昆虫の生態写真を撮り始めて、早10年くらいになる。散策する林道で、「何の写真ですか」と聞かれ、「この年齢(とし)で『昆虫(むし)』というのも大きな声では言いたくないな」と心の中で思ったこともあったが、養老孟司氏だって「ゾウムシ」に凝ってデジタル写真集なる本まで出しているじゃないかと、最近は気にならない。
昆虫はチョウやトンボ、バッタにハチなど、生物の種の中で最も数が多い。私の興味は甲虫類、その中でも大きいクワガタやカブトムシには関心がない。何ミリレベルの、とても肉眼ではアリやクモと区別のつかないような小さな昆虫、虫眼鏡がないと見分けられないような虫達がお気に入りなのだ。そのため、カメラもレンズもレベルアップした。
朝露の残る林道に向かうと、気温は18度前後。低木の常緑樹の葉の表や裏を見て歩く。黒いゴミ? 虫の糞のようにも見える固まりが、急に飛んで消えていく。やはり虫だったんだと後悔し、まず一枚そっと映し出す。ズームで見ると、黒いゴマのようなものが実際は紅い斑紋をちりばめた羽のテントウムシであったり、キノコムシだったりして感動する。
こうした発見は本当に一期一会の出会いで、その虫の生態の一瞬なのだ。「なぜ、ここにじっと止まっていたのだろう?」「この葉が食草なのだろうか?」。いやいや、ダーウィンの言葉にあるように、それは誤解してしまう一観察場面に過ぎないのである。アリのように忙(せわ)しなく歩き回るカミキリムシ、陰になると気配を感じて葉の裏や幹の裏に隠れてしまうゾウムシなど、息を凝らし身を強ばらせシャッターを押し、手持ちで撮る時間は止まったかのようにあっという間に過ぎてしまった。それでも数十枚の画像のうち、ピントが合った保存に耐えるものは一割程度しかない。
フィールドは渓谷や林道。宮崎は西に九州山地が連なり、東西を遮断している。多くの河川に注ぐ渓流沿いは、自然が残り多くの稀少動植物の宝庫で、綾や北郷、加江田とどこも素晴らしい。その中でも、綾は照葉樹林が保存され、落葉樹も常緑樹も幹の太さが1メートルを越す大木が多い。毎年のように同じ場所を訪れていると、倒木が朽ち苔生(こけむ)し、粘菌やきのこが生えるにつれ、訪れる虫達の種類が変化していく。
ブナ科やカエデの生木に穴を穿(うが)つキクイムシのために、いつの間にか枯死木となり、カミキリムシやゾウムシが訪れ産卵の場となる。こんな自然の森の変化は、街の近くの里山ではなかなか見ることができない。
綾の照葉樹林は常緑樹が多いが、林床は落ち葉で敷き詰められ、ヤマドリが林床を足早に通り過ぎ、シカの悲し気な鳴き声の聞こえる...まさにマイナスイオンあふれる「癒しの空間」なのである。