長年、看護学科でも教鞭を執っております。そして、今でも忘れられない生徒がいます。
7~8年前のことだったと思います。彼女は、一番廊下側、前から3番目の席の、パーマのかかった茶髪のちょっと派手目な生徒でした。初めて会ったのは、私の「感染免疫・微生物学」の講義でした。生徒は皆、既に准看の資格をもっています。なので、馴染(なじ)みやすい話から入っていこうと、誰もがよく知っているブドウ球菌の話から講義を始めました。
しかし、しばらくすると、例の彼女がけげんな目でこちらをじっと見ています。「あ、ゴメン。ちょっと急ぎ過ぎたかな? もう一度最初から言うね。まず、黄色ブドウ球菌って聞いたことあるよね?」「いえ......知りません......」
衝撃でした。授業が終わり、彼女の担任の先生とその話をしました。「あ~牛ちゃんね。あの娘、ちょっと大変なんですよ」
苗字に珍しく「牛」の字が入っているので、彼女はみんなに「牛ちゃん」と呼ばれていました。牛ちゃんはあだ名のとおり、勉強の進みは遅く、後日行われた私の試験でもクラス最低点、予想どおりの赤点でした。
ある日、ふとしたきっかけから、講義の最中に「勉強をすること」について彼女らに話す機会がありました。やらされる勉強はつまらない。でも本当は「知ること」、目標をもって「学ぶこと」は楽しいことなのだと。仕事もお給料のためであるよりも、自分の成長のためであるならば楽しいものだと話しました。
その講義の後、あの牛ちゃんが私の所にわざわざ来てくれました。そして、「先生! 先生の『勉強』の話、すっごくよかった!」と、言ってくれました。最も勉強とは縁遠いと思われた彼女からなので、「あ、ありがと」軽く受け流してしまいました。それでも牛ちゃんはもう一度確認するかのように、「さっきの話、ほんとに感動したんですよ!」と言いながら私を見つめる、彼女の黒く、大きい瞳は真剣で、社交辞令を言っているとは思えませんでした。
時は流れ、国家試験が間近に迫ったある雪の日、担任に聞いてみました。「そういえば牛ちゃんはどうですか? 国試とか大丈夫なんですか?」すると、予想外の答えが返ってきました。「牛ちゃんね、最近ぐっと伸びてきているんですよ。彼女は大丈夫なんじゃないかしら」
耳を疑いました。でも彼女は、国家試験に本当に危なげなく合格したのでした。「大逆転合格!」誰かが言っていました。よく頑張った、私もそう思いました。全然勉強ができなかった彼女。歩みは遅かったけど、少しずつ少しずつ進んで、最終的に目標を達成しました。
その年、牛ちゃんは某病院に正看護師として就職していきました。
しかし、これで終わりではありませんでした。一年後、またその担任が教えてくれました。「先生、牛ちゃん、教員になりたくて大学に進学したんですよ」「え~! 本当ですか?? あの牛ちゃんが!?」
彼女は某国立大学に進学していたのです。この一年間、彼女は何を思い、考えていたのでしょうか。聞いてみたいと思いました。
そんな気持ちを知ってか、ある日、彼女は私を訪ねて来てくれました。「おめでとう。進学したんだって?」「ありがとうございます。先生のお陰です!」そう彼女は言いました。いや、私は何もしていないよ。君が頑張ったからでしょ、と言い返そうとした時、彼女は、あの黒く、大きな瞳で、じっとまた私を見上げていました。その時、私は深い感慨を覚えました。
牛ちゃんは、彼女が看護学科の学生の頃、私が話したことをしっかりと受け止めてくれていたのです。そう確信しました。彼女は自分の目標を見つけ、学び、努力し、実現していったのです。この時、私は本当に素敵(すてき)な学生に出会えたと思いました。そして彼女のような学生に出会えたことの感謝に満たされました。
その後、彼女は大学を卒業し、今は関東の国立大学で働いていると、風の便りに聞きました。今でも時々彼女を思い出します。彼女は今も、歩みを止めていないはずだ、と。
毎年のように勉強を苦にしている学生がいます。そんな学生を見ていると、牛ちゃんを思い出すのです。だから彼ら・彼女らを見ると、いつも心の中で言うのです。
頑張れ! 牛ちゃん!
(一部省略)
福島県 福島県医師会報 第80巻第8号より