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令和4年(2022年)8月5日(金) / 南から北から / 日医ニュース

家庭菜園実録

 昨年の春、家庭菜園を始めました。今まで庭の草むしりさえしたことがない私でしたが、コロナと院長継承が同時期になり自分を見失っていたのでしょうか、なぜか自給自足を目指そうと突然思い立ったのです。ノリの良い夫は「面白そー」とすぐ賛成してくれましたが、大学生の子ども達二人は明らかに迷惑顔。しかしながら授業はオンラインで家にいるため、強制参加となりました。
 わが家には庭の一角に畑があり、もともとは義父が野菜を作ってくれていました。ところが義父が体調を崩したため、ここ数年は放置され畑は荒れ放題になっていたのです。元来無計画で大雑把な私は、とりあえず畑に出てみて一面雑草で覆われた土をいきなりシャベルで掘ってみましたが、土はがちがちに固くてシャベルの歯が立ちません。始めて1分で自分達がやろうとしていることの無謀さに気付いた私は、まずこれは人海戦術が必要と考え、実妹達にも声を掛け、畑を整備することにしました。
 義母から「雨の降った後は土が柔らかいから作業がしやすい」という今となればごく当然のアドバイスを受け、雨の翌日に一族郎党(計7人)で畑を開墾することにしました。長年放置した畑には雑草がはびこり、石が混じり、土の中からはモグラ、ミミズ、幼虫など出てきては虫嫌いの私は飛び上がって叫んでいました。しかし老眼のせいかよく見えないため昔ほど怖くなくなっている自分がいて、それはそれでちょっと悲しかったです。
 人海戦術のかいがあり、雑草や石類は取り除かれ、やっと土を開墾するスタートに立ちました。しかしながら土は固く、スコップで掘ってもなかなか進みません。皆が遠い目をし始めた頃、夫が小さな耕運機を買ってきたのです。機械ってすごいですね。1メートル掘るのにほぼ1日掛かっていたところを30分余りで畑の4分の1を耕すことができました。しぶしぶ参加した子ども達も意外や意外大活躍で、足元がよろめく私とは違い力仕事も難なくこなしてくれました。このようにして昨年のゴールデンウィーク前にやっと畑の準備が整ったのでした。
 それからホームセンターに行き、ミニトマト、キュウリ、ナス、トウモロコシ、枝豆、サツマイモなど、やみくもに苗を買いました。几帳面(きちょうめん)な夫はパソコン上で、植える苗をどのように配置するか畑の見取り図を作成してくれました。これは次の年の連作障害を避けるために役立ちます。苗を植え、ナスやトマトやキュウリには支柱を立て、枝豆には虫が付かないよう不織布で覆いをして保護しました。全ての作業が終わった後は壮観な眺めの畑を前に、「自給自足」という目標に一歩近付いた気がしました。
 ところが、植えてしまえば後は収穫を待つだけと簡単に思っていたのが大間違いでした。毎日出勤前に夫と成長具合を確かめたり、かいがいしく水をまいたりしたのはほんの1、2週でした。そのうち梅雨に入り、水をまかなくても良いようになったため、畑に行くことも無く(家の目の前にあるのに)日々は過ぎていきました。
 ふと気付いて畑に出てみたところ、何と言うことでしょう。畑は雑草で埋め尽くされてしまっていたのです。枝豆は虫が入らないよう不織布でカバーしていたところ、知らないうちに枝豆ではない草に置き換わっていました。雑草を大切に育てていたわけです。トウモロコシはアリに食い尽くされて芯だけの残骸になっていました。ミニトマトだけは大豊作でしたが、何せ一遍にできるので食べるのが追い付きません。生で食べるだけでなくマリネなどいろいろ工夫しましたが何とわが家の人達はトマトがあまり好きではないということが今更ながら発覚したのです。早く言ってよ。結局1年目にちゃんと収穫できたのはトマトと曲がったキュウリとサツマイモ、それからわずかなナスと、わずかなゴーヤとそして植えた覚えがない里芋でした。
 この経験を経て、私達家族は農家の人達への心からの尊敬の念が湧きました。スーパーの野菜売り場でまっすぐなキュウリを見て感動して立ち尽くしている人がいたらそれは私達夫婦です。
 このようにしてわが家の家庭菜園の1年目は経過しました。現在2年目に入り、昨年よりはちょっぴり慣れて作業も早くなってきました。しかしながら春菊を育てたら菊になった、とか枝豆リベンジしたところ収穫が遅くて大豆になっていたとか、玉葱100本植えたのに2個しかできなかったとか、相変わらず事件は続いています。自給自足にははるかに遠い現状ですが、家族皆で力を合わせて細々と続けていこうと思っています。

(一部省略)

長崎県 長崎市医師会報 第656号より

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