自分で初めて買った本棚は、ザラザラとした板で作ったミカン箱であった。これに本を並べて本棚にしたのである。本を入れたり、取り出したりすると、大切な本に傷がつく。それで、デパートなどの包装紙を張りつけることにした。これに大切な本を並べていると、何となく嬉しくなった。感動した。色とりどりで格好いい。可愛い。自分ながら偉大な発明をした様に思った。
大学を卒業して清瀬の結核研究所に就職した時のことである。お金もなく、医学の知識も才もなく、頼りにして来た岡治道先生からは「これまで学んだことは、みんな嘘だ。忘れろ」といわれ、研究所の裏門のそばの林の中に建てられた8畳1間の医師長屋に住んだ時代であった。月給は13000円、当直代100円であった。これまで、夢見てきたことと、この現実の差は、大きく、深い谷、高い壁がある様に思えた。
しだいにそこの生活に馴れると、何とかなるさ、と思う様になった。
ミカン箱の本棚はしだいに増殖し、医学書は増え、さらに文芸書が加わり、天井に達した。週に1度は書店に行く癖があり、本を見、手に取れば、いつのまにか買ってしまうのである。小遣いでは足りないので、生活費にまで手を出す私に、妻は呆れ、「わたしより、本がすきなの」と怒り、ついには何も言わなくなった。
長崎に帰郷し、借家住まいの時にも、ミカン箱本棚はついて来てくれた。
開業して、少し生活にゆとりが出来ると、必然的に、自宅を持ちたくなる。費用に限界はあるが、何とか設計にとりかかった。妻は台所・洗濯場・食堂・居間・寝室が重点であるが、私は本棚のことを考えていた。ミカン箱は一杯になり、本は床に山脈を築いているから。そういう本のことばかりいっている私に妻は呆れ、理解し難い異邦人の様に眺めている様であった。
結局は、玄関を入れば、全ての壁は本棚となり、1階の部屋の壁も本棚、2階に上れば、前面の壁も全部本棚、居間も寝室も本棚となった。
居間に座って、前面のお寺の山門、風頭山、その上の青空を眺め、寺の鐘を聴き、振り返ってまわりの本棚を見ていると、この世の雑々したことなどどうでもよい気分になる。しかし気をとりなおして、出勤する。
病院の自室は一面に本棚、診察室の前面も本棚で、ここでは医学書が多いが、文芸書も沢山ある。診療の合間には、いつも文芸書を読んでいる。まさに本中毒、本依存症だと思う。でも若い時の理想の姿になっている様な気もする。
ここ10年ぐらいの間、色々な病気にとりつかれ、入院した。癌にもなった。素敵な主治医に恵まれて、癌からは解放された。病室には本棚はなかったが、沢山の本を持ち込んだ。
退院して、自宅に帰ると、ほっとする。やはり、本棚のある自宅はいい。色々な色どりの本を眺めていると、さまざまな物語が想い出される。書かれた物語には、それ以上に何かある様な気がする。この世には限りがないからなあと思う。
私に残された時間はもうあまりない。平凡な毎日であるが、平和で、幸せに違いない。この様に、私の本棚の本に、励まされ、慰められ、勇気づけられて生きてきた。これからも、1日でも永く、元気に働きながら、本と本棚と共に過ごしていきたい。