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平成29年(2017年)2月20日(月) / 南から北から / 日医ニュース

古民家再生

 広島市から車で1時間くらいの県北に、祖父の住んでいた小さな小さな農家がある。80年以上経ったその家は、典型的な土間と田の字型の農家で、もう長い間無人で雨漏りも始まり、隣の納屋は倒壊寸前、家周りも草ぼうぼうながら、墓参りのために年に一度くらいは足を運んでいた。
 小学生の頃まで、学校の休みになれば泊まりに行き、素朴な田舎生活を楽しんだ。水は手漕ぎのポンプでくみ上げ、大きな甕(かめ)に蓄え、そこから炊事に使っていたが、電動ポンプに変わり、蛇口をひねれば水が出るようになった。
 煮炊きはかまどを使い、祖父に火のおこし方を教えてもらった。いつの間にかプロパンガスに変わり、真っ黒な煤(すす)の付いたお釜も、電気釜に変わった。お焦げがなくなったのが寂しかった。
 お風呂は蛇口が来るまでは大きなバケツで水くみを繰り返して、水を張っていた。五右衛門風呂で熱い釜に触らないよう上手に底板に乗って入る。お風呂の入り口や焚口は屋外にあり、冬はヒートショックになりそうだった。
 確か、もう電気は来ていたと思うが、日が沈めば雨戸を閉めて、子ども達は早々と寝るので、こうこうと灯りがついていた記憶がない。夜のトイレはどうしても大人を起こして付いて来てもらわないと怖かった。
 少しずつ生活が便利になると共に、田舎生活も退屈になり、中学になれば部活・受験と忙しく、足が遠のいていった。バスや車からの景色も次第に変化し、休耕田や耕作放棄地が目立つようになり、ツタの絡まった廃屋が散見され、人口の減少も肌で感じる状況となった。
 このままこの小さな農家も荒れ果ててしまいそうだったが、のどかで美しい田園風景・里山の景色は捨てがたいものだった。しかも、子どもの頃の楽しかった思い出もたくさんある場所だ。あの頃の生活や景色がそのまま戻るわけではないが、やっぱりこの景色を楽しみたいと少しばかり手を加えて、家を残すことにした。見た目にはほとんど前と変わらないようにお願いし、屋根と構造体を補強してもらい、新しい畳を入れてすっきりした。
 また来るのが楽しみになるよう、梅・桜など花木を植えた。ジューンベリーやブルーベリー、リンゴといった果樹も植え、秋には春の楽しみにと球根をどっさり植えに行く。
 行っても誰もいない小さな家だが、居間に座ってぼーっと外の景色を見るだけでも、また、長靴を履いて雑草と格闘するだけでも、わずかな時間が癒しの時間となる。祖父の残した小さな農家が、私の秘密基地になった。

(一部省略)

広島県 広島市医師会だより No.596号より

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