もう15年程前、私が勤務医時代のことだが、目の疾患を患い手術も考えていた頃のこと。思い迷ってふと大学時代のバレー部の3年先輩で眼科医のF先生を思い出し、相談しようと考えた。東北大の眼科出身で、東京での勤務医を経て眼科の開業医をしているはずである。
優しい目に穏やかなひげをたくわえた先輩だった。宮城と東京の眼科の医療事情にも通じているはずである。しかし卒業以来何の便りもせずじまいでいた。ご迷惑だろうなとはばかりつつ、自分の病状、検査結果をつづった手紙を書いた。その手紙の返事の冒頭に「思い出してくれてありがとう」という一文があった。適切なご助言と励まし、ご紹介を頂いた。
おかげさまで無事に手術も終わり、術後経過もよく、何事も無く15年が過ぎた。「思い出してくれてありがとう」迷っていた時に、心にしみるような温かい言葉だった。
以来、私は時々この言葉を口にし、心に念じることがある。先日も、ある患者さんが高血圧と不整脈の治療を勝手に中断して1年ぶりに「血圧が高くて、具合が悪い」と受診した。いつもの私なら「勝手に中断して、今日は何しに来たの?」と挑発的な一言が出そうな場面。ぐっとこらえて「私のクリニックを思い出して来てくれたんですね。ありがとう」こんな具合である。思い出してくれてありがとう。一喝されると怯えていたのか? 患者さんも戸惑っている様子にも見えた。
私のクリニックの職員は「年を重ね、先生も丸くなった」とひそかに喜んでいるらしい。しかし還暦を迎えても、F先生の心温かさを敬愛しつつも、なかなか温厚になれずにいることを、一番知っているのは私自身である。