時は昭和30年代前半、高度経済成長の時代です。当時はブラウン管の白黒テレビ。サイズは14インチが定型で、価格は10万円前後だったそうです。森永ミルクキャラメルが8粒入り10円の時代でしたので、かなりの高額です。
その頃のわが家にはもちろんありません。夕食を片づけると、5人家族(両親と兄、姉、私)が近所のテレビのあるお宅へ押し掛けました。大人達は、力道山のプロレスに歓声を上げました。幼児だった私は、「月光仮面」などの実写のヒーローものに心を奪われました。テレビの前にたくさんの家族が集まって大騒ぎし、幼心にとても楽しかったことを覚えています。
そのうち、わが家にもテレビがやってきました。茶の間のVIP席に、頭に角(アンテナ)を生やしたテレビが四脚でデーンと鎮座しました。普段はほこりがかからないように、おごそかに布が被されています。出番になると、家族全員がチャブ台の周りに正座して、父がうやうやしく布をめくり、ダイヤル式のチャンネルを回してスイッチを入れます。
こうしてテレビの創成期とともに育った私は、まさにテレビの申し子です。NHKの「ジェスチャー」や日曜夜の「シャボン玉ホリデー」は家族みんなで大笑いして見ていました。国産初のテレビアニメ「鉄腕アトム」が開始されると、その後はアニメの世界にはまりました。
ちなみに当時テレビアニメを中心に朝日ソノラマからソノシート(ぺラペラのレコード)が販売されて、私も何枚か集めていました。
PTAが低俗などとテレビを揶揄(やゆ)し始めた頃ですが、私は、「♪あたまのテッペンに毛が3本......」とアニメソングを歌いながら遊び呆けており、既に毒されていました。
間もなくして、テレビ番組が白黒からカラーへと次々に移っていきました。カラーテレビと言っても、全ての番組がカラーではなく、一部の番組に限られていました。
NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」もカラー放送でしたが、わが家のテレビは、まだ白黒のまま。どうしてもカラーで見たくて、友達とカラーテレビのある家を訪れ、玄関先で見させて下さいと懇願しました。全く知らないお宅でしたが、私達を家に上げ、ジュースまで出してくれました。そんな時代です。「♪波をチャプチャプ」のテーマ曲と共に、画面にほんのり色が浮き出てきました。よく見ないと分からないほどわずかです。私にはそれだけでも十分で、「カラーじゃ! カラーじゃ!」と興奮しました。
あれからテレビの形やサイズは多様化し、高解像度の8K対応テレビも一般向けに発売されたようです。更に特別なメガネも不要な立体テレビがそろそろ実用化されると聞きます。テレビを見ている家族や社会の人間関係も様変わりしてきました。過去ばかり振り返ってはいけないと思いながらも、白黒テレビの前で熱中した家族のことや初めてカラーテレビを見た時のことが懐かしく思い出されました。