昔の白黒写真を見るのが好きだ。例えばハワイの博物館で見た、初期の日系移民の人達がサトウキビ(?)畑の前で写っている写真。暑い国の戸外にもかかわらず、きちんと背広を着て並んでいた。苦労してやっと大きくした農場なのだろうなと思いを馳せる。
あの白黒の色はセピア色と言うのよ、烏賊墨(いかすみ)の色なんだってと、文学少女の友達に教わったのは高校の時だった。セピアの美しい響きのおかげで、ますます古い写真が好きになった。
100年以上も前の、名も知らぬ人の写真でさえ興味をそそられるのだから、いわんや家族の子ども時代の写真をやである。引っ越し荷物の整理で一番手こずるのが古いアルバム。うっかり開けたらつい眺めてしまって作業がストップしてしまうし、開けずに捨てるわけにもいかない。
亡父の趣味の一つが写真だったから、ちゃんとしたアルバム以外にも貼りきれなかったプリント、ネガ(懐かしい写真屋さんの名が袋に印刷してある!)、スライド、8ミリフィルムが段ボール箱で山積み。デジタルカメラになっても自分でプリントして配っていたので、やはり紙の遺物が残っている。
私より18歳年上の叔母は、両親と兄姉を送り、最後に一人暮らしの伯母(叔母の姉)の遺品整理をしていた時、数冊のアルバムをこともなげに廃棄用の箱に入れた。「伯母ちゃんの写真捨てるの?」と聞いたら、「だって私以外の人はもう見ないと思うし、狭いマンションに置くとこないわ。今、終活中なのよ。遺された人が困らないように捨てるべきものは捨てないと......」。
写真の運命は色々だ。東日本大震災の後、がれきを掘り返して家族の写真を探している人達がたくさんいた。泥の中から写真を集めて洗い、持ち主を探して届けるボランティアもいた。1枚でいいから亡くなった人の写真があれば、その人は傍にいてくれる。写真があるとないとでは心の持ちようが違う。
やはり写真は大切だ。簡単に捨てるわけにはいかない。でも場所ふさぎ。ならばデジカメで複写してパソコンに収めればいいかも。クラウドなら何万枚だって保存できる。
しかし、そのファイルを開けて見る人が何人いるだろうか?「社長、これら決済済みの書類は廃棄してよろしいですか?」「うーんそうだな。一応コピーを取ってから捨ててくれ」という笑い話に似ている。
義兄は、義父の法事や、義母の喜寿祝いの時に、古い写真の中から特徴的なものを選んで複写し、パソコンで編集して家族親戚に配ってくれた。これは素晴らしいアイデアで、その一冊があれば、後日子孫が他の写真を廃棄しても罪悪感を持たずに済むだろう。私も真似してピックアップアルバムを作ろうかな。だが選ぶ作業も膨大で、かつ難しい。
「これ懐かしいなあ、昭和30年代の広島駅前が写ってる。貴重だからとっとこうよ」「お母さん、そういう記録的写真は中国新聞にまかせて。はい! 捨てた、捨てた!」
厳しい子ども達の監修のもと、古い写真との格闘は続く。