昔からユーモアには興味があって、クレージーキャッツや松竹新喜劇などのテレビ番組をよく見ていた。それで自分も少しはユーモアの感覚があるつもりになっていた。無論シモネタはご法度と心得ている。だが、私自身の冗談はあまり受けない。「もうちょっとよく考えてから口にしたらどーなの?」と家人に言われ、「タイミングが大事なんだから......」と抗弁する私は、他人から見たら随分と迷惑な存在だろう。
小学校の頃、ミネオ君という同級生がいて、おとなしい生徒であったが、少し世俗離れして飄々(ひょうひょう)とした言動に私は少なからず興味を感じていた。6年生の1学期に学級新聞を作ることになり、ミネオ君が連続読み物を担当することになった。1回目冒頭から、これから何が起こるのか読者に期待を持たせるに十分な、何とも滑稽(こっけい)な文体で始まった。彼はたまにおかしな絵を描くので、第2号から挿絵係へと異動したため、私が小説を引き継ぐことになった。物語の好評に対抗心を持った私は、何とか面白くしようと続きを書き進めたのだが、これが大不評だった。ある級友からは「急に話がシボんだ」と言われた。このことが、自分のユーモアセンスに対する自負心に漠然と疑念を抱く端緒となった。
彼の絵も評判が良かったが、新潟地震があって学級新聞は立ち消えとなり、その後私も彼も別々の中学校へ行ったために疎遠になった。しかし、以後も冴えない冗談を言っては、ふとあの時の記憶が脳裏をよぎることがあった。
約40年近く経って、当時の同級生が私のところへ患者で来たことを機会に、私もクラス会にたまに顔を出すようになった。
ある年、今回は関東在住のミネオ君が珍しく参加するから、という案内をもらったが、所用で参加できなかった。後日、友人の患者が来院時に「彼は今何をしているんだっけ?」と尋ねると、「今更?」という顔で教えてくれた。
ミネオ君は「パタリロ」「翔んで埼玉」などで有名な漫画家の魔夜峰央(まやみねお)氏になっていた。