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令和2年(2020年)9月20日(日) / 南から北から / 日医ニュース

私の「お宝」

 「えー!たったの5000円ですか?」
 「はい、残念ながら、これは贋作(がんさく)です。江戸時代末期に書かれた本物でしたら200万円は下らない価値もありますが、今回お持ち込み頂いた作品は筆の運びも粗く、正真正銘の模造品です」
 ニタニタ笑いながら「開運なんでも鑑定団」のテレビ番組を見ていたが、ふと私の「お宝」は何だろうと考えてみた。例えば100年以上経った古いモノとか......?
 すぐに思い出したのは、祖父の形見の卒業証書だった。明治新政府重鎮で政界を下野(げや)後に早稲田大学総長となった大隈重信伯爵から私の祖父へ直接授与された大学卒業証書だ。授与された日付は1914年2月11日と106年前だが、金銭的価値は全く無く、「お宝」とは言えない。残念!
 もっと「お宝」にふさわしいモノを探そうと、滅多にのぞいたことのない引き出しの奥を物色してみた。
 すると小学生だった私のために、父親が知人の郵便局員に頼んで56年前に作った「1年分の新発行記念切手を1枚ずつ並べた切手帳」が現れた。切手帳の中には1964年の東京オリンピックの記念切手がずらりと並んでいるが、多くの収集家が持っている代物なので、そう価値が高いものではない。残念!
 この切手帳の隣にもう1冊の風変わりな切手帳があった。中を開けてみると、びっしりと外国の使用済切手が並んでいる。すっかり忘れていたが、この切手帳は私が1983年にオーストラリアのシドニー大学へ留学していた時の記念品であった。
 1年間の留学を終えて日本へ帰ることとなり、医局の同僚が送別会を開いてくれた時のことだった。送別会も終わりに近付いた頃、古株の秘書のナンシーが話し掛けてきた。
 「クニ(私の愛称である)、あんたは1年間よく頑張ったね。この国で見て・聞いて・味わったものと、全ての経験をあんたのお土産として日本へ持ち帰っておくれ。そして、よかったら私からのプレゼントも一緒に持ち帰っておくれ。これは私が20年掛けて集めた使用済切手の詰まった切手帳さ。一人娘が結婚して、今朝この街を出て行くことになったので、私の大切な切手帳を娘にあげようとしたら、こんな古いものはいらないって断られちまった。クニ、お前さんにこの切手帳を日本まで持ち帰って大切にして欲しいんだよ」
 酒に酔って頭の回らない私は二つ返事でその切手帳をもらい、帰国荷物の中に放り込んで持ち帰った。そして37年が経ち、ゆっくりこの切手帳を見る日が訪れた。
 切手帳の1頁目の最上段左端に挟めてあったのは、消印が1901年11月18日の1ペニー切手で、発行した国はNSW。なんと発行元はオーストラリアではないのだ。
 そこで私はネットでオーストラリアの沿革を検索した。「1770年、スコットランド人のJames Cookが初めてシドニーに上陸した時、彼はそこをNew South Wales(NSW)と命名した。1855年にはNSW植民地政府が樹立され、1901年1月1日オーストラリア連邦が成立して、NSWは連邦の州の一つとなった」うんぬん。
 つまり、この1ペニー切手はオーストラリア連邦成立前に印刷されたもので、まだ連邦制度が十分浸透していない時期に移行期の切手としてNSWの名前のまま118年前に使用されたらしい。
 「この切手は年代物だし、植民地政府発行の高価なものに違いない」と心の中で私の直感は叫んでいた。
 私は更にネットオークションのサイトに入ってみた。NSW発行で、私の所有するものと全く同じ図柄・同じ色合いの1ペニー切手を探した。すると、あったあった、見つかった。私の所有する切手と全く同じデザインの使用済1ペニー切手は、他種のNSW発行で使用済の切手46枚と一緒のセットになって1069円の安価でネット販売されていたのだ。私の直感は大ハズレで、この1ペニー切手は「お宝」にはなれなかった。残念!
 ネットで調べた結果に多少落胆はしたものの、私は気を取り直して「お宝」が何かをじっくり考えてみた。そして当然とも言える結論に達した。
 私と私の家族にとって「お宝」とは、これまで大病に罹らず44年間医師の仕事を勤めてきた「私の健康な身体」であるという至極当たり前の結論だ。私の「お宝」をもうしばらく磨き上げ、大切に使って、いずれは自他共に認めるわが家の人間国宝へ格上げさせようと思う。

(一部省略)

北海道 北海道医報 第1217号より

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