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令和4年(2022年)4月5日(火) / 南から北から / 日医ニュース

父の一言

 私の物持ちの良さは、驚きの域を超えて、呆れの域に達しているとよく言われる。今年の夏も、私が大学に合格して一人暮らしを始めた1978年に、親からの仕送りで購入した扇風機のお世話になった。妻からは、いつモーターから火を噴くか分からないので、使用禁止の詔(みことのり)が下っているが、一本一本溶接で作られた羽根の金属ガードもさびておらず、働き盛りの現役選手である。
 わが家には、季節品は時期が終わると、奇麗に掃除をして箱に収めて保管する習慣がある。この仕事は父の担当で、子どもの頃から私はその作業を手伝ってきた。
 扇風機もストーブも、季節が終わると、奇麗に拭かれて、機械油を付けて元の箱に収納された。雛人形に至っては、人形の毛に虫が付くといけないと、一体一体人形の頭に樟脳(しょうのう)(ナフタレンの代わりに使用される防虫剤)を付け、和紙で頭巾(ずきん)を作り、上半身に被せて収納された。
 ある年のこと、片付けを手伝っていた小学生の私に父が、「こうして今年も片付けられたことに感謝して、来年もよろしくとお願いして物置にしまうんだ」と言ったことがあった。物を大切にする心と、日々の変化の無い毎日に感謝をする気持ちを教えられた。
 現代はいろいろな面で刺激が多く、音でも色でも行動でも、変化に富んだ時代である。一日何の刺激も無いと、つまらないと感じる人が多くなったような気がする。新型コロナウイルスの流行は、人々につまらない生活を強いることとなったが、自由に好きなことができる私たちの生活に、一つの忠言を与えたのではないだろうか。
 何も変わらず過ごせたこと、何も無かったことに感謝をする人が少なくなったように思う。何も無く過ごせるということが、いかに脆(もろ)く崩れやすいものであるか、また多くの人の努力によって支えられているかを忘れないで、一年一年を過ごしたいと思っている。

埼玉県 浦和医師会報 第738号より

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