りの小所帯まで色々です。中には段ボールベットの希望や、雨漏りなど医療とは関係の無いことも報告されます。それらをまとめて整理し、夜のミーティングでそれぞれの専門部署に対応をお願いするのも統括業務です。

 我々が担当した時点では穴水町の医療機関はある程度の外来診療を再開しており、受診が必要な被災者にはできるだけ地元の医療機関受診を勧めるようにしました。

 避難所の中には閉鎖される所も出てチーム配分に余裕が出たので翌日からは未だ訪問できていない能登町、輪島市内への派遣を行うことにしました(地図の写真)。部屋の写真は帰還したチームから報告を受けている時のものです。残念ながら道路事情のため珠洲市には派遣できませんでした。

報告をグーグルドライブにアップして情報の共有を
 各チームからの報告が終わると、次は支部のミーティング準備です。当日の報告内容はグーグルドライブにアップすることで情報の共有を図ります。現地ではJMAT以外にも先に現地入りしているDMAT(災害派遣医療チーム)、日赤などのチームも活動をしていて、これらのチームとの情報共有が初期には不十分であり、活動チームごとの調整は難航しました。

 報告書作成はロジスティックス担当者の仕事です。JMAT業務の中でロジスティックス部門はとても重要で、報告書のまとめ以外にも各部門との連絡も彼らの業務の一部です。

 支部ミーティングで長引く避難所生活のストレスから精神症状を訴える方の報告があり、精神科のDPAT(災害派遣精神医療チーム)に対応を依頼しました。

 支部でのミーティングの後は石川県庁内の石川県JMAT調整本部との夜のミーティングがzoomを使って行われます。この場ではその日の報告事項から調整本部で対応をお願いしたいものを上げます。私からは新たに穴水支部に来られるJMATチームの情報を事前に能登北部調整支部に早く知らせてもらいたいと要望しました。それまで、当日になっても、いつどこのチームが来られるのかが分からないことがあり、業務に支障を来していました。現在はこの問題は解消されていると思います。

 夜のミーティングが終わると翌日の派遣先の大まかな割り振りを行い、やっとその日の業務は終了で宿舎に帰ります。

被災地医療機関の復興は大きな課題
 輪島市に入ったJMATチームからの情報では被災された医療機関の多くが再開は未定でした。高齢化率が高い地域での高齢者施設への対応も大きな課題で、今後、息の長い支援が必要な状況です(報告の内容は派遣当時のものであり状況は日々変わります)。

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