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令和4年(2022年)12月20日(火) / 南から北から / 日医ニュース

現実は小説より奇なりと申しますが......

 非常勤で診察している病院の外来で、初診の問診をする時、職歴も聞きますが、その日にたまたま来た、主訴が腰痛の80歳手前の女性は、二十歳過ぎから定年までを、看護師として勤め上げたそうです。
 どちらの病院でお勤めでしたかと聞いたら、大阪のK病院とのことでした。僕が生まれたのもK病院でしたと言うと、今度は僕の年はいくつかと聞かれ、年を答えたら、ちょうどその頃、産科病棟にいたような気がすると笑っていました。生年月日を聞かれて、答えると、自分は日記を欠かしたことが無いから、日記を見てきますと言ってその日は帰りました。
 次の外来でお見掛けすると、「日記を見ると、生まれたばかりの先生のことが書いてありました」とおっしゃいます。冗談かと思いましたが、書棚から持ってきたという赤い日記帳の、僕の生まれた日の欄に、前田ベビー、生まれて2時間しても泣きやまず報告、泣かないのは良くないが2時間も泣くのは元気な証と言われて様子を見たと、万年筆で書いてあります。
 僕は以前、母親から、僕が生まれた時、取り上げて下さった先生が体重を測ると3600グラムで、当時としては大きな新生児で先生も驚いたと聞きました。生まれてしばらくしても僕はなかなか泣きやまず、どこか悪い所があるといけないと、看護師さんも心配になって先生に聞いたら、泣くには体力がいるから、それだけ泣くのは大丈夫だと先生に言われて、安心したのだと聞いたことがありました。翌日の回診で母親は、部長先生が若い先生を何人も引き連れて、ベッドサイドに来られて、あの子は元気ですがこれから大変ですよと、笑って言われたそうです。
 母親の話では、僕を取り上げて下さった先生は、ご実家が産婦人科の病院で、それはそれはハンサムな先生だったそうで、当時人気だった俳優の田宮二郎に似ていて、看護師さんにも人気があったそうです。検診の帰りに、駐車場で映画スターが乗るような、シルバーのキャデラックから降りてくる田宮二郎ばりの先生に出くわして、僕を背負った母親がごあいさつすると、この自動車はお父様のお古なのだと笑っていらしたそうです。
 非常勤で診察している病院で、たまたま初診で訪れた患者さんは、僕が生まれた病院の産婦人科で働いていらした看護師さんで、生まれてもすぐには泣きやまない僕を心配して、僕を取り上げて下さったハンサムな先生に問い合わせて下さった。間違いなく五十数年前の僕のことでした。
 元看護師だった患者さんは、身長が180センチを超える僕を見て、こんなに大きくなってと喜んで下さいました。
 診察を終えて、帰ろうとする患者さんに、僕を取り上げて下さった産科の先生はとてもハンサムな方だったそうですが、その先生と何かなかったんですか?と、冗談で聞いてみたら......患者さんの顔が赤くなったのを僕は見逃しませんでした。ここぞとばかりに、シルバーのキャデラックで、田宮二郎に似た先生とドライブしたりしてないですか......と、揺さぶりを掛けると、更に顔が赤くなり、80歳手前でも身なりを整えたチャーミングな元看護師さんは、先生の意地悪!と言って、そそくさと退散しました。
 次の外来で、その先生は今でもご存命か、患者さんにお伺いしました。もう20年前にお会いして、その後はお見受けしてないと。
 できることなら、僕を取り上げて下さった、田宮二郎ばりのオトコマエで、映画スターが乗るようなキャデラックに乗って、看護師にもずいぶんおもてになった先生に、お会いしたいと思う今日この頃です。

(一部省略)

香川県 香川県医師会誌 通巻392号より

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