真っ黒なダックスフント11歳は娘の犬である。両眉が茶色な犬であるが、娘が自動車で所用に出掛けるとしばらく玄関に向かって吠え、それから戸口の方へ向き直り、お座りして待つ。帰宅した時は、自動車のタイヤ音を察し、精一杯に尾を振って出迎える。
こうした流れであったのだが、監視カメラ3台付きの玄関チャイムに入れ替えてから、失敗続き。カメラが物の動きを捉える感知音で、直感力が狂ってしまった。
感知音が鳴ると、娘の帰宅だと間違えて、飛び出していく。そして、何回も失敗を繰り返し、感知音は空振りだと学習し始めた。1日に5、6回繰り返しているうちに、「この音はあまり期待できないな」といった風に首を傾げ、しぶしぶ出向くのだ。この学習も1日経つと忘れてしまうのだが。
そして、本物の娘が帰宅した時には、出迎えに失敗する。「何で迎えに出ないのよ!」。大きな雷が落ちて、「こりゃ、困った」と頭をかきたいのだが足が短い。もぞもぞ、すごすご鼻面を床に押しつけ廊下の隅で平伏する。感知音のせいなのに、それを認めてもらえない哀れさ。
だが、うまく出迎えが出来た時は、生涯のうちで最もすばらしい出会いででもあるかのように尾を振り、尻をくねらせ、「くん、くん」と甘え声で恥ずかしげもなく廊下や部屋を駆け回り、家中に幸せをまく。
犬は、待って、会うことを生涯の喜びとする。ふと哀れになる。犬は言葉で話せないが、全身を揺すって喜びを描き出す。頭から尾の先まで情動の染み渡ることを知っていて、そば粉をこね合わせるようにめぐり合わせの絆を深めていく。もし、「待て」と言われたら、死ぬまで待つ気だろう。
「お前も、なかなかやるなァ!」。抱き上げると、黒い毛の芯から温さが伝わってくる。耳の付け根まで、ごしごしなでてやった。
犬の名も 連ねし賀状 届きけり(野木冨)