私が英会話教室へ通い出してもう10年近くになる。さぞかし英語がうまくなっただろうと思われるかも知れないが、残念ながらまだまだである。
以前京都で外国人観光客に道を聞かれ、全く答えられなかった恥ずかしさと情けなさから、英会話教室へ通い出した。今では道案内程度はできると思っているが、最近道を尋ねられることは無い。誰かに尋ねられないかと少し期待しながら街をぶらついているが、全く聞かれることが無い。かと言って自分から声を掛ける勇気も無い。自分が外国からの観光客であったとしても、英語がしゃべれるかどうか分からない日本人に聞くより、通行している外国人を見つけて尋ねる方が手っ取り早いと思う。携帯電話ででも正確な情報が得られる。ますます英語を使う機会が無くなってきた。
70歳になろうとしている私には、今更英語を勉強しても仕方がないのかも知れない。必要性も、能力も無いのだから。しかしいまだに教室へ通っている。
3年前になるが、グループレッスンの他に個人レッスンも始めたが、度々休むことが多くなった。母親の体調が悪かったからである。講師はそれを気に掛けてくれていたようだ。その後久しぶりに授業に出席した際、母親のことを尋ねてくれたので、母親は他界し、葬儀も済ませたので今日は久しぶりに教室に来たのだと説明した。
授業の後私が1人で教室に残っていると、それを見つけた彼は突然私に近付きハグし、「I'm sorry to hear that」と言って教室を出て行ったのである。私がよほど寂しそうな、情けなそうな顔をしていたのかも知れないが、びっくりしたのと彼の思いやりがうれしかった。英国人である彼にとってはごく一般的な所作だったのかも知れないが、彼の優しさが身に染みた。以後も彼の授業を受け続けているわけである。
彼は能面を彫っており、日本の文化に関しては私より詳しい。京都とその文化は彼に教えてもらっている様なものである。また、Communication skillの指導を通して気持ちの表現の仕方、自分の考え方の論理的主張の仕方等も教えてもらっている。日本人と接する際にも大いに役立つはずだ。新しい知識も得たいが、お互いを思い、思いやられる関係で会話を楽しみたい。外国人と話してみるのは結構楽しいものである。若い人達に混ざって勉強をすると、恥をかくことも多いが、今少し続けてみたいと思っている。
授業の帰りには、古本屋や中古レコード店に寄る楽しみもある。私の部屋のレコードは今では5000枚程になった。週1回の英会話教室通いはまさに私のブレイクタイムである。
(一部省略)
滋賀県 滋賀県医師会報 第869号より